佐藤正美Tweet_20130816_31

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佐藤正美 @satou_masami

学問とは、過去の理論を崇(あが)める事から始まる。天才の居並ぶ光景を静観する事が思想の始まりである。新しい思想などというものはない。何もかも言い尽くされている。しかし、何もかも言い尽くされていて、何一つ理解されていないというのが逆説である。その逆説こそ発明の源泉なのではないか。

2013-08-16 10:33:22
佐藤正美 @satou_masami

いやしくもロジシャンであって「私は、これまで公にされてきた理論を一切参考にはしなかった」と言える様な人物は一人としていない。もしそんな気で新しい理論を作ったとしても、出来上がる理論は寝言に決まっている。模倣しない人は発明する事もできない。

2013-08-17 05:31:20
佐藤正美 @satou_masami

誰が考えるという事をしても、他人の思想をもとにして考えるという事しか決してしない。そして、これは、批評においても、どんなに独創的な理論においても、同様に歴然としている。いかに独創的な理論でも、自分にとってためになる考えを抜き出し、いっそう突っ込んだ考えへもっていく。

2013-08-18 05:23:18
佐藤正美 @satou_masami

パターンというものは、新しい「真」について語るのではない。今までに幾度も説明済みの「真」について語るのだ。たとえ幾度も証明されていても、観念は竟に観念にすぎない。物のありかたというのは、単に存在している事だけによって、他の物との関係にとって「真」であるという以外に有り様がない。

2013-08-21 20:22:09
佐藤正美 @satou_masami

ロジシャンは、思想など持ち得ないというふうに心得ておくのが賢明である。論理が立たなくなるまで再三分析しなくてはならないのだから、あらかじめ知っているという事をしない。目の前に違った対象が現れるごとに、くり返し一からやり直さなければならない。

2013-08-21 20:32:02
佐藤正美 @satou_masami

私はモデル論に充分に集中してきたか。そうは言えぬ、と私は思う。それどころか、若い頃に私は何でもやってのける器用な才に溺れて、種々様々な言説を玩んだというのがほんとうのところで、見くびっておいてから批評する事が多かった──これでは、ただ食い散らしているに等しい。

2013-08-24 03:21:46
佐藤正美 @satou_masami

批評して偉そうぶっている私は、皮肉な批評を平気でするようなヤツですから、他人を阿房呼ばわりして怒らせる事を物の見事にやってのけたのです。すなわち、身を以て観るという事よりも、他人たちの見たところを論(あげつら)うのに忙しいかった。だから、私と同類を見分ける事も聡い。

2013-08-24 03:38:11
佐藤正美 @satou_masami

実務家というのは、自分の為してきた体験に大変な自信を持っている。体験から得た教訓は観念である。うっかりすると、観念のほうへ自分を巻き込み、また逆にその観念を新たな体験のほうへ当て嵌めてしまうに至り、いまだにそこから先へはゆかない。身を以て見るという事を忘れてしまいがちである。

2013-08-27 01:57:27
佐藤正美 @satou_masami

モデル制作では観念に騙されないこと、覚束ない手つきで「本質」などという想像を扱わないこと。すべての誤りは、先走った観念にあるのであって、それ以外の何物でもない。眼をもって観るよりも観念で物を見る場合が多い──構成条件で成り立っている実際の空間の代わりに、「概念」を穿鑿する。

2013-08-31 07:02:12