茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1064回【初めての、時のように】連続ツイート

2013.10/14 茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【初めての、時のように】連続ツイート …昨日の津口在五くんと阿部純さんの結婚パーティーは実によかった。何が良かったのだろう、と考えていたら、結局、みんなにとっての「初めて」が重なったからだと気づいた。二人にとっては、もちろん、結婚するのは初めて、ご両親にとっても、(おそらく?)子どもが結婚するのは初めて、出席者の多くにとっても、会館で手作りのパーティーは、初めて…
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茂木健一郎 @kenichiromogi
尾道から新尾道に向かう車中から、連続ツイート第1064回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日の感想!
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(1)昨日の津口在五くんと阿部純さんの結婚パーティーは実によかった。津口くんゆかり(東京芸大時代)で私が出席、阿部さんゆかり(東京大学情報学環時代)で水越伸さんが出席。尾道水道を見渡す光明寺会館で、手作りの、温かい会合となった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(2)何が良かったのだろう、と考えていたら、結局、みんなにとっての「初めて」が重なったからだと気づいた。二人にとっては、もちろん、結婚するのは初めて、ご両親にとっても、(おそらく?)子どもが結婚するのは初めて、出席者の多くにとっても、会館で手作りのパーティーは、初めて。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(3)逆に言えば商業化された結婚式で、ネックになるのが、スタッフが「慣れている」ことに伴う独特の空気感だと思う。式進行を、手慣れた感じでやるのはいいけれども、たとえば花嫁と花婿が入場する時の、式場の係の人の「どうぞ」という手の伸ばし方が、いかにも手慣れていてイヤなことがある。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(4)「一回性」と「繰り返し」が出会う時に、演劇性が生じる。医者が、患者に癌を告知する時に、患者は生涯で初めてだからドキドキするが、医者の側にはある種の演技がプロフェッショナリズムとしても求められるし、欠かせない。カトリックの神父が懺悔を聞くときも、また同じ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(5)演劇性が、救いになることもある。たとえば、誰かが亡くなって、お通夜やお葬式、さらには火葬場で骨を拾う儀式などにおいては、手慣れた係の人がいかにも演劇的に事を進めていくのを見ると、違和感と同時に、このような時にはそのような定型性が助けになることもあるなと思う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(6)人は、時に「繰り返し」側に立ち、時に「一回性」の側に立つ。「繰り返し」側は、その演劇性で「一回性」の生々しさをやわらげようとする。一方、「一回性」の側は、自分の胸の動揺を時に「繰り返し側」にぶつけるが、肩すかしを食らったり、傷つくことさえもある。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(7)もし可能ならば、「繰り返し」側に立つ者も、向き合った人が「一回性」のただ中にあるという想像力を忘れないでいたい。そのような業をなせるものが、すぐれた医師であり、神父である。結婚や葬儀にプロフェッショナルとして携わるものの理想は、一回性を忘れないことにあるだろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(8)初めてのことは、ためらいや恥じらい、ぎこちなさを伴う。そこにしか、世界の中に生まれたことの原初的歓びはないわけだから、「繰り返し側」に立ったものは、そのような生命の泉から遠く切り離されてひからびた感性にまみれるリスクを、常に負っていると銘記せよ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
はと(9)というわけで、津口在五くん、阿部純さん、ご結婚おめでとうございました。最後の挨拶のところで、「普通の結婚式だったら、もっとみなさんラクだったと思いますが」と言って笑いを誘っていたけれども、普通じゃない、一回だけのパーティーだったから、あんなに印象的だったのだと思うよ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート第1064回「初めての、時のように」でした。
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