- hiroyuki9999
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1、国立国際美術館『工藤哲巳回顧展 あなたの肖像』を鑑賞。気になったのは1960年代、芸術の前衛運動時代ぐらいから活動をはじめた工藤が【増殖】と【反復するペニス】のイメージから始まり、最後までなかなか身体の感覚器官のモチーフを http://t.co/Yko6uraCg4
2013-11-03 15:01:172、手放さなかったのに対し、地下二階のコレクション展に展示されていた同じく【増殖】と【男根のイメージ】から60年代の前衛芸術運動をはじめた草間弥生が早くも身体器官から離れドットの表象的、抽象的な表現に移行し90年代以降、大きく作家活動を展開した比較が気になった。
2013-11-03 15:06:313、正確には草間のシルバーの男根シリーズは1976年なので工藤から遅れて10年ぐらいのスパンがあるのだが。それにしても工藤の繰り返されるモチーフ、すなわち切断された男根、手足、頭部、そしてサナギや鳥籠。精神分析的な解釈いくらでもできるだろうし、
2013-11-03 15:10:184、戦後の矯正されたインポテンツな日本の社会状況の比喩にもなっているんだろうけど、身体器官が表現されなくなった後期にもあらわれる脳の神経系のカラフルなモチーフ。理性(頭)か自然(身体)かの2項対立で世界を見たとき、問題になるのが http://t.co/ruzENVv6FN
2013-11-03 15:14:265、脳器官そのものである。脳は思考なのか肉体物質なのか、またその延長器官であり神経系も同じである。工藤の作品では痛めつけられ、醜くなったペニスに対して、脳や張り巡らされた神経系はカラフルに彩られている。同じように醜い芸術家の身体を閉じこめた鳥籠は美しく彩られている。
2013-11-03 15:18:286、これは私の妄想なのだが、工藤が西洋の人間中心主義を否定し、また80年代以降の表象の戯れ(ポストモダン)にもなびかず悩みつづけた私の肖像は、身体でも男根でも、まして表象でもない、機能的な脳と、システム(構造)によって作り出される世界ではなかったのかと回顧展を見終わって思った。
2013-11-03 15:25:287、もちろんそこに行き着くまでの前近代的な土着の様相や儀式的なパフォーマンスもあるのだが、同じ肖像画をテーマとする作家として私が興味を抱いたのは、いろいろな過程を得て最後に残ったのが【神経系とその構造】であったというところだった。以上、感想でした。お粗末。
2013-11-03 15:34:29