第六戦隊と駆逐艦

余弦さん(@cosA0202)の第六戦隊と駆逐艦についてのつぶやきをまとめています。
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余弦鵟 @cosA_yogen

第六戦隊の護衛に吹雪と初雪を指名したのは『増援部隊指揮官』と戦史叢書にあるが、この指揮官とは誰のことだろう。『十月一日現在の増援部隊の兵力は、本隊が三水戦司令官直率の下に「川内、日進、津輕」~』という文章があるから、第三水雷戦隊の司令官のことでいいのかな

2014-02-08 21:51:00
余弦鵟 @cosA_yogen

駆逐艦を4隻単位の隊として運用する試みは、日露戦争中に進められており、戦後も継続して駆逐隊編制を推進することになった。 横須賀鎮守府配属の名簿筆頭を第1駆逐隊とし、呉・佐世保・舞鶴の順に通し番号を打たれた。

2014-02-08 22:10:59
余弦鵟 @cosA_yogen

大正7年4月1日より、横須賀所属は1~10、呉所属は11~20、佐世保所属は21~30、舞鶴所属は31~40の番号が割り振られた。 引用 http://t.co/qyv0RryzcY

2014-02-08 22:11:11
余弦鵟 @cosA_yogen

第11駆逐隊(吹雪、初雪、白雪、叢雲)も呉鎮守府所属だった?

2014-02-08 22:12:22
余弦鵟 @cosA_yogen

第11駆逐隊の杉野修一司令官は、サボ島沖海戦のときどこにいたんだろう。吹雪と初雪は第六戦隊と同一行動。叢雲は本来は輸送隊と一緒に行動していたはずが、整備のため出発が遅れたので途中までは第六戦隊と一緒にいたという資料がある。白雪はよくわからない

2014-02-08 22:22:15
余弦鵟 @cosA_yogen

叢雲の喪失に関して『翌朝からの空襲の懸念を押しのけてまで執拗に捜索を続けたのは、司令(第11駆逐隊・杉野修一大佐)の強い想いがさせたことだった』という文献があって、でも叢雲と同じ第11駆逐隊の初雪は撤退に成功していて、その違いは

2014-02-08 22:33:34
余弦鵟 @cosA_yogen

初雪が約500名を救助したのに対し、叢雲他は1名も発見できなかったというから、その部分の違いかもしれないけど、司令官がどこにいてどのように判断したかも重要な気がしている

2014-02-08 22:35:03
余弦鵟 @cosA_yogen

あと文献を読み直していて気付いたけど、最後の「叢雲」艦長、東日出夫少佐(当時)は、最後の「雪風」艦長でもあったのか。最後の最後、中華民国に引き渡すときの

2014-02-08 22:39:38
余弦鵟 @cosA_yogen

んん、古鷹の沈没、初雪の救助打ち切りに対して『そのことを知らされていない「白雲」と「叢雲」は~』という記述もあるな・・・ (「海軍の男たち」手塚正己)

2014-02-08 22:47:03
余弦鵟 @cosA_yogen

第六戦隊がよく寄港していたラバウルでは、「花吹山」「西吹山」と名付けられた火山がよく小さな噴火を起こしていたようなので、雪を見たらその火山灰を思い出すかもしれない

2014-02-08 23:06:04