《発言様式》と《行動様式》の変化の社会的重要性
ぼくは個人的に、「マジョリティの運動」にとって重要なことは、(1)解放のための《発言様式》や《行動様式》を準備することと、(2)それらの様式を実践するための《場》を準備することだと思っている。
2013-09-23 10:39:13《発言様式》というのは、別にそんなに難しい話ではなくて、 差別はいけないことだと多くの人が理解はしていてもそれを口にするのは難しい。それを突破するには、「あぁ、こういえばいいんだ」と人々がまねできるような言語戦略のモデルが集積されている必要がある。それが《発言様式》。
2013-09-23 10:41:55同様に、解放の《行動様式》というのも、「あぁ、こういう風に行動すれば差別に抵抗する意思を表現したり、実際に差別を無力化したりできるんだ」と人々が理解し、模倣できるような行動のモデルの集積のこと。
2013-09-23 10:43:53でも、多くの人にとっては、モデルをたくさん見聞きしただけでそれを実践できるほどに身体化することはできないので、少しずつ実践しながら、自分のものにしていく。そのために、解放の《言語様式》や《行動様式》を実践するための「場」が必要となる。
2013-09-23 10:46:46おそらく、東京大行進は、解放の《言語様式》や《行動様式》を開発し、伝えるための試行錯誤の一つだったと思うし、疑いなく、それらを実践するための《場》だったと思う。
2013-09-23 10:49:43何日か経ちました
先日、今年に入ってからの反レイシズム運動には、解放のための《発言様式》や《行動様式》を拡張した功績がある、と書いた。これがどれほど巨大な功績であるか、みんなどこまで理解しているだろうか。
2013-10-05 09:33:26言い換えると、日本の大手新聞各社は、2000年代に入るころからヘイトスピーチの問題に正面から取り組むことを、ある面ではビビっていたし、ある面では古臭い課題だと軽視してきたし、ある面では面倒な問題だと忌避してきたということを、みんなどこまで理解しているだろうか。
2013-10-05 09:37:11時代の転換点を象徴する出来事が石原元都知事による「三国人発言」。公人によるヘイトスピーチの典型例であったにもかかわらず、継続的に批判したのは朝日新聞のみ。それも社会的なバッシングにあってあえなく沈黙した。以後、トラウマになったかのように同社はレイシズムについて言及しなくなった。
2013-10-05 09:43:44「三国人発言」が00年のこと。ちょうどそのころから、レイシズムに限らず、あらゆる差別問題、人権問題について、それを問題視するような報道は減ったし、問題として言及する場合でもどっちつかずの口調でお茶を濁すようになった。朝日新聞はその意味でも代表だな。
2013-10-05 09:47:052002年前半には日韓共催のワールドカップ。自分の中に初めて国家に貢献したいという欲動が存在することを発見して、驚き、それに理由付けをしようとして、様々な物語を動員する人々が大量発生した。いうまでもなく、この時動員された物語というのが嫌韓ヘイトスピーチだ。ネットに嫌韓が横溢した。
2013-10-05 09:51:38そして同年後半には、小泉元首相訪朝により拉致問題が明るみに出たことで、ヘイトスピーチはネットの外へと津波のように拡大した。マスメディアは半年ほども連日のようにヘイトスピーチを垂れ流し、在日のウェブサイトは次々とヘイトスピーチにさらされて閉鎖に追い込まれていった。
2013-10-05 09:55:07以後、コリアンに対するヘイトスピーチはネットの常態と化したし、ネットの外でも反コリア主義言説は単なる差別ではなく政治的主張として承認されるようになった。
2013-10-05 09:58:26でもね、ターゲットは必ずしもコリアンだけではなかったことにみんな気付いているだろうか。コリアン・バッシングは排除型社会の伸張を象徴・代表する出来事ではあったけれども、同時代的に様々な差別問題、人権問題が放置されるようになったことはちゃんと理解されているだろうか。
2013-10-05 10:00:35生活保護受給者へのバッシングは記憶に新しいが、様々な《他者》がわれわれとは異なる存在として、その存在そのものが攻撃されるようになったし、その攻撃状態が当たり前のようにメディアを賑わすようになった。 http://t.co/IfXl57jPea
2013-10-05 10:06:06もう、その状態が10年以上になる。98年のミサイル問題あたりからだと考えるなら、この異常な状況が常態化してすでに15年ですよ。被差別の当事者、排除のターゲット当事者にとっては、しんどい期間だった。
2013-10-05 10:09:06たぶん、00年代は「2ちゃんねる化」の時代といっていいんだろうな。「2ちゃんねる的」に既存の規範をズラしたり、「2ちゃんねる」的に人々が当たり前としていることを揶揄したり、「2ちゃんねる」的に差別はいけないという訴えを嗤ったりする《発言様式》が席巻した時代だった。
2013-10-05 10:12:47ただ、それは時代を支配する《発言様式》の問題であって、日本社会の構成員みんなが「2ちゃんねる」的なパーソナリティを身につけたということではなかったんだよね。みんながネトウヨになったわけではなかったし、みんながヘイトスピーチをするようになったわけではなかった。
2013-10-05 10:15:00ただ、「差別はいけない」というまっとうな主張をすることを、どこか忌避すべき《発言様式》である、どこか古臭く揶揄すべき《発言様式》である、どこかしち面倒くさい《発言様式》であると思わせる時代だったということ。その時代の中で、反差別の語りは沈黙を強いられるようになった。それが15年。
2013-10-05 10:18:02元の話に戻るけど、今年に入ってからの反レイシズム運動は、その15年の沈黙を打破する大きな効果をもたらした。「あ、こんな風に、差別はいけないって声をあげたっていいんだ」という理解をもたらすとともに、具体的に差別に反対するための《発言様式》と《行動様式》を人々に提供した。
2013-10-05 10:20:58その結果、まだまだ小さな運動であるにもかかわらず、新聞各社はヘイトスピーチの実態と、それに対する抵抗運動を報道するようになった。15年もの間、そういう報道を取り上げることをビビり続けてきたというのに、まるで憑き物が取れたかのようだ。
2013-10-05 10:23:22運動のプロセスで様々な問題があったことは事実だし、運動の方向性を巡って危惧すべきことはある。でも、15年もの沈黙にアイスブレイクをもたらした功績までを否定しようとする人は、少し自分自身を見つめなおしたほうがいいと思うよ。きっと、手段と目的の優先順位が逆転しているから。
2013-10-05 10:25:57一つ補足しておくべきかな。一連の投稿の中で朝日新聞をやり玉に挙げたけれども、今年4月末からの連載「敵がいる」シリーズは本当によかった。「在日攻撃 牙をむく言葉」「訪朝公演「空気読んどらん」」「沖縄攻撃 ゆがみ増幅」「監視強まる生活保護」「「加害者を潰せ」正義暴走」
2013-10-05 10:37:52日本の排除型社会が表出した現象として通底する側面があることを示唆しつつ、それを総合的に問題化する視座を適切に提供している。「朝日新聞、やったじゃないか」と長年の胸のつかえが晴れる気分だった。(この社説でゲンナリするまではw http://t.co/cNRgEKxrKc )
2013-10-05 10:42:52「敵がいる」シリーズ第1回目の記事はこれ。 http://t.co/eqAJ276MBD この連載はおそらく初回を執筆した石橋英昭記者の着想と熱意が大きな役割を果たしたんだろうなあ。なのに仙台に異動になっちゃって。朝日新聞ってどうなのよ。
2013-10-05 10:46:28