- donadona_No5
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移動の合間で、藤津亮太『チャンネルはいつもアニメ』読了。藤津さんのアニメ時評をずっと楽しみに読んでいたので、こうやって本の形にまとまるのはとても嬉しい。と同時に、たぶん史上最高本数のテレビアニメが放映されていた時期のドキュメントとしても面白い。
2010-10-07 00:38:36藤津さん自身も書いているように、この時評には「『普通』のアニメ」なんてものが成立可能なのだろうか? という問題意識が、一貫して流れている。その「普通」は、ときに「B級」とも呼ばれる。『コードギアス』や『エヴァ』にメロドラマ性を見出すのも、このような視座があるからだろう。
2010-10-07 00:46:55その「普通」は、映画評論家・畑中佳樹のこんな言葉から導かれている。「何を撮っても奇形の映画になってしまうこの時代に、あえて『普通』であろうとする試みのいかに冒険的なことか!」。
2010-10-07 00:56:13このとき「普通さ」に対置されるのは「アニメっぽさ」だ。そしてその「アニメっぽさ」は、一種の過剰として想定されている。また、それゆえ「メカと美少女」は、「アニメっぽさ」を抽出した化学調味料のようなもの、とも書かれている。どんな作品も「アニメっぽく」してしまう魔法の粉。
2010-10-07 01:00:58@camiroi ジョン・ヒューズ「も」含まれているという感じですね。僕はその後段にならんでるロン・ハワードのほうで納得したのですが。ほかにもいろんな監督名が列挙されてます。
2010-10-07 01:03:42こういう認識は、たぶん、藤津さん自身の「歴史意識」から導かれている。それは、極めて単純にいえば「日本のアニメは、80年代前半に『思春期』を迎えてしまったのではないか」という認識だ。
2010-10-07 01:05:53@fujitsuryota たしか、東京郊外の2本立てを観に行く文脈で出てきたような記憶があるのですが。本棚のカオスぶりが憎い……。
2010-10-07 01:07:36この本のなかで何度か「アニメは映画になることを夢見ていた」という認識が語られるのは、その時代――思春期という自我が膨張する時期に、ファンの間で(もしかすると制作者の間でも?)、そのような「自由」が夢見られていた、ということなのだろう。
2010-10-07 01:10:11@camiroi そっちでも言ってたかもしれないけど、引用した文章は「“普通の映画”をさがして」(『夢のあとで映画が始まる』)の中。スピルバーグ・シェルショックの話が出てくる、80年代総決算原稿。
2010-10-07 01:11:36その結果として、日本のアニメは「アニメっぽさ」と呼ばれるような、一種の華美、過剰なまでの様式を発展させた。それはたぶん、アニメ冬の時代の到来、OVAの興隆、という時代背景とも深く関わっている。
2010-10-07 01:12:36@camiroi いや(恥)ということはないかと。というか以前「(藤津の)原稿の元ネタはわかりますよっ!」って言っていた通りだなーと関心してるですよ。これは真面目に。
2010-10-07 01:16:54小田切博( @smallboxman )さんが「理想のアニメ」という言葉で指摘していたのも、 たぶんこういう歴史認識と関わってくる部分だ。ただ、藤津さんはその時期夢見られていた「理想のアニメ」が、決して「理想郷」ではなかったかもしれない、と思ってる気がする。
2010-10-07 01:18:11それはたぶん、『思春期』が遠くなってしまった、という寂しさと、それとは裏腹な、解放感というか密かな喜びというか、あるいは諦念というか、そういう複雑さの上に『チャンネルはいつもアニメ』の文章は成立してるんじゃないかな、とか。
2010-10-07 01:22:53.@camiroi 10年ぐらい前に1度だけどこかで書いてるんだけど、アニメブームが終わってアニメの歴史が一旦終わったんですよ。その時に、なんかアニメが立派なものになるやもしれないという「もやもや」が流産してしまった。
2010-10-07 01:32:21.@camiroi その後は「もやもや」のいろんな要素を各個撃破していく時代になったと。そうなるともう全体を語ることができないんじゃないか、と。現在、これをそのまま思っているわけじゃないんだけれど(これは実感に結びついているだけで、視点・史観というところまでいってないから)……
2010-10-07 01:37:00.@camiroi ……おおざっぱにいえばそういう枠組みが頭の中にあるのは確か。ただこの本のテーマはそこじゃない。@camiroiさんは、参照元がわかったから、そこまで読み込んでくれたんだなーと。あと同じ実感を持つ「アニメ団塊の世代」(by camiroi)も似た印象を持つかも。
2010-10-07 01:41:33@fujitsuryota いちゃもんをつけてるわけではないんですがw その枠組みを語ってないことが、本のなかで書かれてる「アニメ」の概念がブレているように見える原因になってるのかもなあ、なんて思いました。その後の「各個撃破」の記録、という側面でもあるわけで。
2010-10-07 01:46:25.@camiroi 戦後の風景を語るのに、戦争を語らなくてはならないのはそうなんだけど、時評では「戦後の風景」を語りたかったんだよねー。戦後とはいわずに。そっちはそっちで機会があれば少しずつネタを仕込んではいるので、「枠組み」もいつかは実感以外の言葉で語りたいのだけれどね。
2010-10-07 01:50:57.@camiroi いやたぶん『Z』って、『クレオパトラ』とかに近いからなー。枠組みだけに特化するなら、やるなら1983年か1979年がテーマになるはずなんだけど。1979年はガンダム関連であれこれ書いたことがあるから、今度は機会があれば1983年で原稿書いてみます(笑)
2010-10-07 01:54:20