~ふくしま会議~「飯舘村・浪江町バスツアー」

ふくしま会議「飯舘村・浪江町バスツアー」に関する@murataquangさんのツイートのまとめ。
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murata koji @murataquang

日曜日に「ふくしま会議」のスタディーツアーに参加させてもらって、駆け足ですが飯舘村と浪江町に行ってきました。飯舘を案内して下さった佐藤健太さん、浪江について語って下さった志賀貴光さんたち、有難うございました。お土産に浪江焼そばまでいただいて、とっても恐縮です。

2013-10-01 21:36:19
murata koji @murataquang

川俣町では山間の田んぼに黄金色の稲穂が実り、稲刈りをしている方々がいましたが、飯舘村に入ると様子が一変。かつて田んぼだった土地は草むらになるか、除染のため表土をはぎ取られているか…。までいの村・飯舘に実りの秋の光景はありませんでした。 http://t.co/TB7JWHm6nE

2013-10-01 21:39:41
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murata koji @murataquang

汚染された土などを詰めたフレコンバッグが、ところどころ山のように積み上げられていました。「仮・仮置き場」だそうです。私は除染は必要だと思うのですが、気の遠くなるような困難や矛盾を抱えているのも事実ですね…。

2013-10-01 21:48:05
murata koji @murataquang

飯舘村の秋はキノコ採りの季節。腰の曲がったじいちゃん・ばあちゃんたちも張り切って山に入り、沢山のキノコを採ってきて味わう、何よりも楽しい季節だったそうです。村に戻れたとしても、山の幸を楽しむ暮らしは、当面取り戻せないかもしれない。山村の豊かな暮らしや文化が根こそぎ奪われてしまった

2013-10-01 21:52:28
murata koji @murataquang

「かつての飯舘村に戻れるなら、何の迷いもなく帰りたい。でも現状の村に戻りたいかというと…。『村に戻る・戻らない』の間で揺れ続けて、心が疲弊していく…」。震災直後から積極的に発信を続けている佐藤健太さんは、村の若者としての悩ましい思いを、率直に語ってくれました。

2013-10-01 21:53:34
murata koji @murataquang

佐藤健太さんの実家は、テトラポットの型枠をつくる仕事。震災から数日後、注文に間に合わせるためにお父さんは営業を再開、高線量を心配した健太さんは、お父さんと何度も言い争ったそうです。一方、風評被害は金属製品にも及び、謂れのない中傷を受けることも少なくなかったとのこと。

2013-10-01 21:54:51
murata koji @murataquang

南相馬市原町区から南下して旧警戒区域の小高区、浪江町に入ると、あちこちで自動車や船がひっくり返っていたり、がれきが積み上げられていたり…。かつての田んぼは、一面背の高い草に覆われていました。

2013-10-01 21:58:43
murata koji @murataquang

請戸港近くの海岸に出ると、約3キロ南に東電福島第一原発の排気筒が見えました。でもこのあたりの放射線量は低く、毎時0.1~0.2μSV程度だそうです。同じ浪江町の中でも、海岸沿いの線量の低い場所と内陸部の高い場所では、100倍以上の違いがあるようです。

2013-10-01 22:04:15
murata koji @murataquang

電柱には「東北電力」の表示がありました。東京電力福島第一原発は歩いて行けるほど近くにあるのに、電力はすべて東京など首都圏に送られていた。現在の厳しい収束作業にも、多くの地元の人たちが携わっています。東電の電気の恩恵を受けてきた人間として、飯舘や浪江の現状は私にも他人事ではない。

2013-10-01 22:06:43
murata koji @murataquang

常磐線・浪江駅近くの通りを歩きました。崩れたままの建物。ガラスが散乱した歩道。人影のない街にアナウンスが響きました。「浪江町への立ち入りは午後4時までです。4時までに町を出られるように準備を始めて下さい。スクリーニング場は5時までです」。

2013-10-01 22:08:27
murata koji @murataquang

新聞販売店には「東北に巨大地震」の見出しの新聞の束が置かれていました。3月12日の朝、新聞を配る余裕もなく、避難を強いられたのでしょう。浪江駅の中を覗くと「大地震のため、終日運行を見合わせます」の張り紙。あの日から2年半、この町の時間は完全に止まってしまったかのようです…。

2013-10-01 22:11:17
murata koji @murataquang

バスの中で、たまたま隣になった牛来(ごらい)美佳さんに、いろいろお話しを聞かせてもらいました。浪江町の出身で、小学生の娘さんと一緒に群馬県に避難しているそうです。東電の下請け会社の職員で、震災の日も福島第一原発の事務所で働いていたとのこと。シンガーソングライターでもあります。

2013-10-01 22:12:59
murata koji @murataquang

震災の翌日、牛来さんは原発の事故を知らずに「次の津波を避けるため?」と思い、指示に従って内陸部の津島地区に避難したそうです。全国の多くの人たちが福島第一原発を緊張して見つめていたあの時、昨日までまさにそこで働いていた女性が、何の情報もなく幼い子どもを抱えてさまよっていたとは…。

2013-10-01 22:15:29
murata koji @murataquang

牛来さんの家は、私たちが歩いた浪江駅のすぐ近くにあるそうです。「どうして自分や家族や友人たちがここに存在していないのか?これが夢であってくれたら、とずっと思い続けている。最近も、希望を失って自ら命を絶ってしまった知人がいる。これからが本当のたたかいだと思う」。

2013-10-01 22:17:10
murata koji @murataquang

帰り際、川俣町の道の駅で買ってきた福島市産のりんごを味わいながら、飯舘と浪江で見聞きしたことを思い出しています。私の知る福島県の人たちの暮らしは、落ち着きを取り戻しているように思いますが、まったく違う状況や思いも、福島の中にある。どんなふうにつながれるのか、考え続けたいと思います

2013-10-01 22:19:33

牛来美佳さんのブログ

牛来 美佳 @mica_goRai

ブログを更新! 『~ふくしま会議~「飯舘村・浪江町バスツアー」に同行して。』 http://t.co/GHBHhtZqPs http://t.co/0Nq1uq2iWc

2013-09-30 23:55:13