鎮守府は秋晴れの抜けるような青空であった。コンクリートで覆われた地面の上には涼しい風がひゅうひゅう吹き、白波がザパンと音を立てて打ち付ける。それぐらい静かな日だった。百人に及ぶ艦娘たちと、それ以上のスタッフが暮らす基地なのに、猫の子一匹見当たらない。2
2013-10-06 22:03:56「な、な、なのです♪な、なのです♪」そんな鎮守府を、鼻歌を歌いながら歩く少女が一人。駆逐艦の艦娘・電である。幼い外見ではあるものの、提督とともに最初にこの鎮守府にやってきた、最古参の艦娘だ。実力も確かなもので、駆逐艦の中ではベスト3に入る腕を持つ。3
2013-10-06 22:07:38「ここが鎮守府?なんだか、殺風景なところね」その後ろを歩くのは、ツインテールの少女だ。電よりも背は高い。女子高生ぐらいだろうか。物珍しそうに辺りをキョロキョロ見回している。「大丈夫です!兵舎にはみんながいっぱいいるのです!」そうしているうちに、二人は兵舎についた。4
2013-10-06 22:12:39「只今戻りました、なのです!」元気よく兵舎の扉を開ける。が、誰もいない。「ちょ、ちょっとここで待ってて下さいね!」キョロキョロ見回してから、今度は酒保に行ってみる。が、誰もいない。「はわっ……?」涙目になりながらドックに行ってみる。が、誰もいない。5
2013-10-06 22:18:07「ふ、えぐっ……」いよいよ本格的に泣き出しそうになった時、遠くに人だかりが出来ているが見えた。工廠の方だ。「ああっ、皆さんあそこにいたのです!」大事なお仕事の書類を両手に抱えながら、電はそこに駆けつける。「皆さーん!」声をかけると、最後尾にいた薄紫色の髪の少女が振り返った。6
2013-10-06 22:22:19「あら、電さん。お戻りでしたか?」「はい!あの……不知火さん、何なのです、これ?」周りには艦娘だけでなく、酒保や工廠のスタッフ、警備兵、妖精さんなどなど、鎮守府の人間ほぼ全てが集まっている。しかも全員武装しており、臨戦態勢の緊張感が漂っていた。7
2013-10-06 22:27:35「……翔鶴が、あの工廠の中に立てこもっています」「はわあっ!?」不知火が指差す先には、鎮守府の兵器開発・製造・修理・保管などを一手に担う工廠があった。この人だかりは工廠を囲むようにできており、そして上空には艦載機の式神が円を描いて飛んでいた。8
2013-10-06 22:32:40「しょ、翔鶴さんがなんで!?」翔鶴は最近着任した正規空母だ。面倒見のいいお姉さんで、立てこもりなんて物騒な真似をするような人ではない。「あと、人質は提督です」「はわわわわっ!?」ますます信じられない。だがこの物々しさが何よりの証拠だ。9
2013-10-06 22:35:58「そ、それで翔鶴さんと提督は無事なのですか?」「怪我はしていないようです。突入準備はできていますが、どうしますか、電さん?」「わ、私ですかっ!?」「はい。提督不在の非常時には、年功序列です。すなわち、最初の秘書艦である貴方がここの指揮を執ることになっています」10
2013-10-06 22:39:26突然、重責を背負わされた電はうろたえるばかりである。「で、でも私よりももっと別の人が指揮をとったほうが……」「そうなると、指揮権は今のままになりますが、本当によろしいですか?」多少げんなりした表情を浮かべて、不知火はある艦娘を指さした。11
2013-10-06 22:44:02「酸素魚雷!酸素魚雷よ!工廠の壁を吹き飛ばすのに150発!中の設備を吹き飛ばすのに50発!上の航空機に体当たりで防がせるのが80発!そうしたら、私が直々に、翔鶴と提督に20発ずつ撃ち込むわ!合計320発の魚雷の一斉射が見れるなんて……ああ、考えただけでゾクゾクするわ……!」12
2013-10-06 22:49:17恍惚とした表情で駆逐艦たちに酸素魚雷を準備させている大井がいた。涎まで垂らしている。最古参がいなければ、最も練度の高い艦娘に指揮権が渡されるのが、ここの鎮守府のルールだった。ルールを決めた時は、まさかこんな非常識な娘が最高レベルになるなど、予想していなかったのだろう。13
2013-10-06 22:52:35「……分かりました。電、指揮を執ります。不知火さん、大井さんの説得、手伝って下さい」「了解しました」これは自分がやるしかない。覚悟を決めた電は、大井のところに不知火を連れて歩いていく。こうして鎮守府の長い一日が始まった。14
2013-10-06 22:55:48350/30/500/350。02:20:00。高速建造。千歳。解体。350/30/500/350。01:00:00。高速建造。那珂。解体。350/30/500/350。00:24:00。高速建造。黒潮。解体。16
2013-10-06 22:59:56工廠の中は薄闇に閉ざされている。その中で、時折バーナーの炎が煌めく。艦娘が装備するための艤装が生産されては、解体され僅かな資源に消えていく。「待っててね瑞鶴。すぐにお姉ちゃんが艤装を作ってあげるから」それを見つめるのは、白髪の少女。正規空母・翔鶴だ。17
2013-10-06 23:05:47「うん。ちゃんと、待ってる……」そこから少し離れたところに座っているのは、髪をツインテールに結び、弓道着に身を包んだ人物である。瑞鶴、ではない。彼女、あるいは彼こそがこの鎮守府を統括する提督だった。だが、既に提督は自分を瑞鶴だと信じきっている。18
2013-10-07 00:16:01投稿時は飛ばしてました
翔鶴が工廠に立てこもる数日前、既に提督は翔鶴に監禁されていた。密室で瑞鶴と呼ばれ続け、少しでも瑞鶴にそぐわない行動をすればその場で罰を加えられる。下準備の甲斐もあって、鏡に呼びかけるよりも簡単に、提督の自我は上書きされた。19
2013-10-06 23:10:27それでも翔鶴は満足できなかった。理由は分からない。瑞鶴は彼女が望む瑞鶴と全く同じように動いてくれる。しばし考えた翔鶴は、艤装が無いから物足りないんだと思い立った。思った時には既に提督を連れてこの工廠に来ていた。作業員に邪魔されたが、艦載機を発進させたらすぐに出て行ってくれた。20
2013-10-06 23:15:22「艤装ができたら、ポートモレスビーに行きましょう?他の子達が頑張ったから、珊瑚海まで行けるようになったの。一緒に零戦を飛ばして、あそこの航空隊を皆殺しにしましょう。それで、重油が燃える香りを胸いっぱいに吸い込みながら、ミッドウェーの方を向いて、一緒に笑うの。ステキでしょう?」21
2013-10-06 23:19:08「うん、うん」提督は虚ろな目で頷くばかりだ。口の端からは涎が垂れている。「あら、涎が垂れてるわよ?」ずい、と翔鶴が顔を近づけてきた。その仕草に、提督がびくりと肩を震わせる。「ダメじゃないの、だらしない子」細い指が、頬を伝う涎をすくい取る。22
2013-10-06 23:24:04「いぎいっ!?」悲鳴が上がる。提督の頬が、翔鶴の手でつねられていた。爪が食い込む容赦の無い痛みに、提督の目から涙が溢れる。「瑞鶴はね、とってもお行儀の良い子なのよ?」「ごめんなさい!ごめんなさい!」間近で瞳を覗きこみ、眼球に噛みつかんばかりの翔鶴に、提督はひたすら謝り続ける。23
2013-10-06 23:29:11「ふふ。素直な瑞鶴。可愛い子」すうっと翔鶴から殺気が引いた。舌を伸ばして、翔鶴が提督の頬を伝った涙を舐め取る。「大丈夫、瑞鶴はお姉ちゃんが絶対に守ってあげるから」優しい手が、頭を撫でる。その後ろで艤装がバーナーの炎に焼かれ、そして解体されていった。24
2013-10-06 23:31:35