福島大東京サテライト・坪倉正治さん講義(08/Aug/2013)

2013年8月8日(木)に行われた、福島大学大学院地域政策科学研究科東京サテライト(立教大学池袋キャンパス内)の公開授業、坪倉正治さん(南相馬病院非常勤医)の「内部被ばくの現状~南相馬市での検査を通して」のメモです。 内容の全責任はメモ作成者(高橋準、@myriel_june)にあります。
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高橋 準 @myriel_june

01. 8月8日(木)18時半から、立教大学池袋キャンパスで行われた、福島大学大学院地域政策科学研究科東京サテライトの公開授業、坪倉正治さん(南相馬病院非常勤医)の「内部被ばくの現状~南相馬市での検査を通して」のメモです。

2013-08-09 15:48:46
高橋 準 @myriel_june

02. メモ作成の責任はわたし( @myriel_june )にあります。ほかのお仕事(写真撮影等)を行いながらだったので、ぽっかりメモが抜けているところもあります(お話の最初の部分など)。ご了承ください。

2013-08-09 15:49:28
高橋 準 @myriel_june

中川研究科長、あいさつちゅう。 http://t.co/nX1YLI5gu1

2013-08-08 18:33:15
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高橋 準 @myriel_june

坪倉さんの公開講義、始まりました。 http://t.co/L1iFKNNbIz

2013-08-08 18:36:56
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公開授業への出席者は、20名でした。
ちょっと少なくて残念。

高橋 準 @myriel_june

03. 坪倉「非常勤医として勤務する南相馬市立総合病院は、16診療科・230床の総合病院。もともと東北の出身ではなく、南相馬にできた『縁』も、たまたまに近い。あえてつながりを探すなら、関西に住んでいた中学生の時、阪神淡路大震災があったことか。」

2013-08-09 15:51:21
高橋 準 @myriel_june

04. 坪倉「2011年の4月初旬、自分の車に乗って、ふらっと病院を訪ねたのが最初だった。副院長と会って、『とにかく医者が足りないんだ』と言われて、『じゃあ自分が行こう』と思った。」

2013-08-09 15:52:32
高橋 準 @myriel_june

05. 震災以後、坪倉さんの年代の医師は、被災地へ「行ってこい」と送り込まれることが多くなっていたそうです。しかし、南相馬にはそういう形ではなく(というか緊急時避難準備区域だったので、公的には中には入れなかった)、フリーな身分で入って勤務を始められたとか。

2013-08-09 15:53:27
高橋 準 @myriel_june

06. 坪倉「当時、福島県内の病院では、『医療者なんだからとどまれ』というタイプの院長と、『あなたたちに判断はまかせます』というタイプの院長とがいた。南相馬市立は後者のタイプ。しかしそうすると、医師はどんどんいなくなって、最後に残ったのは4人だけ。」

2013-08-09 15:54:18
高橋 準 @myriel_june

07.坪倉「南相馬市原町区は、緊急時避難準備区域(30km圏)で、屋内退避の指示が出ていた区域。学校関係は休園・休校、新たな入院はできない、というような制限があり、メディア関係者も立ち入らない、荷物も届かないような状況だった。」

2013-08-09 15:54:54

※学校についての記述は、緊急時避難準備区域についてのわたしの覚書で、坪倉さんのお話ではありませんでした。申し訳ありません。

高橋 準 @myriel_june

08. 坪倉「救急車も30kmのところで車を替えて、患者を病院へ運んだ。その先へ入ると、洗浄だなんだと、手続きが必要なので。公的なルートでは支援者も入ってこない。フリーランスの人間だけ。ジャーナリストもそうだし、医師も自分のように、フリーな身分としてでないとだめだった。」

2013-08-09 15:55:20
高橋 準 @myriel_june

(原町区の状況については、以下2つのTogetterまとめもご参考に。南相馬市役所職員の庄子まゆみさんのお話のまとめ → http://t.co/UYeH4VLfJ3 、中小企業の状況についての初澤敏生さんのお話のまとめ → http://t.co/C8G5K9Wk0X

2013-08-09 15:55:46
高橋 準 @myriel_june

09.坪倉「しかしそういう状況で、きちんとした医療ができるかというと、かなり無理。食糧もないし、薬や酸素も切れてしまっていた。」(当時の病院給食なのでしょうか、ぼちぼちと食べものがのったお皿を写した写真、売り切れランプがともった自販機の写真がスライドに。)

2013-08-09 15:56:13
高橋 準 @myriel_june

10. 坪倉「老人ホームの入居者からは、毎年度一定数亡くなる方が出る。だがこうしてグラフにすると、震災後避難をしたあとの死亡率は6倍を超えている。『原発で死んだ人はいない』というが、こういうことはどうなのか。」

2013-08-09 15:56:56
高橋 準 @myriel_june

11. 坪倉「もちろん、放射線で亡くなったわけではない。なんとなく食欲がなくなってとか感染症で、ということで、亡くなっている。」

2013-08-09 15:59:59
高橋 準 @myriel_june

12. 坪倉「医療には目に見えない情報がある。『このおじいさんは、こういうことを言う時には具合が悪い』といった、日常生活からの情報で、これが非常に重要。しかし、震災以降(避難等で)これが失われている。」

2013-08-09 16:00:55
高橋 準 @myriel_june

13. 坪倉「医療支援について。当時東京や全国のメディアで話されていたことと、現場とには大きなギャップがあった。100mSvがどうのといっていたが、現場には線量計がなかった。だからそもそも線量が計れない。使えたのは一つだけ。違和感を禁じ得なかった。」

2013-08-09 16:02:25
高橋 準 @myriel_june

(これは本当にそうで、福島大学にもきちんとした線量計はありませんでした。事故直後に各地域の線量を計って回った放射線計測チームも、計器は借り物。その後も他県や他大学からの支援物資を使っていました。あとはわたしのように、個人で購入するか。)

2013-08-09 16:02:43
高橋 準 @myriel_june

14. 坪倉「ある自治体の首長から連絡をもらって、健康診断をして欲しい、と。『いや、実のところ、健康診断をしてほしいわけじゃないんだ、むしろひとりひとりの話を聞いてやってくれ。』と言われた。いってみれば、カウンセリング。」

2013-08-09 16:03:34
高橋 準 @myriel_june

15. 坪倉「実際健康診断に行ってみると、放射線の障害は出ていない。皆無と言ってよい。むしろ、(高齢者を中心とした)慢性疾患の悪化が一番の問題だった。」

2013-08-09 16:06:06
高橋 準 @myriel_june

16. 坪倉「住民の人たちにしてみれば、放射線量の数値がどうのこうのというよりも、日常のふるまいをどうしたらいいのか、というようなことが重要。実生活につながるところ。そこに結びつくような情報がなかった。」

2013-08-09 16:06:22