@yashirosatoruさんと考える、2020東京五輪の在り方とは?

開催が決まった2020東京五輪。賛成の人も反対の人も、少し前向きに、望ましい五輪の在り方を考える時期なのではないか。2005年の愛・地球博を参考に、屋代聡さんの考察をどうぞ。
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屋代 聡 @yashirosatoru

もちろん考えているのは、東京五輪について。

2013-10-17 01:31:35
屋代 聡 @yashirosatoru

【東京五輪について】 ①これが理想の五輪運営だなんてことは言えないけれども、ただ闇雲に反対する時期は過ぎたし、そのことが含むネガティヴな心理(後述)を考えると、僕らは次の段階に進むべきだと思います。以下、まとまりを欠きますが、考えたことを少し呟いてみます。

2013-10-17 03:13:29
屋代 聡 @yashirosatoru

②衆参両院は15日午後の本会議で、2020年東京五輪とパラリンピックの成功に向けた努力を政府に求める決議をそれぞれ採択した。衆院は全会一致、参院は無所属の山本太郎氏が反対したという。それこそ国際公約だから「そんなモノ知るか」とはいかないのであろう。

2013-10-17 03:14:04
屋代 聡 @yashirosatoru

③これから7年間、東京は一気に改造される。納得のいかない向きは多かろう。確かに誘致を巡って首相が明らかな嘘をついたことは否めない。現在、放射性物質を完全に封じ込めてはいないのは明らかである。また「これまでもこれからも健康被害は全くない」と断言することは、もちろんできない。

2013-10-17 03:17:17
屋代 聡 @yashirosatoru

④安倍首相の虚言には大多数の国民が怒っている。ただもう五輪開催はきまってしまったのである。悔しいという気持ちはわかる。しかし、それなら僕自身も含めて大規模な五輪反対キャンペーンを展開し、東京都に立候補させないようにするべきだったのである。それができなかった点で勝負はついた。

2013-10-17 03:17:52
屋代 聡 @yashirosatoru

⑤そして、もし本当に五輪開催返上という事態になるとすれば、それは大規模な戦争を行うか、福島の状況が悪化し首都圏に深刻な被害が出るか、いずれかである。ここで我われは福島を想って五輪を開催しないために、福島や東京が壊滅的状況になることを祈るようになるという逆説に陥ってしまうのである。

2013-10-17 03:20:13
屋代 聡 @yashirosatoru

⑥もちろん安倍の思いのままに五輪が開催されていいのか?と問われれば、僕とて、良い気はしない。しかし今、国民ができることは彼の嘘を追及して首相を辞めていただくこと、そして動きだそうとしている五輪の計画を、政府主導の土建五輪から、弱者優先のそれへと換骨奪胎してしまうことではないか。

2013-10-17 03:21:05
屋代 聡 @yashirosatoru

⑦先に@bcxxxさんとこんな会話をしている。

2013-10-17 03:22:35
屋代 聡 @yashirosatoru

⑧ "既に19世紀後半のヨーロッパにおける都市改造のさいに、同じことが指摘されている。大きな問題。" @bcxxx オリンピックの負の側面をなくしていくような運動はできないものなのかな。例えばオリンピックに限らず、都市の大開発にはホームレス排除のような浄化作戦は必ず付いて回る。

2013-10-17 03:23:49
屋代 聡 @yashirosatoru

⑨ヨーロッパでは19世紀になって大都市・中都市を問わずに大規模な都市改造が行われた。最も有名な例はパリのそれであろう。一般の方はパリを明るい洒落た街と認識されているであろうが、19世紀に至るまで、パリは入り組んだ細い路地だらけの、汚い街であった。

2013-10-17 03:24:21
屋代 聡 @yashirosatoru

⑩だからパリはバリケード等が築きやすく、幾度も革命の舞台となったのである。しかし本格的な産業化時代を迎えた19世紀後半、ナポレオン3世はパリを大改造し、凱旋門のあるエトワール広場から放射線状に幹線道路を伸ばし、細かい路地を破壊して、すっきりとした明るい街に変えた。

2013-10-17 03:25:31
屋代 聡 @yashirosatoru

⑪これにはデモの鎮圧を容易にすることや、まさしく公共空間の清浄化など種々の理由があった。そしてこの時、パリ市内の地価は高騰した。借家の家賃も高騰し、一般の労働者は市の中心部から周辺部そして郊外へと追いやられた。最貧困層はその不潔な住環境が伝染病の温床とされ、組織的に駆逐された。

2013-10-17 03:26:14
屋代 聡 @yashirosatoru

⑫それまで住民たちは同じアパルトマンの「階」によって、つまり同じ家屋を上下に住み分けていたのだが、以後は平面的に隔離された。新たな住み分けが誕生したのである。そして貧民たちの住居は破壊され、ついに路上に暮すことさえ許されなくなった彼らは、施療院へ送られ「不可視」の存在となった。

2013-10-17 03:26:47
屋代 聡 @yashirosatoru

⑬決して都市の貧困が解消されたのではない。都市住民に見えないようにされたのである。フーコーの言う「閉じ込め」政策である。このことは前回の東京五輪でも、北京五輪でも起きたし、このままでは次の東京五輪でもおそらく起きる。

2013-10-17 03:27:18
屋代 聡 @yashirosatoru

⑭そうであればこそ、今となっては東京五輪中止を祈れない我われの課題は、こうした事態を避けるために動くことだろう。@bcxxxさんは「オリンピックに丸ごと反対するより、遥かに改善の余地があると思うのです。」と仰ったが、その通りであり、それしかないと思う。

2013-10-17 03:27:57
屋代 聡 @yashirosatoru

⑮重要なのは、市民が東京五輪をどうデザインし、どう利用するかである。例えば、野鳥の楽園とされる場所を破壊させないようにするならば、今後、そうした声を市民が挙げ続け、世論に訴えることだ。箱モノの建造もロンドン五輪のようにほとんど仮設にしろと叫んでもいい。

2013-10-17 03:28:20
屋代 聡 @yashirosatoru

⑯ロンドン五輪に関して、誰もそれを失敗と思っていないことから、五輪会場は仮設で十分だというのは十分な説得力を持ちうるだろう。

2013-10-17 03:28:47
屋代 聡 @yashirosatoru

⑰それにしても事前計画の大幅な変更などできるのか?現状をできるだけ保持したまま五輪などできるのか?と問われれば、僕は絶対にできると思う。これについてはわが国に先例があるからだ。2005年の「愛・地球博」である。

2013-10-17 03:29:16
屋代 聡 @yashirosatoru

⑱この万博は1990年の計画スタート時、県有地が大半を占める瀬戸市東南部の海上町(通称、海上(かいしょ)の森)を会場予定地としていた。その後、650ヘクタールを造成し、約4,000万人を集める万博会場とし、さらに跡地を宅地として開発する構想が打ち出された。

2013-10-17 03:29:45
屋代 聡 @yashirosatoru

⑲しかし93年ごろから、愛知万博を取り囲む環境が大きく変わり、環境への影響が懸念されるようになり、貴重種であるシデコブシの群生が報告されると会場候補地である海上の森の自然を残そう、という運動が広がった。

2013-10-17 03:30:12
屋代 聡 @yashirosatoru

⑳そこで会場計画は、環境重視型へと大きくカーブを切り、「自然との共生」の概念が柱になった。1995年12月、万博の開催申請が閣議了解され、96年4月、BIEに「国際博開催申請書」を提出した。会場規模(海上地区)540ヘクタール、入場予定者数2,500万人に縮小。最初の成果だ。

2013-10-17 03:31:36
屋代 聡 @yashirosatoru

21:そして1997年6月にBIE総会において、2005年の開催権を得ることができた。会場計画については、環境影響評価法(1999年施行)施行前に環境アセスメントが実施されることになり、21世紀の環境アセスメントのモデルケースとして位置づけられた。

2013-10-17 03:32:07
屋代 聡 @yashirosatoru

22:問題はここからである。この頃、市民からの環境への配慮や会場計画の見直し要求も大きくなり、そして、会場予定地内にオオタカの営巣があると確認されたことが、会場計画に大きな影響を及ぼす。

2013-10-17 03:32:37
屋代 聡 @yashirosatoru

23:1999年7月、環境負荷の低減を図るため、会場計画は海上の森に近接する長久手町の愛知青少年公園(「青少年公園」)を取り込んだかたちで検討することとなった。このように環境対策や会場案は大きく変更されたのである。第2の成果だ。

2013-10-17 03:33:13