チェルフィッチュ『地面と床』@KAAT神奈川芸術劇場 感想まとめ

チェルフィッチュ『地面と床』KAAT神奈川芸術劇場公演の感想をまとめました。
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大内かよ Ouchi Kayo @kayooouchi

チェルフィッチュ「地面と床」を観た。「現在地」にひきつづき良かった。 http://t.co/12wGW8kd7B

2013-12-20 23:01:07
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乗越たかお @NorikoshiTakao

続) そこでの噛み合わなさぶりが悲劇の様相を呈してくる。山縣が膨れ上がって歪んだ上半身を動かす様がダイオウグソクムシのようで、最強生物感が漂っていた。

2013-12-20 22:04:09
乗越たかお @NorikoshiTakao

[チェルフィッチュ]地面と床。ねたばれ。恐るべき緊迫感の中、語り尽くし、だからこそ語られづらいことどもの残影がつきまとう。地面は動かせないが、床はどこにでも作ることができる。その地にいたら死ぬかもというとき、これから産む母とすでに産み育て死んだ母という構図はベタともいえるが、(続

2013-12-20 22:03:40
竹村優子 @take0927

そして、山縣太一の身体がすごかった。体幹とバランス感覚がどうなってるのかと思った。

2013-12-20 22:00:35
竹村優子 @take0927

「地面と床」観劇。チェルフィッチュ新作。ときどき、忘れないように日本語で話しかけてくださいと言わねばならないそう遠くない未来。一見抽象的なように見えるけど、これはめちゃくちゃ具体的な話だよね。岡田さんは一切ごまかしがないんだな。

2013-12-20 21:59:13
hunter_hunterJ @hunter_hunterJ

チェルフィッチュ『地面と床』、結局チェルフィッチュは『三月の5日間』が最高傑作だったんだなーとしかもう思えない。あれ以後、あらゆるものから逃げたんだとしかもう思えない。

2013-12-20 21:48:07
Maisel's Weisse Lover @maisels

チェルフィッチュ「地面と床」これも言葉に出来ないが、一歩下がって、また一歩進んだら違う世界に入っていたという感じ。

2013-12-20 21:42:31
イッピー @aDandyInAspic

チェルフィッチュ『地面と床』。前半半分過ぎるまで抽象度が高すぎて、いまいち何処に向かってるのかわからなかったけど、ラスト2場あたりでハタと僕的なスイッチが入り、ちゃっかり感動した。言いたいこといろいろあるけど、ひとまず山縣太一の無為の労働量に涙です。。

2013-12-20 21:41:48
村岡俊也 @toshiyammm

チェルフィッチュ『地面と床』観劇。舞台は思考の場であり、だからこそ観劇することを続けたいと思うのだ。圧倒的な緊張感は観るものに問い続ける。何を?今、生きる現実を。言葉と身体と音楽の間で、生に縛り付けられた。

2013-12-20 21:34:32
和田尚久 @naonao200170

【チェルフィッチュ】『地面と床』KAAT。これは近未来のはなしなのだが、つまり「未来においてすでに描かれている壁画」の解読(語り直し)である。おわったあとロビーで岡田さんにも偶会し同様に感想をのべた。

2013-12-20 21:32:27
和田尚久 @naonao200170

【チェルフィッチュ】『地面と床』KAAT。見られた。超ギリギリの入場(というか七時半過ぎてた)のだが、当日券あり、お手洗いにも行き、席に案内して頂き、あたまからちゃんと見られた。スタッフの皆様ありがとうございます。

2013-12-20 21:29:44
山田かの子 @kanorimo

最近のチェルフィッチュ作品、仕事後にみるにはきつすぎる。体力が。人は耳栓してアイマスクすると強制的に眠れるような身体の重さが日常に勢いでうやむやに乗り切っていることを有無も言わさずにニュートラルな状態にしてくるかんじ。

2013-12-20 21:28:32
山田かの子 @kanorimo

チェルフィッチュ『地面と床』いってきた。山縣さんが出てきて、一気にからだが重くなって、あるタイミングで影響受けてしまって座り直したら動けなくなってオンの自分をどこかに吹き飛ばされて、今もからだが重い。

2013-12-20 21:25:13
鈴木淳史 @suZukiatSufmi

昨晩はチェルフィッチュ「地面と床」に。死と再生は文字通りサイクルなのであるが、この舞台ではそれが易々と破壊された後らしく、断絶ばかり転がってる。サイクルの死を嘆くのじゃなく、それを受け入れようとする姿勢が新しいのかな?

2013-12-20 17:27:15
りかぞう\(‘jjj’)/ @izmrk

昨日のチェルフィッチュのことを反芻してる。あの緊張感、ほんっとにたまらん! カーテンコールの太一氏もたまらん!

2013-12-20 12:04:07
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB そしてこの問題は私自身にも既にはっきりとあるといえます。このように書いてきたこと自体が「現在が再現されている」上演からの痛みや軋みを(それは例えば他の観客が感じている)を抽象化して整合させてしまっている。だから、ともあれ、また一歩戻らないといけない

2013-12-20 05:46:33
中西B/N・B @NakanishiB

↓と書いたけど、まあそうかっこよくは行かないんですけどね。実のところ、不穏さを示すことに必要なはずの上演の美しさそのものが不穏さを鑑賞できるものにしてしまう。それは本当は戯曲を含む芸術作品に常にあるものですから。(続く)

2013-12-20 05:33:18
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB 現在迫っているものの恐ろしさから感じるからこその不穏と同時にです。私たちはですからそのような上演が行われたことを知り、それをまた行い続けられるかが問われるべきでしょう。なぜなら、そのような上演がこれからの私たちには必要になってしまったからです。

2013-12-20 05:25:17
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB しかし、上演というものは常に現在しか再現しないはずです(もちろん現在は歴史の中にある)、戯曲と上演はおそらくそこが違う。たぶん、私が「雲。家。」と比較して語ろうとした不穏さは、「現在を再現する上演」が行われてしまったということにもあります。(続く)

2013-12-20 05:17:55
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB の中に封じ込められている。ですけれど、読むとそれら言葉が刻まれた/刻んだものを感じる不穏な作品です。もっとも、「地面床」の上演では現在が出てしまっていることが問題です、そこであつかわれる歴史がせいぜい戦後以降のものに限られているせいもあります。(続く)

2013-12-20 05:10:27
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB それゆえにこの上演は不穏になり、それ自体で歴史的事件になっているとすら見ると感じる。「雲。家。」ではそこに「引用」されている言葉がつながっていることを前提としています。その前提こそドイツの歴史であるわけですが、それ自体は「引用」の言葉(続く)

2013-12-20 04:43:07
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB 赤軍派の手紙、ヘーゲルやフィヒテの言葉に当たるでしょう。「地面と床」ではストレートな政治的言及以外の部分もそういう意味を持ってしまったわけです。今、これと「現在地」が続けて上演されるということで、政治的、歴史的意味が突出してしまうわけです(続く)

2013-12-20 04:32:55
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB 出てきません。まあ引用とかはないはず。でも、「雲。家。」がはらんでいる不穏さは、むしろ「美智子」のほうで出てしまった、初演からこの公演までの間に山本太郎「直訴」事件が起きたからね。それはヘルダーリンの他に挟まれてる「ドイツ大学の自己主張」(続く)

2013-12-20 04:16:42
中西B/N・B @NakanishiB

@NakanishiB まあ、ホームドラマでしょう。とするとヘルダーリンの代わりに、三島由紀夫(次男の名前は「由紀夫」)だね、劇中一度も呼ばれない、幽霊である母の名前は「美智子」(現皇后)、実質主人公の長男の妻の名前は「遥」(三島の妻は瑤子)だからね。ちなみに父親は(続く)

2013-12-20 04:10:54
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