福島の311

福島県福島市の状況。 リゲルさんがお話してくれたことをまとめました。 辛いお話をして下さったのに、どれだけ受け止められたか分かりません。 一緒に受け止めてもらえますか、あの時の福島。
15
前へ 1 2 ・・ 5 次へ
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 原発事故で汚染されたと報道された新聞を確認して、直ぐに福島県のHPで確認した数値はこれ http://t.co/RodTyGl0F4 16日の朝には20マイクロsv/hでどんどん下がっていった。初めはヨウ素が多かったから。

2013-11-16 00:35:59

県内7方部 環境放射能測定結果(暫定値)

3月11日~3月31日
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/7houbu0311-0331.pdf

リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp それを自分たちでリスクを判断しなければならなかったのが悲劇の始まりだった人も多かったのでは?当時はざやさんのいた海老名の状況よりもっと大きな地震の被害の出ていた福島市浜通りから数千人が避難してきていました。

2013-11-16 00:45:42
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 当初福島市に避難してきたのは南相馬市浪江町の人が多かった。ただの避難者ではなく、津波で家も財産も全てなくした人。家族が見つからない人。突然の避難指示で財布や携帯も持ち出すことができなかった人たちも福島市内の避難所に来ていました。

2013-11-16 00:47:57
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 資料ありがとうございます。初めの方であれ?あの年?と何度か見直してたら、いきなりでかくなって怖くなって、段々下がるのにホッとしながら、まだ少し泣いてます。意味も分からないまま数値だけ眺めていて、自分の住んでいる所なら、私ならパニクっても不思議ないです。

2013-11-16 00:51:46
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp ここに助けを求めて避難してきた人達にほとんど何もできない状況というのは辛かったです。また福島市内のほぼ全域が当時断水していたのと、3月15日には既にガソリンがどこのスタンドにもない状況で。JRは不通避難手段がない人も大勢いたのです。

2013-11-16 00:52:02
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 正直パニックになる余裕もありませんでした。いつ避難指示が出るかと思っていたので。そのだんだん下がるのにホッとする気持ちよくわかります。その数値は当時1時間ごとにラジオから流れ、TVでも常時流れていました。怖いと同時に下がる数値に期待もしていました。

2013-11-16 00:55:47
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 私は24μsv/hと初めて見たときそのリスクを調べてHPで事故前の文献を調べました。事故直後だと危険を煽るデマも多かったので。リスク0でないことはわかっていたけど。避難するにもリスクが大きかったので。どちらのリスクが大きいかを比べる資料を探した。

2013-11-16 01:00:43
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 放射能の知識なんて誰もないのに、自分でリスク判断しないといけなくて、そこへの避難者が数千人…。チェルノブイリとは違い、津波被害に遭われた方々。あまりの憔悴に寄り添って話すこともできなかったと友達が話してました。断水JRの不通、…陸の孤島。凄まじい混乱…。

2013-11-16 01:04:02
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 ヨウ素の半減期8日、初めて分かった気がしてます。私も、震災後の数日はテレビとPCに釘付けでした。自分の避難の心配はありませんでしたが、津波映像が幾度となく流れていました。

2013-11-16 01:10:18
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 避難するリスク。それは避難していた人たちを見ているだけでも容易に想像できました。大変な困難が待ち構えている。福島市よりも遠くに避難できたとしても。土地勘知り合いもいない土地で次の爆発がもしあってパニックになったら??そう考えたら簡単に避難できなかった

2013-11-16 01:10:57
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 私が調べたデータでは250msv以下では放射線障害が出ないとあった。もちろんそれは急性被曝の影響でしたが。だから「直ちに影響が出ない」急性被曝はないけど慢性被曝影響もないとは保証できないと言ってるんだなあと思って聞いてました。

2013-11-16 01:13:54
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 それ、すごいです!!あの混乱の中で、デマも飛び交う中で、0ではないことを承知しながら、どちらのリスクが大きいかの判断。…私にはムリだったと、改めて思います。

2013-11-16 01:14:42
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 あぁ、すぐ目の前に、ろくに荷物もまとめられずに避難されてきた方々がおいでだったんですね…。ここから避難したとして、土地勘も頼れる知り合いもなく…。

2013-11-16 01:17:33
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp そうヨウ素の半減期は8日セシウムは30年。当時はそう思っていました。それはチェルノブイリの知識でした。チェルノブイリの汚染地図は事故後5年経って出たので半減期2年のセシウム134は影響が小さくなっていたって事に3ヶ月ほどたって気付きました。

2013-11-16 01:17:02
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 去年9月に初めて福島に行って、新浜公園のモニタリングポストを見ました。0.248でした。高いか低いか分かっていませんでした。次は今年3月、もう少し下がっていて嬉しかったです。その変化がセシウム134の半減分だったのかなと思いました。

2013-11-16 01:29:28
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 0.248というのは除染の結果でしょうね。そこから下がった分はセシウム134の影響かもしれませんが。

2013-11-16 01:31:29
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 はい、表土除染で芝生が全部はがされたと伺いました…。だから今年8月、更に下がった数値よりも、青々と生い茂る芝生が嬉しくてたまりませんでした!!

2013-11-16 01:41:45
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 放射線被曝による健康被害がないと思ったわけではないのです。でもストレスの影響は顕著でした。眠れない。ろくに食べられない。(食べ物は備蓄があったのですが)自分でもいつ倒れるのかと思っていました。でもいつ避難指示が出るかと思うと今は絶対に倒れられないと。

2013-11-16 01:20:55
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 あの時点で、そこまで調べられていたとは。「直ちに影響は出ない」の意味、私は分からないままでした。ネットでは、その後「そういう言い方をしたから避難できずに被曝させられた」が多かったように記憶してます。リスク判断された方の判断の否定になってたんですね。

2013-11-16 01:24:12
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp それまで生きてきた中で一番危機的状況だった。とにかく誰かに助けて欲しかった。でも助けに来るにもリスクを負わせることになる。だから3月17日に覚悟を決めました。強制j避難指示があるまで逃げない。避難しないで健康被害が出るなら数年分くらいくれてやる。

2013-11-16 01:25:38
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp 助けてもらいたければ、最大限自分で出来る助かることをしなければならない。そのために出来ること。それが私にとっては避難してきた人への支援でした。

2013-11-16 01:27:36
はざや @qp_hazaya_qp

@fukusima88 いきなりものすごいストレスですよね。ひっきりなしの余震(しかも直下)、放射能被曝、しかも倒れたら避難できない…。それが支えにもなったのでしょうか。後で反動もあったと思いますが。

2013-11-16 01:32:35
リゲル @fukusima88

@qp_hazaya_qp そこまで調べられなかった人が大部分だと思います。実際避難してきた人は避難所でPC検索などできる環境ではありませんでした。また地震や津波からの災害復旧のために寝食忘れて働いていた人も多かったですから。私はある意味恵まれていました。

2013-11-16 01:33:53
前へ 1 2 ・・ 5 次へ