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山本七平bot @yamamoto7hei
①…今ではもう想像も出来ないであろうが、日本軍というのは、そのほぼ全員が二本の足で歩いていたのである。 もちろん例外はある。 しかし例外はあくまで例外であって、兵隊は文字通りの「歩兵」であった。<『私の中の日本軍(上)』
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②機甲師団や乗車歩兵の運用には膨大な燃料がいる。 北ヴェトナムの戦車隊がどれだけの規模か知らないが…それでも、十七度線を越えてパイプラインを敷いているのである。 日本軍では、パイプラインを敷設した例はないし、その能力もなかったし、第一、作戦の面積が広すぎて不可能であった。
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③そこで一にも二にも、ただ歩け歩けの「歩兵」しかありえなかった。 だが、一たび地図を広げてみると、この歩きまわった面積と距離はあまりに広大すぎて、おそらく今では、だれにもこれだけの面積を歩きまわるというその実感がつかめないであろう。
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④この広大さに比べれば、たとえば東京の師団が京都まで進撃して、そこで戦闘開始になるなどということは、いわば最短距離である。 しかしものはためしで、この距離を炎天下に徒歩で強行軍をしたら、どんな状態になるか想像してほしい。
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⑤しかも全員が完全軍装である。 自分の衣食住は全部背に負い、その上、銃器・弾薬・鉄帽・水筒・手櫂弾等をもち、有名な「六キロ行軍」をやったら、いわゆる戦後派の、体格だけで体力なき人々などは、戦場の京都につく前に全員が倒れて、戦わずして全滅であろう。
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⑥「六キロ行軍」とは一時間の行軍速度が六キロ…これは小休止、大休止を含めての話だから大体がかけ足になる。 演習では一割から二割は倒れる事を予定してやる訳だが、戦場では落伍兵はゲリラの餌食だから「死ぬまい」「死なすまい」と思えば、文字通り蹴っとばしても…歩かせなければならない。
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⑦これは「活」であって、前に書いた私的制裁とは根本的に違う。 そして実をいうと、「活」を入れられている者はもちろん、入れている者も、目の前がくらくなっていて、半ばもうろうとした状態なのである。
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⑧「人間は熟睡したまま歩ける」といっても信ずる人はいないであろうが、夢遊病者は熟睡したまま立派に歩いている。 そして疲労の極の強行軍では、いわば人工的に一時的な夢遊病状態を現出することは、少しも珍しくない。
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①…日本軍は原則として全兵士が歩いていた。 地図で見れば非常に短く見える距離も、重装備で歩くとなればこれは大変な距離である。 「マレーの快進撃」などと当時の新聞はいとも気易く書いているが、タイ国との国境の北端からシンガポールまでの距離は、東京から下関までに等しい。
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②南方の炎暑の下で、戦闘をくりかえしつつこれだけの距離を歩いている兵士が、その行軍の過程では、一切の思考力を失って、夢遊病者のようにただ歩いていても、それが当然である。<『私の中の日本軍(上)』
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③さらに中国に目を移せば、広東省とか安徽省とか簡単に言うけれども、一省の面積が日本全体よりはるかに広いものは決して少なくない。 確かに、日本軍は、人類史上最大にして最後の「歩兵集団」であったろう。
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④「歩く」ということを基礎にした軍隊が、東アジアの全地域に展開するということ自体が、いわば狂気の沙汰である。 従って歩かされている全員が、心身ともに一種の病的な状態になっているのが当然である。
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⑤こういう場合、最初に起るのが幻聴であり、いわゆる「幻の銃声」である。 「前方、銃声」 といわれればどんな部隊でも一時停止する。 全員耳をすます。 五分、十分、何もきこえない、 また歩き出す。
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⑥これが実際には殆ど幻聴なのであって、いわば五分でも十分でもとまって休みたいという潜在的な願望から生ずるのであろう。 もちろん休みたいのは将校とて同じであり、実際行軍の苦しさの余り、 「どこかで銃声がしないか」 と心待ちに待ったという経験は、多くの人がしているはずである。
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⑦ただ誤解してならないことは、この場合の幻聴は、聞えた本人にはあくまでも聞えたのであって、休みたいので銃声がしたと嘘をついているのではないことである。
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⑧本人にとっては、この銃声はあくまでも「事実」なのである。 幻覚とは常にそういうもので、本人にとっては事実なのだから、これが場合によっては、大変な事態を惹起する。 以上の状態だけでもう十分な苦痛なのだが、苦痛はこれだけですまなかった。
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⑨厳密な意味での健康体の者は一人もいないといって過言ではない。 全員を多かれ少なかれ苦しめたのが「靴ずれ」であり、軍隊語でいえば「靴傷」である。 …こういうひどい外創のほかに、ほぼ全員が消化器不調であり脚気ぎみであった。 大体が慢性的な下痢である。
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⑩一因は過労とビタミンの不足であろうが、最大の誘因は「水」であった。 もちろん生水は厳禁だが「湯茶」などというものは戦場にはない。 その時の為に「浄水錠」という錠剤があり、これを水筒に入れてから…カルキ臭いその水を飲むわけだが、この薬も兵隊からは余り信用されていなかった。
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⑪…絶対に生水を飲むなといわれても、炎天下の行軍の喉の渇きは、どんな頑健な人間でも耐えられない。 水筒は既にからから、体中の水分はもうなくなったような感じで、汗が枯れて、顔中ざらぎらと塩をふき、血のような赤い小便が出る ――という時、誰もが飛付くのが水気の多い果実である。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑫南方ではヤシの実、中支ではウリであったそうだが、これがまた下痢もしくは食あたりの原因になる。 この弊害が余り酷いので、中支軍では…軍令まで出して「ウリの捕食」を禁じたそうだが、実をいうとヤシの実の水も…熟した度合によっては、一種の緩下剤として現地で使われているものなのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
⑬しかし、熟し方などを見ているひまはないし、大体、見てもわからないから、何でもかまわずヤシの実を落してガブガブやる―― 全員が下痢をしても不思議ではない。

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