すごく手頃なとこだと、えいごの「run」が自動詞だと走るで他動詞だと〜を経営するというあれ。あとは「育つ」「育てる」で違うとか、正直よく分からなかったとこ
2013-10-05 23:32:53日本語は、助詞による支配の強い言語である。同じ「わたし」という名詞を文章内でどのように使い分けるのか決めているのが助詞である。 それに比べ、動詞による支配が弱い、というのが今回の主題になるだろう
2013-10-05 23:36:20英語では、この動詞が来たらその直後には間接補語が置かれる、前置詞を伴う、などが多く決められている。つまり、動詞によって、次にくる名詞がどのような役割を持つ言葉であるのかが確定するわけである
2013-10-05 23:38:56だから、前述のrunを経営するという意味で使った場合は、かならずその直接補語、"何を"経営するか、が示されなければならない。日本語話者からするとこれは一見硬直的で面倒ではある
2013-10-05 23:41:53ただし、これがあることによって、文章の構造で誤解を招くことがなくなる例が以下のような日本語文である 「わたしは、AとBを見る」 あなたならこれをどう捉えるか?
2013-10-05 23:43:53先ほど例を示したように、英語などであれば文章の構成が変わるようになっている。見る、という動詞の後に並ぶ名詞(単数、または列挙されている場合を含む)が直接補語である、という構造だからだ
2013-10-05 23:49:08ヨーロッパ言語において、列挙されるものは基本的に同等の格を持つものとみなされる。格が変わるのは前置詞がある場合だったり、動詞がそういう規則を持つ場合である。英語でいうgive callなど、
2013-10-05 23:53:13ここでまたおもしろいのが(今ふと思いついた)、日本語では前置詞ではなく"後置詞"であるということ。 たとえば先ほどのAとBを、も、助詞が前置詞であったら文章構成での誤解は生じにくい
2013-10-05 23:55:47つまり を (AとB) になるか とA、をB になるか、などなど、次から格が変わるか列挙なのかで文章の作り方が明確に分かれるからである
2013-10-05 23:58:32後置詞のついて考え出すと最初の話に帰ってこれなくなりそうだから、これはいずれ考えてみる方向で。 日本語は、どこにどの格を持つ言葉が来るのかが決められていないこと、英語の自動詞他動詞ほどその文章の構造を形作るほどの支配力が及んでいないこと。 それが一つ文章理解の壁にあるだろう
2013-10-06 00:02:20その文章に補語があるかないか、それは多くのケースにおいて、補語を作る助詞があるかどうか、に依存してしまう。それが無いとしたら、会話などの前後関係に頼る必要が出てくる
2013-10-06 00:06:11日本語話者として生きてきたから、その実効性は保証できないけど……日本語をある程度理解できる外国人と会話する時の重要なポイント 可能な限り、主語 目的語 間接補語 直接補語などが明確に分かるように、多くの助詞をつかって伝えること
2013-10-06 00:08:43わたしは、◯◯◯について、あなたと一緒に、学びます など、文章を構成する要素ごとに区切りがあるだけで、理解の助けにもなるだろう
2013-10-06 00:11:03また同様に、紛らわしい助詞を用いた文章はリスキーである。日本人が関係代名詞の長文などで区切る場所を理解しにくいように、どこで突然別の格に飛んだのかがわからないと、文章全体の形が把握できないためだ
2013-10-06 00:14:06日本語でも、特に会話の世界では、わりと簡単に助動詞が省略されてしまう。会話という一連の流れにおいて既知の情報から補完できるからである。 その場限りの意思疎通に特化させる限りにおいては、省略してしまった方が楽なのは間違いない。 だが、日本語では助詞がいかに大切か、時々振り返ると良い
2013-10-06 00:21:33