炭鉱で被災したボリビア人の若者のために、200年国交のなかったチリとボリビアが救出活動で協力することに

ちょっとノイズも多いですが、この話題以前のツイートでボリビアを理解することにつながりそうなことも含めてログを集めてみました。結果的にいつも以上に読みづらい編集になっていることをあらかじめお詫び申し上げます。
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上石高生 @takaoageishi

4人目に救出者されたのは、ボリビア人のカルロス・ママニさん、24歳。ここでは隣国との外交関係に配慮した形だ。チリではボリビアとの天然ガス・パイプラインを巡る課題があり、外交では領土問題があることから、関係改善が必要だった。 RT @47news 速報:チリ鉱山落盤事故の救出作業で

2010-10-14 06:14:21
サユリ🇺🇸陸の孤島 @sayuri_t_h

チリの救出作業、順調に進んでる。チリ人のお客さん、みんなサロンで泣いてた。ボリビア人も1人いるんだってね。ボリビア出身のアシスタントも仕事中に流してたネット中継が気になってしょうがなかった様子。

2010-10-14 07:10:46
らぱしおん @lapasion

チリはこれまたむかーしむかしに行ったことがありますよ。当時はまだピノチェト政権下でビクビクしながらお国入りした記憶があります。

2010-10-14 07:40:20
らぱしおん @lapasion

ピノチェトというのはラテンアメリカ初の社会主義政権・アジェンデ政権をクーデターで倒した人物で「サンチャゴに雨が降る」や「ミッシング」といった映画で悪名高い人物です。

2010-10-14 07:40:34
らぱしおん @lapasion

他のラテンアメリカ諸国の、ちょっとだれた感じの警察と違って、当時のここの警察はナチのゲシュタポを思わせる威圧感がありました。

2010-10-14 07:41:58
らぱしおん @lapasion

ただ僕が訪れた88年当時はピノチェト政権末期だったので、国民も陰で結構言いたい放題でしたけどね。

2010-10-14 07:43:06
らぱしおん @lapasion

そのかわり、他のどのラテンアメリカ諸国より治安もよかったし、何より街がこぎれいで感動したものです。僕はお隣のボリビアからスクールバスみたいなおんぼろバスで標高5000mを越えるアンデス山脈から国境を越えたので、その国力の違いに唖然としました。

2010-10-14 07:44:57
らぱしおん @lapasion

チリ最初の晩。たしかアリカという港町だったと思いますが、そのスクールバスみたいな国際バスの中で出会ったボリビア人のお兄ちゃんと、部屋をシェアして泊まりました。

2010-10-14 07:46:58
らぱしおん @lapasion

太平洋戦争と言えば僕ら日本人にとってはあのアメリカとの大戦争を意味しますが、彼らボリビア人にはチリとの海をかけた戦争を意味します。

2010-10-14 07:53:47
らぱしおん @lapasion

「元々この海は俺たちのものだったんだ。戦争に負けて、それでチリ人が奪っていったんだぜ。海って、なんだか、怖いな」とボリビア人のお兄ちゃんが半ば本気で怒りながらしゃべっていたのを思い出します。

2010-10-14 07:53:52
スキャット後藤|へんてこりんでかわいい音楽/妄想音楽図鑑シリーズ @scatgoto

200年国交のなかったボリビアとチリが...ってのが凄いなー。みんなが仲良くやるのって案外シンプルな事なのかも、と思ったり。さて、仕事する。

2010-10-14 09:27:14
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