20代オタ女子だけど、女手ひとつで育ててくれた母が倒れた
けれど、それから数ヶ月。
@tos まとめを作ってから数カ月。母と弟の不和や経済的なこと、人間関係で疲弊した私は遂に自殺未遂や自傷さえも行なうようになり精神科のストレスケア病棟に11月から入院しました。 必死に勉強し、ヒマがあれば手芸をし、そうして退院して今は素の自分を取り戻しつつ有ります。
2014-01-04 00:48:35母を道連れにして痛みも障害も病気もないところへ逝こうか、くらいのことは考えていました。
@tos 体重は元通りまで増えました。車椅子を雪道でおすのは至難の業なので一人で行った初詣でひいたおみくじは末吉、母は大吉で「病気:治る」と書かれていたことが救いです。 育てたハーブは私の悪い気を吸うようにして枯れた。育て直しです。 http://t.co/NvOASsLb7u
2014-01-04 00:53:12「20代オタ女子だけど、女手ひとつで育ててくれた母が倒れた」http://t.co/Ezjc2wjWjNが伸びてる割にカーチャンの画像少なすぎ、な気がしたので。一本杖と装具で歩くカーチャンの勇姿をどうぞ。 http://t.co/ZEvAnI9Gp8
2014-01-04 13:36:53病院で心理士の先生は教えてくれました。
「過去と他人は変えられない。でも未来と自分は変えられる」と。
だから、このまま介護疲れで死ぬかもしれない未来を自分の手で変えることにしたんです。
一年気合で乗り切って、疲れて、落ちて、それから元に戻ることにしました。
とりあえずその、親が倒れたら病院のソーシャルワーカーに相談してそのあと市役所に駆け込んで、退院後はケアマネージャーの助けを借りる。これが一番頼りになる。
2014-01-04 14:19:22100000viewいったよってカーチャンに言ってコメントを求めてみました。恥ずかしがってましたが、次第に本音を話してくれました。
7日に起きたらマジで100000view行ったから記念に顔出ししてよって言ったみたら新作で作ったらしい猫の籠蓋で隠されましたが、母です。 http://t.co/5j4CKtOtV1
2014-01-08 00:29:22母「離婚してから一生懸命やってたら予定外の病気だよ。寒い季節と暖かい季節、あと急な温度差がある場所では脳疾患が増えるから気をつけて。悔しいです。皆さんお気をつけて。」
2014-01-08 00:33:14当時、イライラしながら暑い倉庫内とパン工場の巨大冷蔵庫を行ったり来たりしていたことが原因だと思っているようです。ちなみに高血圧性脳出血です。
でも生きていてくれてよかった。利き手の右じゃなく左半身しか持っていかれなくてよかった、喋れてよかった、家族の大切さを再認識できてよかった、って思うんですよね、私は。
それに、親子間の愛情は前より充実しているし。
もちろん、病気にならないにこしたことはないんですが、事実はひとつ、捉え方は無数にあるんですから。
だったら、ちょっとでも良かったって思えることを探したいです。そのほうが、しあわせだなっておもえますから。
2014年9月、2年経ちました。追記です。(母は安定してきたので、介護疲れのなかにある私の「それから」中心)
@tos また9月の半ばの三連休が来た。 この時期の空の色はどうにも苦手で、母が倒れた日から数日間のことを思い出す。母の意識はおぼろで、日当たりの良いICUのことは覚えていない。私はやたらと綺麗な晴れ空の色まで覚えている。
2017-09-16 22:43:34@TOS tosれてないや。 母が倒れて何日か経ったあとに、仕事場に置いてある愛車を取りに、秋空の下おばと一緒に母の職場まで歩いた。 母の上司にあたる人が「いつもこのあたりに停めてるはずなんだけど」と探してくれたが、離れた場所から見つかった。夏仕様の手作りの座布団カバーが季節から浮いてた。
2017-09-16 22:48:44@TOS 今後この車を乗ることはあるのか、車の中にあるような手作りのものを作ることは出来るのか。そういえばミシンを新調したばかりだったよな。そんなことを考えていた。母の上司からは『熱中症と思い込んで救急車を呼ばなかったミス』に関して謝られたような記憶が無い。あったとしても労いの言葉。
2017-09-16 22:51:23@TOS 母の車を車庫に入れた。しかしうちに免許を持つ人間は他に居ないので、バッテリーがあがらないよう、たまにエンジンだけかける。それでも数回あがった。また乗る日が来るように、何度か直した。引越し先には従兄が夏タイヤのままで運転して運んだ。けれど結局乗ることはなかった。
2017-09-16 22:54:54@TOS 母が退院してしばらくした秋、駐車場代もかかるからと車を売ることになった。綺麗な車だったけど、見えない部分に難があったようで廃車になった。けれど、業者さんが事情と気持ちを汲んで廃車費用は無料にしてくれてタイヤも運んでくれた。私は手作りの座布団カバーを回収した。無機質な車になった。
2017-09-16 22:59:19@TOS それから何ヶ月かしても、持っていても身分証明書になるくらいしか意味は無い車の免許を母は返そうとしなかった。身分証明書にはもう障害者手帳があるけど、山奥の田舎で生まれ育って苦労して取った免許を、車に乗れる資格に母は固執していた。返納した後の運転証明書も身分証明書になるからと説得した
2017-09-16 23:03:03@TOS 母の中で整理がついたある日、免許を返納しに行った。私はまだ仕事をしていたので弟が車椅子を押した。 1度決めたことだけれどやはり辛かったようで、母は
2017-09-16 23:04:39@TOS 号泣しながら自慢のゴールド免許の免許証を返納した。めちゃくちゃ安全運転のできる人だった。今日はそんな車の用品を、台風が来る前に少しずつベランダから処分した。ヘルパーとかいう傾斜だけは不自由な体で母がベランダに出るための補助具として残った。ジャッキは親戚にあげるつもりらしい。
2017-09-16 23:07:34@tos 早いもので2年が経ちます。この一年のまとめを書いてみようと思います。 3月。1年前の引越しの際に荷物を減らそうと父方(離縁済)から貰った五月人形を捨てたのですが(粗大ゴミ回収センターに電話して暗証番号聞いて、コンビニで粗大シール買って番号書いて玄関先に出すと捨てられます
2014-09-05 20:09:33@tos 母が「我が家は大した家柄じゃないし貧しい家系だけど雛人形だけは祖母(私の曾祖母)から貰った古いものだから、捨てないで」と強請ったため雛人形をお世話になっている新設の小規模デイサービスセンターに寄付しました。我が家にはもう何も残っていません。
2014-09-05 20:15:45@tos 母の服も靴も、麻痺した144cmの小さな体と装具の足(健側は21cm,患側は装具込みで26cmの靴)では殆ど着ることが出来なくなったので、若い頃に買ったドレスも、よく履いてたデニムも、かわいいシンデレラサイズのサンダルも母は悲しい顔をして「もう着られないね」と捨てます。
2014-09-05 20:22:44