青葉の艦歴を章立てするなら「起工から開戦まで」「珊瑚海海戦まで」「第一次ソロモン海戦」「サボ島沖海戦」「第八艦隊直轄艦」「第十六戦隊」「呉」みたいな感じかなぁ。「第八艦隊」は短くなりそうだけど、続く「第十六戦隊」は結構長くなりそうなので別枠のほうがいいか
2014-02-06 15:25:56加古が健在のままサボ島沖海戦を迎えた場合、史実面のみで考えると加古が古鷹の代わりになっていたかもしれない。開戦前から青葉と加古が第一、衣笠と古鷹が第二小隊と分けられていたのが、加古沈没により青葉と古鷹が第一、衣笠が第二となっていた
2014-02-07 03:41:35古鷹の荒木艦長はそう考えていた、という証言がありましたね。加古の高橋艦長も著書を読むと五藤司令官を慕っているような文言があったのでやはりそうかもしれません
2014-02-07 03:46:33おそらく第一次ソロモン海戦から第六戦隊だけ抜き出した形、つまり青葉・加古・衣笠・古鷹の順番に、単縦陣の形を取って進軍するので、青葉と加古が助かるかどうかは衣笠の行動にかかっているかもしれない
2014-02-07 03:50:05上手く被害が分散すれば、第六戦隊からの喪失は出ずに済むかもしれない…けど、全員まとめて呉で修理にでもならない限り健在な艦はソロモン海に残ることになる(史実での衣笠のように)し、全員呉送りになったとしても先を見るといずれは…
2014-02-07 04:01:51ミッドウェーで三隈、ソロモンで加古、古鷹、衣笠を失ったあと、しばらくは重巡の喪失はなかったけど(青葉はメウエパッセージで沈みかけた)、レイテ沖海戦で一度に六隻が沈没(青葉もマニラで沈みかけた)
2014-02-07 04:20:46利根と戦隊司令部の通信記録(命令部分が切り取られたもの)は、アジア歴史資料センターの「昭和19年3月9日 軍艦利根戦闘詳報」15ページがそれじゃないかなとは思うけど詳しくは手を付けていない
2014-02-07 04:38:41古鷹青葉型が出揃ったのは1927年12月1日に編成された「第五戦隊」が最初だったのだが、この時に旗艦を務めていたのが衣笠だったという話。青葉が旗艦を務めるのは1930年になってからだが、それ以降も動きはあった
2014-02-07 18:43:03加古の高橋艦長の著書では、五藤司令官の前任、牧田司令官は加古を旗艦にしていたという話だけど、昨日の第七駆逐隊の話とかを思い出すときちんと裏付けする必要があるな
2014-02-07 18:47:47最後の旗艦は青葉と衣笠のどっちだったんだろうか。五藤司令官が戦死し、青葉の久宗艦長が司令官代理になったが、幕僚(貴島先任参謀など?)は衣笠に乗艦
2014-02-07 18:52:14