ノルンのレース四方山話 その5 「不幸だわ―レースで活躍できなかったレーシングマシンたち―」

今回のネタは作られたはいいもののレースで戦うことがほとんど、または全くできなかったマシンたちのお話です。
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ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

今夜の #ノルンのレース四方山話 は「没になってしまったレーシングマシンたち」ということで、せっかく開発されたものの活躍する場がほとんど、またはまったくなかったマシンたちを紹介したいと思うのです。

2013-11-23 21:45:13
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

世の中何が起こるか分かりませんから、たくさんのお金や人員を使って作られたはいいものの、一度だけしか活躍できなかったり、はたまた全く日の目を見ることがなかったマシンもいるのです。―――なんだかどこかの不幸戦艦娘さんが共感抱いてそうですね。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:49:07
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

今回はそんなマシンを3台ほど紹介したいと思うのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:50:32
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

まずはMotoGPから、03年の開幕戦日本GPに参戦した1台のYZR-M1の話題なのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:52:05
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

この日本GPには通常のヤマハのレギュラー参戦チーム以外にも、M1の開発も兼ねて阿部典史選手もスポット参戦していたのです。このマシンは、他のM1とは違う特別仕様のマシンだったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:54:05
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

マシンには0WN6というコードネームが付けられていたのですが、特徴は通常は1本のリアタイヤのサスペンションが2本装備されたものだったのです。http://t.co/Ugj0bAuiyO #ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:56:09
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

当時は「ノリック(阿部選手のニックネーム)専用機だ!!」と思われていたのですが、実はヤマハの「混迷」の証のようなマシンだったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:57:38
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

当時ヤマハは10年近い長い低迷期の真っただ中だったのです。ライバルのホンダと大きく差をつけられ、優勝どころか表彰台にすら立てない状況が続いていたのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 21:59:21
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

その状況をなんとかするためにとにかく何かを作ろうということになり、その中で作られたのがこの0WN6だったのです。ノリック選手にはとりあえず作ってみたマシンの実戦でのテストを任されたわけです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:00:49
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

結局ツインサスペンションはこれといった効果を発揮することはなく日本GPでも下位に沈んでしまったため「効果なし」と判断されてそれ以降表舞台に出てくることはなかったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:02:35
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

結局この混迷は翌年の04年にロッシ選手がホンダから移籍して、それに伴って開発の体勢を大きく変えたことによって変わることになるのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:03:49
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

この0WN6のせめてもの救いは、過去に日本GPを制したことのあるノリック選手が日本で走らせたことでそれなりに注目を集めたことしょうか。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:04:56
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

続いては耐久レースから、日産の最後のグループCカーのNP35のお話なのです。http://t.co/YH0UtoWZ23 #ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:06:29
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

このマシンは、1992年当時行われていたプロトタイプマシン・グループCカーレースの最高峰、スポーツカー世界選手権(SWC)やル・マン24時間などに翌年参戦するために開発されたマシンなのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:08:51
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

エンジンはV12で排気量3.5LのNAエンジンを搭載して、フォーミュラカーのようなモノコック構造を採用した「ハコの皮を被ったフォーミュラカー」と呼ばれる作りの攻めたマシンだったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:11:38
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

実は日産はそれまではターボエンジンを採用していたのですが、91年からグループCに導入された新しいルールのために世界選手権は参戦を休止していて、復帰へ向けて開発されたのがこのマシンだったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:13:54
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

この辺りのことがよくわかるためにまずはグループCのルールの説明をしておきたいと思うのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:14:32
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

当初のグループCのマシンに課せられたルールは、簡単に表すと「主に燃費を制限するのでその中で自分が一番得意な技術を使ってクルマを作ってくださいね」というルールだったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:16:11
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

そういうわけで、グループCカーではNAエンジンだったりターボエンジンだったり、排気量が大きかったり小さかったり、さらにはマツダみたいにロータリーエンジンを採用してみたりと様々な工夫を凝らしたマシンがいっぱいいて大人気だったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:17:45
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

その人気に世界選手権などを管轄するFIA(国際自動車連盟)の当時の会長、ジャン=マリー・バレストルさんが目をつけて、同じく世界最高峰のF1とエンジンの作りのルールを統一すれば、F1チーム(主にバレストルさんの地元のプジョー)が参加すると思ったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:20:41
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

そこでルールが大きく変わって、エンジンはV12の3.5L NAに統一されて、レースも何時間も走る耐久レースからセミ耐久レースに(テレビで中継しやすくするためらしいのです)大きく変わったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:23:36
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

その大きなルール変更に反発してマツダや日産などのメーカーが多く撤退してしまったのです。トヨタやジャガー、メルセデスが続けたりプジョーの参入などはありましたけどレースは大きく変わってしまったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:26:34
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

そこで「休止」という扱いにしていた日産が世界選手権に復帰するために開発し始めたのがNP35で、92年にはマシンは完成していたのです、が……。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:28:14
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

その前年にSWCからメルセデスとジャガーが撤退してしまって、92年をもって世界選手権がなくなってしまうことになったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:29:55
ノルン・K・アルトレーネ @Norn_K_Altlene

結局NP35は同じグループCカー(旧規定)を使っていた全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)の最終戦に一度参戦したのですが、その翌年にはJSPCもなくなってしまい、結局この1回のレース参戦だけになってしまったのです。#ノルンのレース四方山話

2013-11-23 22:32:34