- kazuhiroobata16
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(1)まず、僕の座右の銘はツイッターのプロフィールにもある様に、『継続は力なり』『積極的な楽観主義』『根拠のない自信』の三本柱である。たまに、これらの座右の銘たちを再確認することって僕にとってある種、重要な儀式みたいなものである。今日は、この3つの内、『積極的な楽観主義』について
2013-08-16 07:48:57(2)論述してみようと思う。実はこの言葉は、僕が考案したものだと自負している。以前、僕自身、自分で言うのもなんなのだが、仕事と資格試験の勉強を猛然と行っていた時期がある。そんな時にふと頭の中で立ち上がったのが、この『積極的な楽観主義』である。この言葉の意味は、以下の通りである。
2013-08-16 07:54:19(3)自分の目指していることに対して積極的に、そして果敢に挑戦していくが、最終的には楽観的に捉えていくという意。言い換えると、楽観的になるほどに努力すべし、とも言えるかもしれない。つまり、どんなに努力を積み重ねてもその時に即結果が出るとは限らない、そんな現実ってあると思う。
2013-08-16 07:58:47(4)であれば、僕は私はこれだけ努力をしたのだから、後はどうにでもなれっ!といった態度こそが脳を楽観的な方向に誘導してくれる。その結果、フロー状態(リラックスしていながら集中している状態)が立ち上がってくる。そうなればこっちのもの。結果としても良くなる確率を結構、高めてくれる。
2013-08-16 08:03:03(5)僕は、自分自身の体験を通してこの様な感覚を持っている。そして、すっと出てきたのが『積極的な楽観主義』という言葉。僕はこの言葉をかなり気に入っている。それは自分の中から自然発生したフレーズでもあるし、それによって本当に救われた経験もあるからである。
2013-08-16 08:09:12(6)昨今、日本社会には成果主義一辺倒が過剰に充満している。会社やプロの世界では結果のみが求められる。そのプロセスは関係ないとい感じである。プロである以上、その様な状態はある程度、覚悟すべきである。しかしながら、自己への働きかけはそれではあまり旨くいくはずがない。
2013-08-16 08:15:29(7)当然、努力は結果を出すための必要条件であり、十分条件ではない。だからこそ、最終的には楽観視するくらいのホットスポットがあってもいい。努力の果てにある最後の楽園と言ってもいいかもしれない。その楽園にある果実を掴む感覚というのが、『積極的な楽観主義』という意味なのです。
2013-08-16 08:24:01