茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1057回【さまざまな異なる個性を持つ他者の中に置いたときに初めて、二人の関係が見えてくる】連続ツイート

2013.10/7 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【ふたりから、たくさんの中のふたりへ】連続ツイート …距離が近すぎると、愛するにせよ、憎しみにせよ、間合いというものがわからなくなる。そんな時は、二人を、たくさんの中の二人へと、解放して上げるのがいい。さまざまな異なる個性を持つ他者の中に置いたときに初めて、二人の関係が見えてくる。親友も、恋人も、親戚もまたそうである…
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第1057回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日、なんとはなしに考えていたこと。

2013-10-07 06:37:32
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(1)誰かと親友になったり、恋人になったりする過程はスリリングだ。最初は、たくさんの人の中の一人、としてその人が見えてくる。それが、だんだん相手が接近して、ふたりで向き合うようになる。やがて、世界の中にふたりしかいないようなそんな時間も訪れる。

2013-10-07 06:38:50
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(2)親友や恋人は、風景の中に見えていた人が、風景そのものになる。うまく行っている時はいいけれども、喧嘩をすると大変だ。何しろ、世界の中にその人しかいないような状態になっているのだから、ついつい喧嘩がこじれたり、感情がもつれたりすることもある。

2013-10-07 06:39:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(3)そんな時は、相手を風景の中に戻すとよいことが多い。世界の中にその人しかいない、というくらい近づいているからこじれるのであって、たくさんの人の中に置いてみると、改めてその人の良さがわかってきたりする。社会の中の、たくさんの人の間の、二人の関係も見えてくる。

2013-10-07 06:41:07
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(4)時々、お母さんやお父さんから相談を受けることがある。「うちの子が、言うことを聞いてくれないのですが、どうしたら良いでしょう。」親子関係というものは、親友や恋人になるのと逆で、最初から世界に二人しかいないところから始まる。そこに、親子の良さも、限界もある。

2013-10-07 06:42:10
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(5)親子関係が深まるのは、親の横に、第三者が立った時だったりする。父親の友だちが飲みに来て、友だちと他愛もない会話をしているのを子どもが見ると、父親の新たな一面が見えたりする。母親が学校のクラスメートと話しているのを見ると、母もまた一人の人間だったとわかってくる。

2013-10-07 06:43:29
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(6)子どもが親の言うことを聞かなくなっているのは、二人の関係の気安さや当たり前とつながっていることが多い。だから、例えば進学のことについて、親の言葉だけでなく、その場に居合わせた親戚や、知人が一言いうと、全く違った風に子どもの心に届くことがあるのだ。

2013-10-07 06:44:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(7)最初から、世界に二人しかいないような濃密な関係においては、第三者の「セカンドオピニオン」が良い薬となって利くことがしばしばある。つまり、二人の間の関係が濃すぎるからいけないのであって、そこに第三者が入ることで、かえって関係が相対的に見えてくるのである。

2013-10-07 06:45:57
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(8)国際関係も同じで、隣国同士は仲が悪いというのはよくある。フランスとベルギーはポアロも嘆くように区別がつかない人多いが、当事者同士は真剣。最近も両国の憎み合いを描いたコメディ映画があった。二国の関係に囚われているのであって、地球の「たくさん」においたらやはり似ている。

2013-10-07 06:47:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふた(9)距離が近すぎると、愛するにせよ、憎しみにせよ、間合いというものがわからなくなる。そんな時は、二人を、たくさんの中の二人へと、解放して上げるのがいい。さまざまな異なる個性を持つ他者の中に置いたときに初めて、二人の関係が見えてくる。親友も、恋人も、親戚もまたそうである。

2013-10-07 06:49:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1057回「ふたりから、たくさんの中のふたりへ」でした。

2013-10-07 06:49:51