渡邊芳之先生@ynabe39の「すべての人のすべての発言にはそれが言われる文脈があるのだから文脈を前提に聞けばいいだけの話である。」
千の風になって。
北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
むしろ「文脈に依存しない意見や発言」なんてものがあると思うほうが幻想だ。すべての人のすべての発言はポジショントークなのであって,それが自分に都合が悪い時だけ「ポジショントークだ」と批判するのだ。
2013-09-22 08:10:09ポジショントークにしても藁人形だとかブーメランだとかにしても「ネットで多用される批判のレトリック」のほとんどは「オマエモナー」で無力化されてしまう。じっさい「みんなそう」なんだから。
2013-09-22 08:16:10みんな他人を批判するためには「自分はそうではない」ことが前提になると思っているので「オマエモナー」で黙ってしまう。じっさいはそんなこともないんだけどね。
2013-09-22 08:17:53自分が日本人であっても日本人を批判することはいくらでもできると思うんだけど,日本人を批判すると「お前は日本人ではない」「いやなら日本から出て行け」ということになる。
2013-09-22 08:18:57そこで便利なのが「自戒をこめて」 RT @ynabe39: みんな他人を批判するためには「自分はそうではない」ことが前提になると思っているので「オマエモナー」で黙ってしまう。じっさいはそんなこともないんだけどね。
2013-09-22 08:20:56「バカというやつがバカ」というのだって「(自分もバカなのだから)他のバカをバカということはできない」というのが前提になっていると思うんだけど,実際には自分もバカでも他のバカを(正当に)批判することはいくらでもできることはネットを見ていればわかる。
2013-09-22 08:21:23もともと共同体って「特定の場所と時間にいっしょにいる」ことから始まるんでなにかの理念や価値を共有することから始まるわけじゃないと思うんだよね。理念や価値は結果であって原因ではない。しかしいちどなんらかの理念や価値が共有されると倒錯が起きてそれが原因のように見えてくる。
2013-09-22 08:33:09たまたま集まっている人々が仲良く暮らすために作り出された理念や価値が,そのうちに人々を支配して,その理念や価値を共有しない人が追い出される,というのがまさに「疎外」なのだと思う。
2013-09-22 08:34:39日本に人が住んでない時から日の丸や君が代があったわけじゃないだろうよ,君が代や日の丸が先にあって,それが好きな人が集まってきて日本の国を作ったわけじゃないだろうよ,という話。
2013-09-22 08:35:55「自分の価値観や好みに合った共同体を自分で選択して所属する」というのは近代以降に初めて現れたごく特殊なことだし,いまだって多くの人にとって共同体とはそういうものではないのに,自由選択の原理をあてはめて考えるのはおかしいと思う。
2013-09-22 08:39:37「いやなら出て行け」論者はまず自分の親に絶対服従すべきですね。 RT @HTCH2: @ynabe39 「いやなら出ていけ」式の言は、かつては共同体の家長が言いえたものが、個人が単位の世帯やネットの中では、誰でもが(家長のように)言いうるものになったと思います。
2013-09-22 09:14:23「この社会がいやなら出て行け」論ってなんか伝統的・保守的なプリミティブな感情のように言われることが多いけど,むしろすこぶる近代的なものだし,右か左かと言ったらむしろ左に近いんじゃないかとすら思う。
2013-09-22 09:17:25まあたしかに「日本がいやなら出て行け」とかさかんに言ってる人が自分より日本が好きなようにはあまり見えないんですよね。 そういう人のほうが私よりよほど日本に嫌いなところがいっぱいあって日本に嫌いな人がいっぱい住んでいるのではないかと思う。
2013-09-22 09:29:33