山に登りはじめたときは、落ち葉だらけで険しい道なのかなと思いましたが、セメントや階段等で少し舗装がされていました。
約100メートルほど歩いて行くと、立派な墓石が見えてきました。新しすぎないかと思っておじいちゃんに尋ねると、それは集落の方のお墓のようでした。猿丸大夫のお墓は右奥の方にひっそりと横たわっていました。
墓の右下に「有雄」とあるのですが、これは明治時代に墓を作った方の名前だそうです。熊本県知事や宮崎県知事に表彰されたとか。 http://t.co/1qPTYlBRKP
2013-10-14 10:27:31墓石は割れており、接着剤でつけて紐で巻かれていました。以前は寝かされずに、ちゃんと立っていたようです。 http://t.co/3KnL2fhnqG
2013-10-14 10:30:12道案内や解説をしてくれたおじいちゃん(74)とお墓のツーショット。本当にお世話になりましたっ! http://t.co/unOmk6C0lX
2013-10-14 10:32:40墓石に書かれていた有雄さんについて、「この集落の方なんですか?」とおじいちゃんに訪ねてみたところ、「野尻のもんだった」との答えが返ってきました。家に帰って調べてみると、確かに約10数キロ離れた場所に野尻町がありました。
感想
この地名が「猿丸」だから猿丸大夫のお墓が作られたのか、猿丸大夫に縁があったから「猿丸」という地名になったのか、どちらが正しいんでしょうね。猿丸大夫のお墓は他の都道府県にも存在しているようで、さすが謎の歌人という感じです(笑)
なお、小倉百人一首では「猿丸大夫」の表記が一般的ですが、このお墓では「猿丸太夫」という表記でした。
また、わざわざ道案内や解説をしていただいたおじいちゃん(お名前を伺いましたがここでは書きません)のおかげで、お墓を見るだけでは得ることが出来なかった知識を色々と教えてもらえて、とてもためになって楽しかったです。ありがとうございました。