- JunNakagawaWork
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一知半解の或るSEがモデルなんぞは使いものにならないと言ったので、或るロジシャンが「あなたはモデルについて一体どういうことを知っているのか」と返した。なんのことはない、そのSEは、或る図法しか知らずモデルを知らなかった──自分の知らない事を悪く言う様ですね。
2014-03-04 15:29:16広範な事業の様々な営為をすべて我々は「情報」を通して知る。「情報」を判断しながら、物を見る(理解する)。証跡に値する「情報」を集めて分析して、一つの事業を判断し批評するのだ。事業に関与する人々が彼等の営為について意識的でかつ工夫を尽くしているかがわかる。
2014-03-04 15:29:54事業に関するSEの「解釈」というものも立派といえば立派でないこともないが、自分の「解釈」に準じて事業を整理し、それぞれの事業的営為に重みを付けようと思いたがる様だ。個人的「解釈」だけで事業を観ると視野が狭く全体観が損なわれる。その狭さから生ずる事業批評を私は好まないのである。
2014-03-04 15:30:2910年20年とSEを続けていると誰でも(経験上)一応は分析・設計の技術を身につけるが、それで満足していると我流の誹りは免れまい。少なくとも情報科学に関係しているかぎりは、せめてモデル(すなわち「論理」)を正確に書けるようにしたい。
2014-03-04 15:31:04モデル技術はすべて数学からの流用である。己独りの「解釈」に頼ってモデルを制作しようと思っても徒労である。やはり、「論理」の正しい演算がなくては決してモデルは出来上がらないのである。モデルでもプログラムでも同じ事である。
2014-03-04 15:31:47およそ理解という事は、モデル制作の場合では、ただ一つの「関係」の系体、ただ一つの構造を作る事にほかならず、我々の理解力が立ち向かおうとしている「事業」にいわば一種の(抽象化された)相似形といったものを宛がって蘇らせてみる事である。正確な一つの模型を作りる事である。
2014-03-04 15:32:43頑固な今日の俗説も、かつて流行に遷(の)って定着したのであって、それは当時の新しい視点として歓迎された事もあった訳である。そう考えれば、俗説も一つの「現実(事実)」であって、侮る事はできない。なにがしかの魅力があった筈なのだから。
2014-03-05 03:45:00「今までの考えかたに囚われるな」とは云うが、習慣というものは、それほど変わりやすいものではない。それは、工夫を凝らして徐々にできあがるものであって、たやすくできあがるものではない。だから、ひとたびできあがってしまうと、たやすく崩れはしない。
2014-03-05 03:45:41「大衆」は独特な道徳意識を持っている。自分達が望む物は正しくて、自分達が拒否する物は間違っている、と。「大衆」は完全な論説には殆ど興味を抱かない。「大衆」を魅了するのは単純明快な力である。押し出しの立派である事が先ず必要なのである。そして、押し出しの半分はどうせごまかしだ。
2014-03-05 03:46:25叫んでいなければ存在証明できぬ社会になって来たようだ。嫌な世の中だ。言うに言われぬ思いを表すために文体を工夫する筈なのだが、文体の技巧を習えば──マニュアルの通りになぞれば──語りが巧くなるという神話が出来上がってしまったようだ。
2014-03-05 03:47:09私は「独断的」とか「高慢」とか非難されて来たが、自惚れなど微塵も持ってはいない──簡単な話だ、自分などいなくても社会は聊かも損なわれないという事を弁(わきま)えていればいいだけの事だ。
2014-03-05 03:47:53生活のほとんどを注いでひとつの技術を作ったとき、自分の人生を充実したように思い込むが、世間は玩具の一つをもらったように思うだけだ。
2014-03-05 03:48:19勤労は成功の1つの条件だが、必ずしも成功に至る訳ではない。私の生活は失敗の連続だったが、失敗にも満足や希望がないではない。私は、いつも、失敗して後悔した後で学習するので、多くの失敗をやらかしたが故に怠けなかったと云っていいのかもしれない。
2014-03-10 04:57:02私は、自分が立っている所から見える事しか綴る事ができないので、おそらく、極度の個人主義に陥っているのかもしれないが、私にはどうにもならない出来事について考えたり語ったりする事が、なんで面白いのか、皆目わからない。「事業」を評するに賢しらな顔を慎めよ。
2014-03-10 04:57:31私は、仕事上、技術改良の成し得た出来栄えについて、たとえ満足の最中(さなか)にあっても、そこにとどまる様に望む事はない。技術の新鮮味が環境変化の中で色褪せるやいなや、それを再び新しい光の中に移す事しか考えない。そういう事を疎ましいと思ったら、私が舞台を去る潮時であろう。
2014-03-10 04:57:58科学が進歩してその恩恵で生活は便利になったが、技術は、実のところ、実用に至るには十年を要する。そして、精神は熟するのに数十年を必要とする事は昔も今も変わりない。技術の進歩のほうが速い、それで我々は焦慮し、短い年月の間に果実を摘もうとするが、精神まで機械化されてはいないか。
2014-03-10 04:58:22知るという事は視た事を信じる事である。視る事を習得するのが中々難事なのである。見たいと思う所だけを眺めたり、深読みしたり、一箇所を拡大したり縮小したり、人間の眼って便利な様で使いかたが難しい。
2014-03-10 04:58:50満ち足りた人は夢を見ないのかもしれないが、自分の才を過信した凡人が あるがままの自分でしかないという絶望を感じた時に、夢を見る他に済(すく)う手立てがないではないか。自分が辿り着けなかった楽園を夢見て、その存在を信じるしかないではないか。
2014-03-10 04:59:17モデルを作るシステム・エンジニアは、「事業」を写像し構成する。構成とは、可能性をも秘めた存在の発生演繹的な条件(すなわち論理空間)の事である。それは生起する事態の錯雑する中に入りくる成立条件・制約条件の何一つ遺漏のない様に組み立てたものである。
2014-03-10 04:59:41モデルをモデルたらしめている基本として、私は構文論(論理的な記号演算)と意味論(記号と事実との一致)について常に語って来た。「情報システム」という言葉を使うなら、こうした規則の成立の場として考えたい。これは極めて具体的な事なのだ、モデル論というあざとい言いかたをするまでもない。
2014-03-10 05:00:08モデル技術とは、もどかしいほど地味な技術だ、凡庸にさえ見える。ことごとく実践(行為)とは平凡なものなのかもしれない。そして、平凡な言葉になるが、事業に対する敬意と論理を使う厳密一徹こそモデル制作の定法である。特殊な才知が要る訳ではない、だから様々な化粧をしたがるのだろう。
2014-03-10 05:01:01世の中には伝染病のように危険な人物がいる。相手は魅惑的な謎だが、気づいた時には、相手の毒がこっちに感染している。天才と称された人物たちがそうである。彼等に近づいた私の様な凡人は気づいた時には、巨大な蜂に刺されて痿痺した毛虫の態だ。
2014-03-11 18:29:37「君(きみ)は何の悩みもなさそうでいいね」と私に面と向かって言ったヤツ(先輩)がいたが、60年も生きていれば、私にもそれなりに心労はある。ただ心労を感じても、心労を覚えぬ様に生きる事、それが生活術ではないか。
2014-03-11 18:30:04