富士山が近いうちに噴火するとは思えない。

折に触れて、富士山が噴火する噴火すると言われてきたのですが、実はよほどのことがないと噴火することは無いんじゃないかと思っています。私は富士信仰の研究をしているのですが、その一派が天和三年(1683)に切支丹の疑いをかけられて幕府に調べられた時の記録から、17世紀中ごろの富士山が少なくとも20年に渡って不安定だったこと、しかし噴火には至らなかったことを示します。ちょっとグラグラしてたくらいで噴火噴火と騒がない方がいいんじゃね?ということですね。
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大谷正幸(録誌斎) @64sai

ひさびさにツイッターでちょっと書いてみよう。お題は、「富士山が近いうちに噴火するとは思えない」。

2013-08-09 23:02:05
大谷正幸(録誌斎) @64sai

角行系の文献に、『公事の巻』というものがある。著者は月Ц(ガンと読んで)こと前野理兵衛(と、その信徒たち)。角行系四世代目の行者で普段は江戸の長屋で町人をしている。

2013-08-09 23:05:30
大谷正幸(録誌斎) @64sai

月Цは天和三年(1863)、信徒に誘われて、その実家がある足利へ旅行した。その足利で頼まれて書いた護符がウケたんだけど、経緯があって何者かにキリシタンとして告発されてしまう。月Цはその年の冬に切支丹奉行や江戸町奉行に呼び出されて審問を受けた。

2013-08-09 23:10:03
大谷正幸(録誌斎) @64sai

結果として無罪放免になるのだけど(今でも富士講はキリスト教だとかいう抜け作が少なからずいるんだけど、幕府が彼らを調べまくって否と判断したことを知らないんだね)、その時のやり取りで次のようなものがある。

2013-08-09 23:11:48
大谷正幸(録誌斎) @64sai

月Цが護符を書きまくった足利の大月村と樺崎村(足利市)では、月Цが審問を受けている間に幕府の代官が家宅捜索をして、月Цが授けた護符や書状などを大量に押収した。どうも月Цと大月村には以前から関係があり、月Цは書状で彼らに自らの富士信仰を手ほどきしていたらしい、ということがわかった。

2013-08-09 23:15:21
大谷正幸(録誌斎) @64sai

では引用しよう。出典は『富士吉田市史』史料編第五巻p.29下段。この『公事の巻』写本は江戸川区の富士講が北口本宮に奉納したものらしい。

2013-08-09 23:17:43
大谷正幸(録誌斎) @64sai

状之内に冨士山両三度大ふんかけおち申候由、何としたる義に足利へ申遣し候や、答て申上ル、先師申置に代々師匠と申あり、山両三度二及かけ落候ヘハ、次之事山あれとて石砂ぬけけが有之由被申候、殊足利者少宛たくわえを心かけ、子ノ年参詣仕候時、若山あれ候得ハけがいたしいかゝ、其上御守ほぐに致し

2013-08-09 23:18:41
大谷正幸(録誌斎) @64sai

候、廿年あまり山江毎年参詣に山ならすといふ事なし、死病に封とらせ申候同前と心かけ、山江子ノ年参詣を遠慮の心に申遣し候と申上る

2013-08-09 23:18:45
大谷正幸(録誌斎) @64sai

引用終わり。下二つのツイートをつなげて読んでください。

2013-08-09 23:19:10
大谷正幸(録誌斎) @64sai

切支丹奉行は押収した書状に「富士山が数回にわたって大きく欠け落ちました」とあるので、どういうことかと尋ねた。切支丹奉行としては、月Цが切支丹であることを疑っているので、言動からそういう兆候が得られないか探っている。

2013-08-09 23:22:28
大谷正幸(録誌斎) @64sai

しかし、これ以前の問答から、そうした兆候が見えないこと、また江戸城の僧侶や儒者に護符を見せても判読できなかったことなどから、いろいろと突破口を探っているような節がある。

2013-08-09 23:24:21
大谷正幸(録誌斎) @64sai

月Цは答えた。「代々の師匠が言うには、富士山が数回欠け落ちたなら、次に山荒れと言って石や砂が崩れ落ちると。足利の人たちがお金を貯めて子の年(翌年)富士山へ参詣した時に山荒れがあったらどうすると、出した護符もダメになってしまう。私が二十年富士山へ参詣しても山が鳴らないということは

2013-08-09 23:31:38
大谷正幸(録誌斎) @64sai

なかったのです。死病に護符を出しても助けることができないのと同じことと心がけ、来年参詣するのは遠慮してください、と書状に書いたのです」。

2013-08-09 23:33:21
大谷正幸(録誌斎) @64sai

さて、本題に入ろう。「廿年あまり山江毎年参詣に山ならすといふ事なし」という月Цの答えが真実なら、少なくとも1640年代から20年あまり、富士山では山が鳴っていたことになる。もちろん、山が鳴る理由は火山性のものだろう。

2013-08-09 23:37:02
大谷正幸(録誌斎) @64sai

しかし、ご承知のように、江戸時代を通じて噴火したのは宝永の時のみだった。月Цの審問から実に40年以上後の話。これを考えると、富士山は確かに有史以来何度も噴火しているけど、よほどぐらぐらしていても噴火しない時は本当に噴火しない。

2013-08-09 23:39:42
大谷正幸(録誌斎) @64sai

現代でも静岡方面で地震があったりもするけど、月Цが「廿年あまり山江毎年参詣に山ならすといふ事なし」というほど山が鳴っているわけでもなし、少なくとも天和の頃よりは、火山としてはよほど落ち着いていると見るべきである。

2013-08-09 23:41:36
大谷正幸(録誌斎) @64sai

もちろん、東海大地震や富士山噴火の可能性はゼロではないだろうし、防災意識を高めるのはとても大切なことだけど、むやみやたらに噴火する噴火すると煽り立てるのはどうかと思う。実際、噴火するすると前世紀から聞くけど噴かないし。

2013-08-09 23:43:48
大谷正幸(録誌斎) @64sai

東北大震災で地震学は敗北した。その仇を富士山で取ろうとしないでほしい。本当にあぶない兆候がたくさんあって「もうこりゃ誰が見ても噴くな」となったら、その時初めて「富士山は噴火するだろう」と言ってほしい。

2013-08-09 23:46:40
大谷正幸(録誌斎) @64sai

『公事の巻』なんて読んでいるのは、今のところ、富士信仰の研究者の中でも俺だけだ。だから、どんな富士山フリークであろうと、この記述の存在を知る人はまずいないと思う。まあ、写本は多い方なんだけど。

2013-08-09 23:48:52
大谷正幸(録誌斎) @64sai

だからこの記述を改めて紹介しておこうと思う。17世紀の富士山の火山としての様子を想像する、そのよすがを提供するために。

2013-08-09 23:50:14