- neko_yamashita
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現実や他者と自分との関係を、非言語の闇の中から切り出してくるのが文学の言葉だと思う。多喜二はそれをマルクス主義の方法で模索し、自分自身の固有の言葉として獲得した。今はマルクスがどれだけ有効か分からないが、それでも先人の哲学の光を現実に当てることは文学には必要だと思う。
2014-02-19 19:31:01「頭からではなしに、胸から・・・・・・ということは、本ばかりよんで、社会主義とはこんなものだ、とか、調子に乗るのは、所謂、頭からの社会主義者である。が、胸から、胸の奥底から、心臓から、どうしても社会主義者にならずにはいられないのがある。」一九二七年五月小林多喜二の田口タキ宛書簡
2014-02-19 22:44:47小林多喜二の結婚: 田口タキ 森熊猛と伊藤ふじ子 多喜二忌。小林多喜二をめぐる女性といえば、小樽時代の田口タキ(1907-2009)が知られているが、東京でのわずか2年間の地下活動を支えた伊藤... http://t.co/kyyECtPjqf
2014-02-19 17:47:07【NHK札幌】 小林多喜二をしのぶ 2014年02月20日 22時56分更新 http://t.co/cBH8auiSdz
2014-02-20 23:44:15小説「蟹工船」の作者である小林多喜二が、特高警察の拷問で29歳の生命を断たれたのは、1933年2月20日のことだ。 当時の国家権力が殺したいほど憎んだ多喜二という作家は、どんな人間だったのか。... http://t.co/4ZRnlxNP1D
2014-02-20 00:02:21明日2月20日は小林多喜二が特高に虐殺された日。戦後、主犯の安倍源基は戦犯断罪を逃れ従三位勲一等の受賞にまで至る。その部下らも皆、処罰されず悔恨もせず天寿を全うしている。戦後がどんどん風化する。この湧き上がる怒りが少しでもその抑止になればと願う。
2014-02-19 20:37:04今日は小林多喜二の命日。共産党員で著名なプロレタリア作家、特高に虐殺された。 高校時代、父は「労働者の現場に心を寄せろ」と、三冊の本をくれた。 多喜二の「蟹工船」徳永直の「太陽のない街」マルクスの「賃労働と資本」 生きる道標となった。 http://t.co/w4vvkWCiXj
2014-02-20 11:27:37#69の会 梓沢弁護士のお話。涙が出そうになる… 憲法の【拷問は絶対にこれを禁止する】の【絶対に】を自民党の改憲草案では削除されている。 小林多喜二さんが受けた拷問の話…国家が拷問をすることの残虐さを語っている。 http://t.co/s5ppr7lAA9
2013-06-09 21:41:41「困難な情勢になってはじめて誰が敵か、 誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。」小林多喜二
2014-02-20 00:03:07待っていれば誰かが助けてくれるなんてことはない。自分自身で立ち上がらなくてはならない。そう気付いた幾百万もの人々が手を結び合わせた時、社会は帰られる。過酷な労働や貧困に苦しむ現代の青年たちに、小林多喜二はそう呼びかけている―能島龍三(日本民主主義文学会事務局長)
2014-02-19 12:29:16【ブログ更新!】小樽小紀行―2月20日多喜二の命日によせて http://t.co/xM36j1JIzO 河津聖恵ブログ「詩空間」
2014-02-21 00:14:05【ブログ更新!】小樽小紀行―2月20日多喜二の命日によせて② http://t.co/A9I97olhhc 河津聖恵ブログ「詩空間」
2014-02-24 00:18:17