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奥の細道の旅は元禄2年(西暦1689年)深川の隅田川から船に乗り大垣に至るまで、述べ150日間・全行程2400km。14都道府県28市町村に足跡を残す大紀行でした。
2013-10-01 10:05:26東京都・埼玉県・栃木県・福島県・宮城県・岩手県・山形県・秋田県・新潟県・富山県・石川県・福井県・滋賀県・岐阜県。これだけの県を跨いでの旅です。
2013-10-01 10:10:42当時は各藩ごとに番所があり、現代でのパスポートのような役割を果たす通行手形が無いとなかなか通してもらえなかったりするんです。手形は国から許可を貰った怪しくない者だと証明する意味もありました。
2013-10-01 10:15:42芭蕉さんは旅をしたがるくせに、行き先の下調べや旅の工程や金銭面などまったく無頓着なので、同行する身としては気苦労が耐えませんでした。ペナントとか変なお土産品にお金を使われては困りますからね。
2013-10-01 10:20:27旅をするといっても、出発前に行く名所の事を調べたり、事前に手紙を出したり、案内を頼んだり、馬や宿を手配したり、色々と大変なんです。 その点現代は情報が簡単に手に入るし移動手段も色々あるし、とても便利になりましたね。羨ましい限りです。
2013-10-01 10:25:31現代の日本は蛇口を捻れば水を飲めますが、当時は飲料水の確保にも苦労しました。いくら綺麗でも川などの生水を飲んで腹を壊してしまったら旅に支障が出てしまいます。旅行者が来る様な所でもない片田舎の農家に白湯を求めても、怪しまれて断られる事も珍しくありませんでした。
2013-10-01 10:30:17そして、意外に思われるかもしれませんが細道の旅の行程で野宿をした日は一日も無いんです。当時は殆ど徒歩での交通手段なので、大きな街道沿いなら一日歩ける距離の間隔に宿場町や、小さいながらも宿屋があったんです。芭蕉さんは直ぐに休みたがるので、よく尻を蹴飛ばして宿まで急がせたものです。
2013-10-01 10:35:22当時の仙台領は特に出入りが厳しくて、番所で通行許可証の入切手という現在の旅行ビザのようなものを発行して貰わないと、正規な道を通ってこなかった者として旅籠に泊めてもらえずに野宿するはめになったりもするんです。
2013-10-01 10:40:07そして峠にはよく茶店がありました。通る人は山道に疲れて休まずにいられませんから、茶店ののぼりを見つけると僕も芭蕉さんも迷わず店に入っていきましたね。米山峠の弁慶の力餅が僕は好みでした。
2013-10-01 10:50:34江戸時代の旅行では『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さんが有名ですが、徳川家康が着手した幹線道路としての五街道(東海道・中山道・甲州道中・奥州道中・日光道中)が整備され、庶民が不便なく旅が出来るようになったのは八代将軍吉宗の享保年間の頃になってからです。
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