ナオミさん フィリピンでの活動を振り返って

ナオミ(@nao73714)さんが台風30号の被害を受けたフィリピンでの活動と それにまつわる思いをtweetしてくれました。
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ナオミ @nao73714

ほとんどの人々は瓦礫から拾い出したトタンや木材で屋根を作り直した。すべてトタンで出来た小屋のような作りの一時しのぎの住処も多くあった。 USAIDが支援物資をヘリ投下した際に使った大きなシートを屋根代わりに使う建物、ブルーシートの屋根もいたるところで見かけた。

2013-12-15 18:35:12
ナオミ @nao73714

活力のある人々は、隣のセブ島にフェリーで渡り、物資を調達。家族や地域の人のもとに持ち帰っていた。レイテに家族のいる外の人もやはりセブから大量の食糧を仕入れフェリーで渡る。被災から一週間のセブ島のフェリー乗り場は、皆が次の船を逃してたまるかと必死の様相。一瞬の油断で仲間を見失うほど

2013-12-15 18:37:15
ナオミ @nao73714

人の群れでごったがえしていた。(私も報告用の写真とってるうちにはぐれて冷や汗出ましたよ。電話ももちろん繋がらないし。ここで支援に遅れが出たり無駄なお金つかったりしたら、支援者さんたちに申し訳つかないよって。覚えたての仲間の名前連呼してすぐ見つかりましたが)

2013-12-15 18:40:49
ナオミ @nao73714

家を失ったその場で応急的な屋根や小屋を作り出し、生活をそのまま続ける人々。拾い出した家財道具を使いお米も炊く。分け合い、商売も再開し、子供たちは元気よく遊びまわり、底知れぬ強さを感じさせてくれた。 ただそこで強く気にかかったのは衛生面。バランガイと呼ばれる最小の自治単位には

2013-12-15 18:45:02
ナオミ @nao73714

場所によっては数千人の人々が密集して住んでいる。国の復旧作業はまったく追いつかず自分達で瓦礫を片付け、場所によってはご遺体さえもそのままそこにある状態で生活を続けていた。自分達で瓦礫を片付けるため、いたるところで焚き火が行われ粉塵はひどい。焚き火で火傷を負ってしまった少年もいた。

2013-12-15 18:45:58
ナオミ @nao73714

私もそういう場所で活動した日の夜は咳込んで目が覚め、翌朝には目があかないほどの眼脂が出た。 安全靴を履いていたのは支援者くらい。雨や汚れで使えなくなった靴を履くのではなくサンダルで生活を続け、釘や刃物を踏み抜いたと受診する人が後を絶たなかった。破傷風は命とりだからと、

2013-12-15 18:49:20
ナオミ @nao73714

小さな傷でも放置せずに受診することを心得てくれている人が多くいたことだけが幸いだった。 密集して暮らす地域には下痢も多い。水道がなんとか機能している地域でさえ下痢は頻繁し、上水の汚染も疑われていた。 創傷処置に欠かせないきれいな水は需要分を持ち運ぶ余裕はなく、万が一のために持参

2013-12-15 18:51:24
ナオミ @nao73714

したブリーチ(いわゆるお洗濯用のハイター)を上水に入れて使った。(これ濃度を間違うと非常に危険なので絶対に真似しないでくださいね) 無邪気に駆け寄ってくる子供達の髪にはシラミ。まだ幼い子供の薄い髪では卵も簡単に見分けられる。それでも手を伸ばされれば抱きしめずにはいられなかった。

2013-12-15 18:52:21
ナオミ @nao73714

ミッションが終わるたびにコーディネーターからシラミ取りシャンプーを使えと言われていたのは言うまでもなく。例えばそんなシャンプーや生理用品などの命に関わらない二次的なものは、薬品が届き始めても後回しにされ届かない。買いに行きたくても物流が再開した街までの距離は遠く足もない人が多い。

2013-12-15 18:55:49
ナオミ @nao73714

都市部のガソリンスタンドには一時間くらい並んでひとり2ℓしか買えないため、車の列ではなく空き瓶をもった人の列。 生活しにくさを助長させるそれらの状況は1ヶ月たっても変わってはいなかった。生活しにくさは、時間の経過とともに実際の健康被害や容易には回復しないストレスに変わってしまう。

2013-12-15 18:58:49
ナオミ @nao73714

せめて衛生面に関しては、住民が一旦住む場所を移し、ここの瓦礫を片付けられたらましになるのでは。。でも避難所すら設置出来ない状況下では、それは不可能に近いのだろう。 それでもアキノ大統領が二ヶ月以内には電気の復旧をと宣言したことから、人々はクリスマス前には灯りがつくぞと湧いていた。

2013-12-15 19:01:00
ナオミ @nao73714

復旧作業はここの人々が思っているより長くかかってしまうだろうと思うと、喜ぶ人々を前に苦い気持ちになって何も言えなかった。被災したバランガイの中の写真載せようかと思って今探したけど、やっぱちょっと無理だ。。

2013-12-15 19:07:37
ナオミ @nao73714

代わりに。 うちは台風の次の日に父ちゃんが建ててくれた家があるから大丈夫よ。泊まるとこなければ泊まっていきなさいって優しいお母さんが引っ張ってってくれた家。奥にいるのは誇らしげだった父ちゃん。 http://t.co/gLiLWpOL4D

2013-12-15 19:17:12
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ナオミ @nao73714

もともとはコンクリート造りの家だったが基礎を残してなくなってしまったそうだ。日本の人に見せてもいいかな?って聞くと、中にも入れてくれた。動くかわからないけど冷蔵庫もあるのよ、バナナの葉と竹で作った家は涼しくて気持ちいいのよって。 http://t.co/MIB0Eee1Td

2013-12-15 19:20:45
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ナオミ @nao73714

子どもたちの学校のことを少し話そう。 12月に入ってレイテ島内の小学校が再開された。その学校はもちろん半壊のまま。一番最後に訪れたタバンゴの町では子どもたちをグループに分け、午前と午後のどちらか週に3日は通えるようにしたという。屋根がかろうじて残る場所だけを使っての再開だからだ。

2013-12-15 19:24:56
ナオミ @nao73714

訪ねた学校のほとんどは、設備が雨に濡れ、壊れかけた屋根が地震のある国では心もとない。 10月に大地震のあったボホール島の学校はまだ仮設校舎でもなくテントのままだそうだ。被災地すべての学校再建、通常運営にも長い時間がかかるだろう。

2013-12-15 19:26:07
ナオミ @nao73714

フィリピンは自然災害の脅威と共存しなければならないない国。同じ被害を繰り返さないためにも、日本のように建築制限や区画整理を設けて新しい街づくりを、という思いもある。一方で、復旧復興のやり方はその国の人々が選んでゆくもの、他国の型に当てはめるのが良いわけではないという思いもある。

2013-12-15 19:29:38
ナオミ @nao73714

持ち込み型の支援の方が早いのかもしれないが、その国の復興のあり方に、他国も長く手をかしてゆく形を願う。

2013-12-15 19:31:21
ナオミ @nao73714

もう一つ気にかかること。 被災したその場で暮らす人たちの表情は明るい。これが皆が評するフィリピーノのレジリエンスなのだろう。住む場所や着るものが見栄えしなくても、世間体は気にしないかのよう。家族が元気でいてくれるのならとたくましく優しく笑う。 一方で、物流が滞るタクロバンなどから

2013-12-15 19:32:46
ナオミ @nao73714

マニラなどへの都市部に避難する人々の表情は硬かった。 あの人たちに身を寄せる場所はあるのだろうか。。 マニラでストリートチルドレンと物乞いの母子を多く見かけた後だっただけに、避難輸送機に乗った人々のその後が気になった。

2013-12-15 19:33:39
ナオミ @nao73714

災害は、それまで中流の生活をなんとか保ってきた人々を、中流層からはじき出してしまうことがある。 子供や女性の性的搾取や臓器売買、児童労働。こういうことを熟知していない私には正確なことはまったく言えないが、避難のための輸送機待ちの列にいる人々の表情からは、

2013-12-15 19:35:51
ナオミ @nao73714

避難したら楽になる生活を思い浮かべるには困難すぎた。 被災というものは、場所を変え、形を変え、長く続いてしまうのなのかもしれない。 わかりやすい記事もあったので載せておきます。 http://t.co/3XN4khYfaK

2013-12-15 19:37:14
ナオミ @nao73714

派遣期間中に、亡くなられた方や行方不明の方のご家族と話す機会はなかった。話しに出なかっただけなのかもしれない。 他国からの救援活動は台風通過から数日の遅れをとって始まったため、生存者の救援やご遺体を運ぶ作業はほとんどが自国の限られた組織と地元の人だけで行われた。

2013-12-15 19:40:02
ナオミ @nao73714

今は国からもご遺体の捜索と安置のためのボランティアが呼びかけられている。プロではない、ボランティア、だ。。 瓦礫の下の確認はまだ終わってはいない。 身元確認のためのDNA採取や歯型確認は遅れて始まったが、一日に40人の確認をとるのが限界だという。

2013-12-15 19:42:30
ナオミ @nao73714

何日もかけてお祭りのように葬儀を行う習慣のある国の人々が、さようならも言えずに家族と離れ離れになってしまうこと、その痛みは私には想像も出来ない。

2013-12-15 19:43:39
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