『ある中学教師の2月14日』 【clum】

牟田(旧姓・早坂)先生/ 1996.2.14.Wed / 19 tweets 中学生は忙しい。学業に進路に、人間関係に。 それを見守る教師の話。 一応、これでもバレンタイン #twnovel です。
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clum @clum_memo

1996年2月14日水曜日。放課後。羽生善治七冠達成のニュースに喜ぶ学年主任の声を背に、相談室へと足を運ぶ。昨日は公立高校推薦の面接試験があったので、とりあえずの報告を聞くことになっている。とはいえ、うちの学校は中高一貫校。よそを受験する生徒は稀少だ。 #twnovel

2010-02-14 16:05:44
clum @clum_memo

談室の前で、一人の男子生徒が待っていた。鍵を開け、二人とも無言で中に入る。椅子にかけてしばらくすると「無事に面接試験、終わりました」と報告された。「そうか。面接内容はどうだった?」「思ったよりも短くて、内容も志望動機とか…浅かったです」そんなものか。 #twnovel

2010-02-14 16:41:35
clum @clum_memo

発表はまだ先だし、場合によっては一般試験で戦うことになるから、受験勉強は続けるように。そう伝えると、真面目な顔で頷いた。相談室を出て行くその後ろ姿に、もう一声かける。「折館、まずは一つ片付いたな。お疲れ」振り返った金髪が揺れて、照れくさそうに会釈をした。 #twnovel

2010-02-14 17:08:21
clum @clum_memo

館迅と入れ替わりに、うちの学年一優秀な問題児が入ってきた。「せんせー、こんな日に呼び出されるとどきどきしちゃいますよねー」軽口は無視して、茶封筒を差し出す。「チョコですか? 」なんで私がお前にやらなきゃならんのだ。入学手続きの書類だ。…そう嫌そうな顔をするな。 #twnovel

2010-02-14 17:35:29
clum @clum_memo

「ね、先生。まだ入学辞退するのって、間に合いますよね」書類の確認をしながら、何度となく聞いた台詞を呟く。「オレ、この学園の高等部でいいんですけど」またか。県下一の有名私立に軽々と受かる力を持ちながら、贅沢なことを言う。例えば、この書類を今ここで燃やすとか」 #twnovel

2010-02-14 17:52:30
clum @clum_memo

ライターの存在をちらつかせながら、悪ぶって言うようになったものだ。持ってなんかいないくせに。「残念ながら大事な書類は全部こっちにある。それは読むだけのものだ」へらっと笑って、封筒を手に相談室を出て行く背中を見送る。岡本樹の進路が決まりそうでほっと息をつく。 #twnovel

2010-02-14 17:56:51
clum @clum_memo

ちのクラスの外部受験はその二人だけなので、早々に相談室をあとにする。教室に忘れていたプリントを取りに教室に戻ると、一人の女子生徒がいた。「あ、先生」ぺこりと会釈。長い髪が揺れる。相変わらず礼儀正しい子だ。珍しく、何かを言いたそうな目でこっちを見ている。 #twnovel

2010-02-14 18:05:29
clum @clum_memo

「せ、先生っ、あのっ! 」な、なんだ⁉ 「見かけませんでしたかっ⁉ 」な、何を⁉ 「お、折館くんなんですが…」あ? あぁ、少し前に相談室から帰したけど? 「そうですか。ありがとうございます! 」お前の兄の方もさっき終わったから一緒にいるかも…って、もういない。 #twnovel

2010-02-14 18:11:37
clum @clum_memo

岡本兄妹か…。似てないようで、やっぱりどこか似てるな、あのふたりは。もうこんな時間か。今日くらいは早く帰るかな。今日は、無駄に疲れた。中学生がバレンタインデーに色めきたつのは毎年のことだが、立場上、学校内への菓子を持ち込みを許してやることはできないのだ。 #twnovel

2010-02-14 18:26:14
clum @clum_memo

もそも、私自身はそこまで目くじらを立てて取り締まりなどしたくない。生徒たちがイベントごとで盛り上がるのは構わない。ただ、頼むから。教師の目の届かないとこでやってくれ。こっちに持ってくるなんて言語道断だ。気合の入ったラッピングを突き返すのは忍びないが、仕方ない。 #twnovel

2010-02-14 18:37:25
clum @clum_memo

その点に置いて、さっきの岡本玲なんかは心配ない。持ってるカバンの形を見る限り、学校にバレンタインチョコを持ってくるなんて愚行は冒してないようだ。今から一緒に下校して、家で渡すのだろう。俺も帰るか。車に乗りかけて、校門の外に佇むひとりの女子生徒が目に入った。 #twnovel

2010-02-14 19:09:22
clum @clum_memo

「あ、牟田ちゃん…」先生と呼べ。もう下校時刻だ。早く帰りなさい。…なんだ、いつもの元気がないな。「そっ、そんなことないよ!? 先生を待ってたの! はいっ、これ! 」小振りの紙袋を押し付けられる。だから、こういうのは「…あげる」うつむいたまま、小さな声で呟いた。 #twnovel

2010-02-14 19:30:06
clum @clum_memo

その声が、あまりにもいつもの調子とは違い過ぎて戸惑う。…あぁ、左手に握り締めているのは、カードか手紙か。誰かに、渡すためのものだったんだな、これは。渡すことを諦めきれなくて、持ち帰れなくて、ここにずっと居たのか、佐野立夏は。でも「これは、受け取れない」 #twnovel

2010-02-14 20:15:58
clum @clum_memo

「で…? 結局もらってきちゃったの? 」夕食を食卓に並べながら、妻が呆れた声を出す。ちゃんと断ったんだけど、校門の外なんだから固いこと言うなって押し付けられたんだ。「あら? 佐野立夏ちゃんって、確か…一頼くんの」そうだ、このチョコは、俺の弟宛のものだ。恐らく。 #twnovel

2010-02-14 20:02:18
clum @clum_memo

「別れた彼氏にチョコだなんて、いじましいわね。そしてあなたはそれを横取り」嫌な言い方するな! 俺はゴミ箱扱いされただけだ! いや、そもそも教師がもらうチョコなんてみんなそうさ。中学生女子の行き場のないチョコの墓場だ。「じゃあ、あなた宛のチョコをどうぞ」妻が笑う。 #twnovel

2010-02-14 20:06:33
clum @clum_memo

佐野のチョコの横に、うちの愛妻チョコが並ぶ。あの子は、自分が渡すつもりだった相手の兄にチョコを渡したなんて、露ほども気付いてないんだろうな。苗字違うし。兄弟だなんて教えてないし。「一頼くんにこれ渡したら、すごい嫌がらせよね。してみる? 」しないよ、そんなこと。 #twnovel

2010-02-14 20:17:37
clum @clum_memo

学生は、大変だ。学業に進路、そして人間関係。大人になると過去が浄化されていい思い出ばかりが残るから「青春」だなんて懐かしめるけど、当の本人たちには苦いことだらけの「現実」だ。でも、だからこそ、悔いの残らぬよう精一杯生きて欲しいと思うわけだ、大人としては。 #twnovel

2010-02-14 20:23:15
clum @clum_memo

君たちが伸びゆく為の協力なら惜しまないし、行き場のない気持ちの受け皿にだってなってやる。だから、がんばれ。がんばってる人間をさらに励まして何が悪い。周囲の期待に潰されないくらい、強い人間になれ。声援は多ければ多いほどいい。…力説する俺を妻が優しい目で見つめる。 #twnovel

2010-02-14 20:32:36
clum @clum_memo

あなたがもつ生徒の初めての卒業式も、もうすぐね。…そんなに入れ込んじゃって。当日は絶対泣くわよ」だ、誰が泣くか。「あら、あなたじゃなくて生徒さんたちが、よ」くすくすと笑って、背中に寄りかかってくる。「ところで、牟田先生、私にはお礼の言葉も無しなの? 」…あ。 #twnovel

2010-02-14 20:41:43