【十】 再び厄(疫)を託され流される神さま・本牧のお馬流しから始まって… 牛鬼・帰ってきてしまう神さまの話まで(おまけ・「新平さと牛鬼」)

(2012・10/04のログ) 【九】注連縄や注連柱など結界の話から始まって…清め砂に富士塚、卒塔婆に耳塞ぎ、お屋敷神を祀る高さの領域などなどの話まで http://togetter.com/li/612840 【終】最後、大祓祝詞から祓戸四神、そして…現し世へ http://togetter.com/li/614271 続きを読む
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nis96 @niskur_

さて「桟俵を流す」という話から遡って、いろんなものを「依り代」として見てきた。 もともと触れようと思っていた話があって。それはまさに「厄を託して流す」という事が全面的にうたわれている神事。色々と寄り道もしてきたけれど、こちらを紹介して「厄を流す」という話はおしまいにします。

2012-10-04 13:12:06
nis96 @niskur_

『お馬流し』という神事。横浜の本牧という所のものらしい。地図で見てみると、こんなところに住民って残ってるの? と田舎ものからすればそう思ってしまうような場所だった。なんかかなりのギャップが… http://t.co/SqG6FHH9 【ハマの奇祭として名高い本牧神社のお馬流し】

2012-10-04 13:14:06

上の短縮リンク、正式なものはこちら↓
【お馬流し神事・本牧神社公式ウェブサイト】
http://www.honmoku.or.jp/rituals/

nis96 @niskur_

コメントを交えながら要所を引用していきますね。『お馬は六体奉製される。/作るのは古来、羽鳥家の当主と決まっており、ご当主自身が斎戒沐浴(従事する前に、心身を清めること)して約一週間かかって作り上げ、使用する茅も神社境内にて神職が修祓の上育成した「お馬の茅場」から採取される。

2012-10-04 13:16:07
nis96 @niskur_

このお馬にあらゆる厄災を託して本牧の沖合い約五キロの海上に流し去る。』(一旦止) 先にも書いたけど「厄災を託して流す」とはっきりと。前に読んだ時はこの「託す」という言葉が使われていることに気づかなかったです。「託す」という言葉はいいなと思ってたんだけど、こちらにもあったのか。

2012-10-04 13:18:04
nis96 @niskur_

ところで、磁石にしても何にしても、「集める、依せる」ためには、なにか「力」とも呼べるものが必要です。磁石なら磁力、虫や動物または人間も「美味しいもの」で引き寄せられるといえそうです。光でも集められたりしますね。もちろん虫の話。 自分と似た類の人は高い所に引き寄せられたりも…

2012-10-04 13:20:09
nis96 @niskur_

こちらの「お馬」にも何かそういう力を織り込められているのかもしれないですね。こちらは平安時代からみればさらに新しいといえる神事かもしれないけれど、記録上?であろうから、実際の起源はどうなんでしょうね。今まで見てきただけでもこの地方の風習の根はとても古そうな感じがします。

2012-10-04 13:22:06
nis96 @niskur_

(引用再開) 『祭りの前日、羽鳥家から神社へと「お馬迎え式」が行われる。六体のお馬はそれぞれ檜板の上に安置され、恭しく頭上から頭上へと渡し継がれ、決して目線より下げない。奉載する人々は真夏にもかかわらず紋付絽の羽織に袴、白足袋、白鼻緒の草履という正装姿。

2012-10-04 14:10:10
nis96 @niskur_

一歩進むごとに両脚をそろえて静止するという緩歩で、その間、忌竹を持つ人々が奉載者の周囲を絶えず祓い清める。炎天下、約五十メートルの間を半時もかけてのお馬迎え式は、地域住民のお馬に対する畏敬の念の表れともいえる。』(一旦止)

2012-10-04 14:12:11
nis96 @niskur_

「一歩進むごとに両脚をそろえて静止するという緩歩で、お馬を目の高さより下げずに運ぶ」という所。 以前に読んだ時は、奉載者の頭や体から厄か何かを吸い上げる働きをしてその為のものかな等と妄想していた。でも昨日 新たに知った事を通してみてみると、また全然違うものが見えてきます。

2012-10-04 14:14:03
nis96 @niskur_

「その間、忌竹を持つ人々が奉載者の周囲を絶えず祓い清める」と。 面白いものですね。前に見えなかったこの文が見えてくる。この人は何をやってるんだ?と。 今度は、奉載者の持っている厄を払ってるのかな、とか考えてみたり。何かよじ登ってでもくるのかな、なんてことも。(また馬鹿なことを)

2012-10-04 14:16:12
nis96 @niskur_

(再開)『その後、『待ち受けていた町内の氏子から神輿奉輿や獅子舞・お囃子の歓迎を受けるとともにそれぞれの地域の災厄が乗り移る。/親しく見送られたお馬の御列は、本牧埠頭先の舟着き場へと運ばれる。/一変して急に神船めがけて駆け出す。祭りは一気に勇壮なものになり、神船は乗員四十名、

2012-10-04 14:18:06
nis96 @niskur_

六挺の櫂、五挺の櫓で力強く沖へ漕ぎ出され、沖合では宮元の船の合図によってお馬を海上に流す。お馬は波間を軽々と泳ぐように走る。神船は流すと同時に取り舵へ左回りに船首を陸に向け、競漕となる。/お馬に託した災厄から一刻も早く逃れる意味と、勝ち船の順で神社に参詣したという。』(引用了)

2012-10-04 14:20:12
nis96 @niskur_

「厄を託して流す」という名目(?)なので、「災厄から一刻も早く逃れる意味」とあるのは当然だとも思えます。厄はできることなら避けたいし逃れたいものです。でも、疑問というほどのものではないけれど、ちょっとここに問題視というものを差し込んでみたい感じがするんです。

2012-10-04 14:22:13
nis96 @niskur_

もし現在でも厄というものが実際に認識されたならば、誰でも忌み嫌い一刻も早く遠ざけたいと思うことでしょう。 でも一方、「そういう心の姿勢において、本当にその厄に纏ろうものが全てきれいに解消されるものなのだろうか」という疑問みたいなものも、多くの人に生じるもののようにも思います。

2012-10-04 14:24:06
nis96 @niskur_

不都合だからただ単純に遠ざける、精神的に苦痛であるからその苦痛の原因と思えたものを最優先事項として消そうとする。 こうした「一見 有用に見える発想と行動こそが 実はその不都合の原因だった」というような事を多くの人は知っているんではないでしょうかね。心のどこかで。何らかの形として。

2012-10-04 14:26:03
nis96 @niskur_

ところでこの『お馬流し神事』も、もうわざわざ説明するまでもない方から教わったものです(勝手にね)。 これまでも多くの知識のみならず着想や考察までをお借りしてきましたが、ここにもhunterslogさんを知らずにそれ(発想、考察、知識)は無かっただろうというものがあるんです。

2012-10-04 15:08:58
nis96 @niskur_

hunterさんにとっては「竜蛇」というものを追いかけていく上での一側面に過ぎないものなのでしょうけれども、”だからこそ”でもあると思います。それでもやはりこうした着想は簡単なものだろうかとは思いますね。初めて見た時はまさにセンセーショナルでした。(伝えられたらいいんですが)

2012-10-04 15:11:15
HUNTER's LOG @hunterslog

桜ヶ池の「牛の化けた怪物」や、「おべんが淵」の河童が牛鬼伝承に通じるモチーフを持つ、というレポ内の話は、この牛ワニ的な牛鬼のイメージが近世以前とかには広く流布していたのじゃないか、としてみると、てんでな話でなく連絡して来るように思うのだ。

2012-08-03 18:32:27