佐藤正美Tweet_20130901_15

0
佐藤正美 @satou_masami

モデル(模型)は、今われわれの観ている物が、今まで見た事もなかった物だという事をきっと明らかにしてくれるものである。これは、知っている事よりも多くの物が見えるという事である。

2013-09-03 07:48:20
佐藤正美 @satou_masami

対象は与えられた物ではない、それは考えられて定立された物である。知覚に基づいて定立されるのであって、知覚に基づいて定立される限りは常に個人事(主観的)なのである。だから、確実な認識は、間主観的に、物の代わりに「語(記号)」について考え「言明(命題)」について考える。

2013-09-04 08:01:58
佐藤正美 @satou_masami

モノの形相は、単に存在している事だけによって事実であるという以外には有り様がない。Analystは観察しているのであって、事態を変える事は少しも考えていない。抽象し組み立てる前には、観るのである。

2013-09-05 05:18:51
佐藤正美 @satou_masami

分析したいと思う事業の構造がどういうものかということは、いささかの疑いもなく「情報(帳票等)」によって確認されているのである。証拠を示し、そうすることでそれ自体ではよく限定されていない事業に「意味」を与えるのは「情報」なのだ。

2013-09-05 06:26:03
佐藤正美 @satou_masami

論理規則は確かに狭い規則だが確固不動であって、どんなに異なった対象(たとえば、事業)を分析対象にしても常に同じ十全な規則をモデルは適用するの対して、私の体験は私の知覚に直接訴えるにもかかわらず、「規則」に類する何物をも全然持たない。私の経験は理性の材料を供給しているにすぎない。

2013-09-06 01:30:37
佐藤正美 @satou_masami

経験を一般化して新たな事態を見ると信じる、見たと思いたがる。経験則に基づいた推測は、誤謬が常に可能なのである。経験則は知恵を導くという事を実感している人が多いが、けだし、成立条件・制約束縛を度外視して事態を観るなどということを私は信じない。

2013-09-09 15:09:09
佐藤正美 @satou_masami

多くの人々が同時に同様にそれを観ている事を知る共感、これこそモデルの与える共有感のすべてである。システム・エンジニアは、自らの経験より寧ろ事物(記号)を観て、あたかも気まぐれな自分の観念に抵抗するために、事物(記号)に問い掛け、またそれらを「論理」に従って計算する。

2013-09-13 16:23:14
佐藤正美 @satou_masami

個体的な事業も共有的な表現のうちにおいてしか形を取り得ない。共有的でない事業は一つの事業では有り得ない。モデルは、表現と同意とがただ一つのものを為している。だから一つの個体(事業)を諸条件へと還元しなければならなかったのである。「論理」はそれ以上のことを成し得ない。

2013-09-13 16:23:56