佐藤正美Tweet_20131001_15

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佐藤正美 @satou_masami

モデル制作では、いつも内容(真とされる値、意味論)と形式(構文論)とはっきり区別し、しかも、そのふたつが離れ離れにならないように仕事をすすめなければならない。そうふうに仕事をすすめなかったら、描き得るものは、せいぜい不確かな固定できない一つの粗描を作っているにすぎない。

2013-10-05 09:31:10
佐藤正美 @satou_masami

なんの制約束縛もうけない形は、寧ろ構成以前の混沌だと云うべきだ。

2013-10-05 09:31:56
佐藤正美 @satou_masami

我々の思考は「論理」による訓練をうけていないと、あやふやなものだ。誰だって思考することがなくなったとたん、通り一遍の卒のない意見を披露するくらいの事はする。これまでになかった様な新しい分析対象が出てくれば、対象に問い掛け様とはせず、一瞥して意見を述べて通りすぎるのみであろう。

2013-10-05 09:32:34
佐藤正美 @satou_masami

独創性の禁止と論理規約への忠実がロジシャンの条件であるべきであり、ロジシャンの言語は、天才の言葉とはちがって、既成概念のなかから選ばれた最も純粋汎用(あるいは、凡庸)な言葉なのである。天才を気取る人たちなら私は数多く見てきたが、ロジシャンに徹する人たちを見る事はめったにない。

2013-10-08 06:40:51
佐藤正美 @satou_masami

システム・エンジニアの仕事は、論理力を以て、事業に役立つ効用を実現し、その機能を引き出し機械化する事である。道具や機械にとっては、物の究極の構造(あるいは、「本質」)など、どうでもよいのだ。いくつかの機能が、ただ論理的に実現されていればよいのだ。

2013-10-08 06:41:27
佐藤正美 @satou_masami

意見・「解釈」ばかりが相寄って混沌を呈するという有様に陥っている。どれもこれも賛成できるし反対もできる。寧ろそこには。ああでもない、こうでもないと決めかねてばかりいる堂々巡りだ。どうしてこういう事になったか。思考が「事実」にまで根を張っていないからだ。

2013-10-11 17:12:25
佐藤正美 @satou_masami

正しいにせよ、誤っているにせよ、ともかく一つの論理形式は物の外観(命題)をとる事ができる。さまざま異なった感覚のさまざまな知覚が、一個の物に統一されるのを我々は「論理」の力で納得する。しかも、知覚さえも、すでに理性の働きではあるまいか。

2013-10-11 17:14:12
佐藤正美 @satou_masami

観察と論理との力を借りて、外観に基づいて物の構造を再構成する事を学ばなければならない。そして、ここでは、手が眼の教師なのである(手が眼を先導する)。再構成は、記号演算である。これを認めるのは、いちばん難しい。

2013-10-11 17:15:58