椹木 野衣さんの震災後「あまちゃん」評価

誰でも編集可にしてあります。 これへのコメントなどあれば、足してください。
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豊崎由美@アンチ維新 @toyozakishatyou

②考えることもなく、こんな風がいいなあんな風がいいな、を言い出すようになり、自分好みに太るよう痩せるよう一つご指導してやろう、になる。だけどそんなのは常に事後のご指導にすぎない。出来上がった作品には何の影響も及ぼすこともない。→

2013-09-05 12:23:30
豊崎由美@アンチ維新 @toyozakishatyou

③その無力さも、批評にはちゃんと感じ取ってほしいと思う。〉ということをおっしゃって、わたしは「まったくそのとおりだ。自分も気をつけなくてはいけない」と思っているんですが、→

2013-09-05 12:26:14
豊崎由美@アンチ維新 @toyozakishatyou

④震災回の前の回から「あまちゃん」を見始めて、朝ドラを下に見る論調で見当外れなないものねだりツイートをしている椹木野衣さんにも、わたしが尊敬する作家のこの言葉を贈りたいと思います。

2013-09-05 12:27:05
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

初期不良につき返品いたします。“@toyozakishatyou: ④震災回の前の回から「あまちゃん」を見始めて、朝ドラを下に見る論調で見当外れなないものねだりツイートをしている椹木野衣さんにも、わたしが尊敬する作家のこの言葉を贈りたいと思います。”

2013-09-06 14:59:37

シナリオ執筆中の宮藤官九郎の言葉

2013年3月11日(月)

NHKで「あまちゃん」取材日。分かりきっていた事ですが「震災から2年が経ちましたが今の心境は?」という質問が多かった。なんだか当たり障りのないことを言いたくなくて、かといって突き放すような発言も違うわけで、どうしていいか分からなかった。確かにドラマの舞台は東北なのだが、震災があったから東北なのではない。自分の書きたいドラマの舞台に最もふさわしい場所がたまたま岩手県の北三陸地方だったのです。そのことを震災に関するコメントを欲しがっている記者さんにどう説明すれば良いのか。ものすごく消耗した。もちろん3月11日のことを教訓として忘れてはいけない。当たり前だ。未だ復興したとは言えない状況だし、そんな東北の皆さんに少しでも元気になって欲しいという思いは人並みにあるつもり。でも、そればっかりを考えて156話のドラマを書いているわけではない。逆にそればっかりを考えていたら重苦しいドラマを書いてしまいそうだ。少なくとも朝ドラの書き手として、俺はそれを望まれてはいないと思う。そもそも東北の人々がみな「震災のドラマ」を見たがっているのでしょうか。ドラマはフィクションなんだし、忘れたり思い出したり笑い飛ばしたりしんみりしたり元気出したりで良いんじゃないですか?とか言うと不謹慎なのかな。みんな同じ思いで同じ方角を向いて頑張るのはもちろん大切だと思う。でも、その温度を時と場所を関係なく他人にも要求するようなムードには、どうしても違和感を覚えてしまうのです。『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います。というような事を考えながら108話を書き始めた。

2013年3月12日(火)

昨日、娘が学校で誰かに「3月11日はあんまり笑っちゃいけないんだよ」と言われたそうだ。まあ子供の言うことだから仕方ないんだけど、それは違うよ、と言いました。笑わないことが追悼ではない。だったら365日笑っちゃいけないはずだ。むしろ亡くなった人の分も笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだりしながら生きるのが供養なんじゃないかなと思います。昨日に引き続きすごくブルーな気分だ。108話完了。土竜の唄の打ち上げに顔を出す。そこには不眠不休でやりきった男たち(女たち)の達成感が充満していた。俺も頑張んないとな。


大人計画HPより