東学と甲午農民戦争関連

趙景達『異端の民衆反乱』岩波書店 1998年についての抜書集。
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野原燐 @noharra

「かって共同体世界を覆っていたと観念される徳望家的秩序観を、開闢状況を切り開くべく〈一君万民〉の儒教的ユートピア思想にまで昇華させて、李朝両班体制にも開化派政権にも拒抗した甲午農民戦争こそ、朝鮮の一大民衆運動。」p333『異端の民衆反乱』

2010-10-23 08:41:48
野原燐 @noharra

「民衆は本来、固有な文化を持って自律的にその運動を展開していく。過去にあったと観念される牧歌的共同体への幻想をユートピア思想にまで鍛え上げつつ、現実の旧勢力や新しい資本主義にまで基底項しようとするのが、移行近代期の一般的な農民運動のあり方である。(続

2010-10-23 08:45:44
野原燐 @noharra

それは未発の契機ともいうべきもう一つの〈近代〉の追求の仕方であったとも言える。」p333同書

2010-10-23 08:46:29
野原燐 @noharra

朝鮮の外務大臣金允植は日本軍の農民軍弾圧協力を受諾するとき、「務めて恩威を併用して玉石を分かつようにし、生民のために禍を去って福を作る」ように要請。しかし、川上操六総監は10月27日電報で「東学党に対する処置は厳烈なるを要す。向後悉く殺戮すべし」と打電した。日本軍は残党を殺戮した

2010-10-23 23:21:01
野原燐 @noharra

「日本軍は大本営の命令通り、周到な大包囲作戦を展開し、農民軍を全羅道西南端に追いつめ捕虜を含めて「ことごとく殺戮」し、殲滅した。犠牲者は日清戦争の日本兵と清国兵の死傷者よりはるかに多数となった。ただし、この事実は秘密とされ、ほとんどの日本人は、今もこの事実を知らないのである。」

2010-10-23 23:08:05
野原燐 @noharra

以上、http://blogs.yahoo.co.jp/jap41234/50444985.html から引用。 日本人が甲午農民戦争を語るとき、勝敗がすでに決してから日本軍が農民兵あるいはその残党を残酷に殲滅し続けたことが、まず確認されなければならない。

2010-10-23 23:11:12
野原燐 @noharra

甲午農民戦争の志向は、反封建的であると同時に反資本主義的・反植民地主義的であり、反近代的変革ともいうべきものである」が、「異端の民衆反乱―東学と甲午農民戦争: 趙 景達」の意見。p10

2010-09-18 00:40:45
野原燐 @noharra

「エンゲルスがいう「宗教的被覆」とは、16世紀段階においては、「あらゆる知的活動の全領域における神学の優位」のために、階級闘争があくまでも、宗教上のイデオロギー的対立の形式をとって顕現せざるをえなかったことを言っているにすぎないのだから、むしろ逆説的には、宗教的異端の思想が(続く

2010-09-29 19:36:52
野原燐 @noharra

持つ歴史的役割を十分に肯定的に評価しているのだと言える。」p13『異端の民衆反乱』趙 景達  私たちの時代では意外にも広い意味の国家主義が優位。反日もある種の国家主義の地平に収束している。

2010-09-29 19:41:02
野原燐 @noharra

「前近代社会にあっては、自然災害は今日とは比較にならないくらい不可避のものとしてあり、したがって飢饉に見舞われることはしばしばであった。ただし民衆は、賑恤(貧窮者や被災者への物品供与)の対象となることによって救済され、国家はそのことによって正当性を維持していた。p24『異端の…』

2010-09-29 19:47:15
野原燐 @noharra

民を飢えさせないことによって国家が正当性を獲得するという思想。天意は仁心に基づいた民生安定にあるので、天子はこの民本主義の仁政を行う責任を負っていて、その成否によって生じる天下民心の向背に基づいて天から任免されるとした。http://bit.ly/cz7mE6

2010-09-29 19:52:55
野原燐 @noharra

金日成、正日は、儒教は遅れた間違った思想だと切り捨てる思想を近代日本から受け継ぎ、その挙句、支配者が至上であるとする国家になり、民衆を飢えさせた。私はそれを反省するためにも、英祖などの民本思想は本気で再検討に値すると考える。

2010-09-29 19:59:02
野原燐 @noharra

ヘロドトスなど以来、歴史が特に教育的なディシプリン、さらには実用的なディシプリンとして見なされてきたことを想起してみよう。 フーコーが思い出させてくれたように、歴史はつねに、科学としてではなくむしろ実用的な言い換えれば倫理的な言説として機能してきた。ヘイドンホワイトp21思想8号

2010-10-02 00:25:59
野原燐 @noharra

歴史がつねに、実用的な言い換えれば倫理的な言説だったというのは、儒教など東アジアの伝統でも同じだ。

2010-10-02 00:27:20
野原燐 @noharra

ところで近代のためには、土地の排他的私有制が前提。現実に進行している農民層分解の追認(開化派)の方が近代的。 「開化派は私的土地所有の確立を通じて地主制を近代的に改編し、資本主義に即応せしめようとした」p331同書 土地均分は反近代。近代とは何か?

2010-10-23 08:55:53
野原燐 @noharra

全琫準は1894年末捕えられ、翌3月18日死刑。一部の日本人には助命の動きあり。「黒竜会編『東亜先覚志士記伝』によれば、全琫準を説得しようとしたのは天佑侠の田中侍郎で、井上馨は彼から全琫準助命の要請を受けた模様である。」p357同書 井上は政府に圧力をかけたが開化派政府は拒否。

2010-10-23 09:10:14
野原燐 @noharra

1894年3月金玉均殺される。5月内田良平18歳は釜山で天佑侠を結成。ある日本人が経営する金山に行く。「ダイナマイトをよこせ」「貪官汚吏の民膏を剥割するを黙視するに忍びず、ダイナマイトをもらい受ける」p22『少女と右翼』唐十郎 天佑侠は東学党の乱に参加するつもりらしい!

2010-10-23 10:37:09
野原燐 @noharra

天佑侠の論理。「特に来ってみずから諸公を訪ねる所以の者は、ただ諸公が義により大道を履み、王家の衰えるを興し、百姓の流離を救わんとするその意志に感激し」「日本や韓国もと同祖同文の国と称す。隣ぎの情其存亡に対して黙過すべきにあらず」p29同書 閔氏一族+袁世凱の敵は我が味方。

2010-10-23 10:48:32
野原燐 @noharra

「本来君主を否定する論理を容易には持ち合わせえない民衆にとって、「一君万民」思想は、もっとも現実的で安直なユートピア思想であったように思われるが、日本ではそうした「一君万民」思想も」ほとんどなかった。p425 同書

2010-10-23 16:04:47
野原燐 @noharra

「原武史は、聖君絶対主義の理想が英祖と正祖、とりわけ後者にあったことを主張する李泰鎮の見解を敷衍させて、甲午農民戦争の理念に下からの「一君万民」の思想があったことを主張する著者の見解と結び付け、正祖以降から近代に至るまでの「一君万民」の思想史を概観的に叙述しているがいささか短絡的

2010-10-23 16:11:13
野原燐 @noharra

のように思われる。」「「一君万民」の理想は正祖と一部の側近の脳裏に止まり、(略)名君としての正祖の記憶は宮中や大官に刻まれることはあっても、一般の民衆に刻まれることはなかった」p386同書

2010-10-23 16:14:38
野原燐 @noharra

そうかもしれないが、原武史の「一君万民」思想の顕彰は、私にはとても興味深かった! 島薗進が現在存在すると言う「国家神道」の存在の根拠をアプリオリに侮蔑したいとの動機が、まああるよ。 天皇崇拝も許される。しかしそれは国民いや世界中の民衆の幸せと天皇が同義である限りに於いてだ。

2010-10-23 16:22:46
野原燐 @noharra

農民戦争とは何か? 1)農民階級だけでなく、領主や地方官と矛盾関係にある広範な諸階層が参加。2)中央指導部が存在しており、統一的な綱領や要求条項を持つ。3)身分制の廃棄=平等主義や貧富の解消=平均主義を志向するものとして農民的倫理を基軸として展開、民衆救済的ユートピア思想を持つ。

2010-10-24 12:04:02
野原燐 @noharra

以上、p3 趙景達『異端の民衆反乱』

2010-10-24 12:04:40
野原燐 @noharra

崔済愚(東学創始者)の出発点は、民衆が塗炭の苦しみに喘いでいるという認識であった。「崔済愚が天主との一体化(長生)→君子化・神仙化、すなわち「億兆蒼生」(万民)の「同帰一体」を通じて標榜したものは、つまるところ「輔国安民であった。(続く

2010-10-24 12:20:59