演劇の地下空港「タガタリススムの、的、な。」を見てきました! http://t.co/LLWrHLRKoU
2013-11-17 15:56:40演劇、オペラ、ミュージカル、ライブなどの「鑑賞体験」は慣れてないので疲れる。いっつも「入って」鑑賞できない。なんでなんだろう。
2013-11-17 16:01:30寝る前に昼間に見た演劇での「鑑賞体験」について少し振り返りたい。昼間tweetした通り、ライブ、演劇、ミュージカル等の「鑑賞」においてなぜ「入って」鑑賞できないのか。自分が距離を保ちながら鑑賞してしまうのか、ということを整理したい。
2013-11-18 01:03:05一般的な絵画や彫刻といった美術作品の鑑賞とは異なり、先ほど上述したパフォーマンスを含む表現活動において「鑑賞」において一定の拘束力がその空間にはある。私語は禁止、途中退場禁止、長時間の鑑賞等、それは様々だ。なにかしらのルールがある。
2013-11-18 01:06:46そのため鑑賞者において、ある意味では強制的に「鑑賞させられる」という側面が生じる。「鑑賞させられる」ことは余計なことまで考えてしまうというのにも繋がる。例えば、このライブはいつ終わるんだろうか?とか、この舞台の費用結構かかってるな、とか、表現の根幹以外のことまで見てしまう。
2013-11-18 01:09:53一般的な美術作品においては鑑賞したくなかったら飛ばしてみることも可能だし、チラ見でも良い。ここにおいて鑑賞体験の拘束力は極めて低い。
2013-11-18 01:12:06@SGKas 演劇のいいところってそこだと思います。あと、こんなくだらないことに時間と金をつかって制作している人がいることを肌にかんじること。
2013-11-18 01:12:18次に、「演じる」という「嘘」を開演からなかなか肯定できないという部分も大きな要素でもある。例えば、「本日はご来場頂きありがとうございます」というご挨拶の3分後に「おぬし、なにものじゃあああああ」と言われても、その温度差を埋めるのに鑑賞が追いつかなかったりもする。
2013-11-18 01:15:09ここの部分においては個人差があると思うけれども、作り手だったり表現者だったりすると余計な部分を少しずつ「肯定」しながら鑑賞するので、本質的な物語の鑑賞が遅かったりもする。
2013-11-18 01:16:30そして今日一つ思ったのが「カメラ」を通じて「映像」として見る分にはそうした要素がなくなるということ。基本的には俳優は演じているが「演劇」と「映画(映像)」はやはり違う。視点を定められることによって、鑑賞が変わるのだということが結構びっくりしたことだった。
2013-11-18 01:19:42同じ内容の講演(物語)を現場で生で見ることと、映像として見ることは受け取ることが結構異なるのだと気づかされた。これはとても勉強になった。
2013-11-18 01:20:53僕はまったく演劇やミュージカルなどは疎いので時間があったらもう少し見に行きたいと思った。僕の違和感が「不慣れ」からくることなのか、なんなのか見極められたらいいなと課題を見つけられたことが今日の収穫でした。連続tweetでTL汚してすいませんでした。
2013-11-18 01:22:48@yaoki_dokidoki やっぱり肌で感じることがいいことなんですかね。ストーリーとか脚本とか、本来伝えたいであろうことが、余計な部分が目に入ることによってノイズ化してなかなか鑑賞できなかったりしました。
2013-11-18 01:24:23@SGKas なんていうか、そのうさんくさいノイズが、身体を媒体として表現する演劇やダンスというメディアの良さなんだと思います。人がリアルに生きているときに、実はあらかじめ描かれた脚本に従って演じてようとしていることを自覚させられたりもしますし。
2013-11-18 01:26:38↓たしかにフィクションはそういう部分は必ずある。ただ映画と演劇との違いはなんなんだろう。表現したい内容の伝わり方が結構ちがうんだよなぁ。
2013-11-18 01:30:11@yaoki_dokidoki 「人がリアルに生きているときに、実はあらかじめ描かれた脚本に従って演じてようとしていることを自覚させられたりもしますし。」ここがちょっとわからない。ごめん、違う言葉にするとどういうことば?
2013-11-18 01:31:56@SGKas 平田オリザさんという方がよく著書で書かれているんですが、人が人とコミュニケーションするときに、演技は不可欠であるという話があります。 つまり、「自分が思う自分」とか、「こう思うからこうする」とか、「何も思わないから何もいわない」みたいなことでは成立しない。
2013-11-18 01:34:20@SGKas 相手の気持ちを考えて、「かわいいね」とか、「美味しいね」というのは、仮に自分の感覚に背いていても、それとは別のレベルでの必要性や必然性があるから、「演技」をして、何かを表現する。
2013-11-18 01:35:26@SGKas 芸術にかかわらず、生きていくうえでの表現ということは、思念をそれとは違う行動やことばによって外部へ表出することで、そこには必ず演技性というものが伴ってきます。
2013-11-18 01:36:42@SGKas そして、漫才のかけあいのようにであったり、マンガや小説やドラマ(だけではなく、広義のストーリー)で覚えてきたあらすじにしたがって、人は演技をし、スムーズな生き方を目指します。時には不適切さや葛藤もありますが。
2013-11-18 01:38:12@SGKas だから、たとえば痛いときに「いたい!」とか、楽しいときに笑ったりしなくてもいいんですが、自分でそのことを自覚するためにも、一人きりのときでも、「いたい!」といったり、笑ったりすると思いますけども、それは基盤としてはコミュニケーションがあるんです。
2013-11-18 01:39:34@SGKas ひとりごとならば、自分という観客に対して、「痛い」ということを表明するための「演技」であるわけでして。「失恋したら→悲しい」といったような心の働きも、ある程度脚本にのっとって確かめながら、手探りしていくものだと思います。
2013-11-18 01:41:07