物語・テクスト・コンテクスト、そしてブランディング

@NaohitoOkude氏のツイートから。 コンテクストとブランディングのツイートは時系列を変えてあります。
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Naohito Okude @NaohitoOkude

創造性としったかぶりの関係は面白い。ぐっと来る創造的な表現を、それは誤用だと教条主義的に判断するけど、それが言語の詩的創造だったりする。「間違い」じゃないんだな。最近の例だと「的を得る」がある。

2010-10-15 09:12:12
Naohito Okude @NaohitoOkude

例えば、ATOKが「的を射る/当を得る」 のどちらかを選べと迫るが(いまもそう)、「そうそう、その言い方、そうだよね」というのは「的を得た」表現に出会ったときの感覚だ。意味は創造されていく。語源から状況に合わせて比喩的に引用されて新しい意味を生み出していく。これが詩的作用。

2010-10-15 09:14:04
Naohito Okude @NaohitoOkude

めちゃめちゃをやっているわけではない。ある表現を別のコンテキストに植え替えていく作業だ。そのときに意味があるいは美が生まれなくてはならない。美学的あるいは詩的判断が必要になる。連歌という集団制作の伝統をもち、戦国時代には俳句と結びつき俳諧連歌となり江戸時代に盛んになる。

2010-10-15 09:20:19
Naohito Okude @NaohitoOkude

連歌は詩の作り手同士が強烈にコンテキストを共有する。食事をしたり酒を飲んだりしながら作っていく。今までの表現を新しいコンテキストに入れたり、共有しているコンテキストに新しい表現を放り込んだりした。コンテキストを離れて俳句を成立させようとしたのが正岡子規なのだが、この話は改めて。

2010-10-15 09:22:32
Naohito Okude @NaohitoOkude

カトリック教会や仏教もそうだが儀礼が行われる場所でコテキストを共有しながら今で言うマルチメディアで表現行為を行っていた。場所と食事を共有する。饗宴だ。コンテキストを共有するということはそれを共有しない人間を排除するということでもある。排他性と表裏だ。

2010-10-15 09:43:25
Naohito Okude @NaohitoOkude

カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』に詳しいが、16世紀に教会とことなる考えを持って異端とされていた人が多くいた。コンテキスト共有に馴染まないわけだ。グーテンベルグの活版印刷機によって聖書が印刷され、教会でなくても聖書を自分で読めるようになる。ここから宗教改革が始まる。

2010-10-15 09:46:12
Naohito Okude @NaohitoOkude

聖書というテキストから生まれる意味を自分で解釈していい。あるいは牧師の説教を聞いて聖書の意味を理解すればいい。この瞬間キリスト教は教会というコンテキストから放たれたのだ。もちろんそのコンテキストが不変ではないことが大航海時代による「異文化」との遭遇で発見されるが、これも別の話。

2010-10-15 09:47:50
Naohito Okude @NaohitoOkude

さて、テキストから意味が生まれる。テキストと意味の関係が強化され、コンテキストが希薄化される。ここから近代が始まった。18世紀の啓蒙時代を経て19世紀に制度として確立される。カソリックの神父でもあったマクルーハンは活字テキストだけで意味が成立するという考え方に疑問を持つ。

2010-10-15 09:51:53
Naohito Okude @NaohitoOkude

イギリスの詩人を研究しているときにその疑問に遭遇するのだが、そこにテレビが登場する。ネットワーク化されたテレビを見ている人たちは新しいコンテキストを共有しているのだという啓示をうけたのだ。まるでカソリックの教会の儀式のようなマルチメディアのコミュニケーションをテレビが可能にする。

2010-10-15 09:53:47
Naohito Okude @NaohitoOkude

コンテキストを濃密に共有する村でのコミュニケーションのようなことが可能になると閃いたのである。マクルーハンのメディア論はここから始まる。テレビ番組の愚劣さを指摘する活字型文化人はいまもいるが、もともとコンテキストが濃厚なコミュニケーションは合理的聡明さを基本にする表現とは異なる。

2010-10-15 09:55:40
Naohito Okude @NaohitoOkude

小寺氏はマーケティングをモノやサービスに付加価値を与えることとしている。例として、ワインの値段が上げられている。一本1000円のものがあれば1万円のモノがあるのは何故か。それはワインの売り方が違うからだという。モノの成分や原料コスト、製造にかかる費用からその商品価値を決める。

2010-10-14 13:39:34
Naohito Okude @NaohitoOkude

ところがマーケティングの考え方ではモノに歴史やストーリー憧れなど、商品価値を高めることであればなんでものせて飾り立てる。「飾り立てること」がマーケティングだと小寺氏は言う。ニューヨークにいって評判のレストランに行って味がつまらなくて値段の高い料理に出会う。マーケティングの効果だ。

2010-10-14 13:45:55
Naohito Okude @NaohitoOkude

こうしたマーケティングを積み重ねてブランドが形成され、さらにそれが新たな伝説を生み出していく。マーケティングのこうした力で飾り立てることが出来ないのが日本の企業なのだ。だがこの方法を身に付けないと日本の企業に未来はないと小寺氏は言う。

2010-10-14 13:51:53
Naohito Okude @NaohitoOkude

もちろんいいモノをつくっているのだから、それをマーケティングを通して価値を高めていくという方法が必要だ。だが、このあたりは日本企業も広告会社を通じて行っていると言えば行っている。だが、問題はそこではない。問題はサービスだ。サービスには価値がありただで売るものではない。

2010-10-14 14:00:49
Naohito Okude @NaohitoOkude

日本企業が顧客に提供できるサービスの価値はマーケティングやブランディングでいくらでも向上させることが出来る。日本のメーカーはそのことに出来るだけ早く気がついて、モノつくりにサービスをくわえたビジネスを生み出す必要がある質の良いサービスは提供できている。そのブランドを作る。

2010-10-14 14:16:09
Naohito Okude @NaohitoOkude

小寺氏の議論の優れているところはこのようにマーケティングを説明しながら、マーケティングのもう一つの側面、ニーズの掘り起こしについて触れているところである。ここはデザイン思考が活用できる分野でもある。市場のニーズを探り出す努力をマーケティングの人間が行うべきだと述べるのだ。

2010-10-14 14:18:53
佐藤 敏明 @_design__

アンケート結果がマーケティングと信じる企業はまだまだ多い・・・。 QT @NaohitoOkude: 小寺氏はマーケティングをモノやサービスに付加価値を与えることとしている。例として、ワインの値段が上げられている。一本1000円のものがあれば1万円のモノがあるのは何故か。…

2010-10-14 14:20:48