佐藤正美Tweet_20131116_30

0
佐藤正美 @satou_masami

或る事態が次の事態を形作り産み出すので、その逆ではないという「数の順序とともに方向を持った」或る規則を考えなければ、実際の「原因-結果」の鎖を考えてみる事はできない。

2013-11-19 16:02:35
佐藤正美 @satou_masami

現実の事業から形式のモデルへの翻訳は、「なんの目的で」から「いかにして」に移る。様々な原因と条件との分析に移る。

2013-11-19 16:03:10
佐藤正美 @satou_masami

我々が理論・技術と呼ぶものには、完全な一貫した体系でなければならない。しかし、若いエンジニアが創る理論・技術が次第に整ってゆく様(さま)を見る事を私は好む。生まれつつある理論・技術も、すでに完成したものと同様に完全な体系を持たねばならない様な錯覚に陥らない様にしなければならない。

2013-11-19 16:03:48
佐藤正美 @satou_masami

遙か高みから一つの事業を見下ろして、手許にある幾つかの「型」の中からおおむね適う「型」を選ぶ──事業を構成している条件についての意識は隠蔽される。概観的な「型」と現実の事業的制約条件とのアンバランスに当面して、目をつぶって、細かな見て観ぬ振りを数多く犯す事に馴れてしまう。

2013-11-19 19:10:53
佐藤正美 @satou_masami

事業が次第に複雑化するにつれて、その構成を鮮明に描き出し、諸関係を捕らえ、モノを条件化し方向づけていく──これがために「論理」を歪めるなどということはしない。すなわち、「情報」が間断なく動いていった道筋を「論理」が明らかにするに準じて、モデルはまさしくモデルとなる。

2013-11-19 19:11:27
佐藤正美 @satou_masami

「論理」では間に合わせの方法が許されぬ。

2013-11-21 12:30:46
佐藤正美 @satou_masami

「論理」には大言壮語の様なものは何一つ見あたらない。私見によらず、ただ対象によって事を決する。「論理」の仕事というものはそういうものだ。

2013-11-21 12:31:32
佐藤正美 @satou_masami

「裸の判断が裸の物を前にして自覚するのだ。そうなれば、物が意識をみたしてくれる。(略)主観などというものは正確な分析によって、とっくり見こしていなければならなかったものだ」(アラン)

2013-11-21 12:32:10
佐藤正美 @satou_masami

専門家の語る意見に対して、とぼけた事を言いなさんなと思う事が多々ある。分業化・専門化して、それに動かされるときの不快な感じは、部分によって全体が動かされると感じる不快に似ている。

2013-11-21 12:34:05
佐藤正美 @satou_masami

論理規則は最初に読む際には多少の疲労を感じるが、条件の妥当性を確かめるには必須である。モデルでは、すべての基本となるのは条件的なもの、条件的個体である。モデルは、あらゆる事態を(「関係」上の)外的条件に翻訳する。

2013-11-22 16:59:54
佐藤正美 @satou_masami

事業を図化したものを幾度も読み返してみたところで、「文法」を持っていないかぎり、個人の作法で作られた私的「解釈」の産物である。巧みに描かれたとしても、見たように思うだけだ。そういう図はモデル(模型)ではないと言っておけば十分だろう。しかし、それをモデルと思う人が多い。

2013-11-22 17:00:28
佐藤正美 @satou_masami

要するに、モデルの二手段は、「関係」の論理形式と、その「解釈」(真とされる値が充足される事)だと言ってよかろう。それによって、諸々のモノ(対象)が、「関係」のなかで、しっかりと立つのである。

2013-11-22 17:01:08
佐藤正美 @satou_masami

モデルの全組織は、先ず論理規則(文法)によって保たれる。もし、こうした考えに抵抗を感じる人たちがいるならば、それは論理規則というものを抽象的公式と解しているからである。モデルの材料となるのは、「論理的に整えられた『情報(記号)』」であると言い切る事もできる。

2013-11-22 17:01:46
佐藤正美 @satou_masami

勲章を胸に飾って威厳を見せつけるという訳にはいかない。「思い出」の国で王様たるくらいなら、生身のつまらない人たちの召使いでいたほうがマシである。

2013-11-22 17:13:59
佐藤正美 @satou_masami

私は他人に理解されるという様な事は殆ど問題にはしておらず、私が語っているのは他人のためにというよりも私自身のためであり、また私自身に対してである。私は忠告なんぞしているのではない。自分の仕事の果てについて苦い独り言を洩らしているのである。

2013-11-22 17:14:26
佐藤正美 @satou_masami

読者が喜んでいるかいないか、そんな事に頓着しているロジシャンはいない。修行僧の様な心構えでいない限り、すぐ譫言(うわごと)を言うものである。

2013-11-22 17:15:13
佐藤正美 @satou_masami

「型」とは、──極めて手際の良い認識で、「現実」の中へちょっと手をつっこんで見せたにすぎない。それに誘われる訳は、ますます機能化され均一化されてゆく機械的な(マニュアルが重視される)社会形態を背景にした いわゆるムードである。

2013-11-24 23:54:39
佐藤正美 @satou_masami

他の事業モデルによって事業を指揮するマネジメントというものが考えられるだろうか。

2013-11-24 23:55:06
佐藤正美 @satou_masami

モデルでは、論理規則は最初のうちに何ら活動する余地をもたない。規則は抽象的にすぎるように思われ、眼にとまるのは判断のみである。諸々の事物の「関係」が現れてくるのは、後になって事物が並べ立てられて、そこで初めて構造が生気を帯びてくる。そこで「連続の法則」(原因-結果)が見出される。

2013-11-25 19:59:44
佐藤正美 @satou_masami

モデルは、我々の思考プロセス(順序)よりも寧ろ事物(の在りかた)に対する判断を描き示す。同じ論理的構成物でありながら、現実的事態の抽象データモデルがアプリケーション・プログラムと異なる一面である。

2013-11-25 20:00:23
佐藤正美 @satou_masami

秩序に近いものほど意識からは遠いのである。習慣を考えてみればよい。

2013-11-28 00:42:42
佐藤正美 @satou_masami

月並みとは慣習や「型」の機械的な働きが「事実」にとって代わる事であり、分析では読者に事態を判断させずに想像させる事になる。そして、自分を誘引してくれるような何か要(かなめ)のものとか、また何か「本質」を知らず識らずに求める様になるのである。

2013-11-28 00:43:19
佐藤正美 @satou_masami

完全性に取り憑かれたロジシャンは、まさにそのことによって孤独に陥り、この孤独な思考によって、つまり思考の行き方そのものによって益々孤独になる。俗に対して彼は侮蔑と拒否をもって応える。自ら選択した不幸なのである。見せ掛けの意匠に対する自尊心に充ちた拒否がそうさせるのである。

2013-11-29 00:07:38
佐藤正美 @satou_masami

外(そと)の社会は嵐の様で、IT業界は疾風怒濤の時代を迎えている。私も内心、そういう波に乗りたい気も持っていたが、モデル論の学習は、時代の好尚にそむいたものになってしまった。と同時に、自分は地道に学習して、現代の急流の中に、しっかりと打ち込まれた杭でありたいとも思う。

2013-11-29 00:08:15
佐藤正美 @satou_masami

独りで仕事をしている非社交的な人の言う意見には、一種の無作法さがある。そして、私もそれを免れてはいない。

2013-11-29 00:18:27