外世の経験のおはなし(第3弾)

どうしたことだろう、それは物語の一般的感覚、素朴な感覚のハズなのに それがげんに魔術の関わりを持つのなら 世界に住む人の見るものは、 とても外世の感覚の混ざったものになると思うのだけど 続きを読む
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そう考えると、寧ろ定義を逆にしたほうがええんじゃないのか? って問題が浮上してしまう。

2014-03-02 00:05:30
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり、「特殊的外世」の意味こそが、実際に外世を見てる感覚のことなのだ、という風に定義し、「一般的外世」の意味を、現世内で感じる強度の強いもの、の意味にするという事だ。

2014-03-02 00:06:02
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だがこれも問題だ。実際に「外世」を見る感覚、幻想的感覚であるはずなのに、そっちのほうが「特殊」と呼ばれているのだ。べつだん外世を見ないタイプの外世感覚も存在してるのに、そっち側のほうが「一般的」と呼ばれているのはおかしいのだ。

2014-03-02 00:07:24
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

すなわち、外世を実際に感じる感覚が、特殊だと言ってしまうと、当面の外世側から見た時に、「なんでそれが特殊なのん?」と言われちゃうのである。

2014-03-02 00:07:55
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

さて、重要なのはこっから先だ。「なんで」、この両者の概念は、こういうヘンな問題を抱えちゃうのか。これこそが哲学的な疑問だ。

2014-03-02 00:08:24
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ただ、其の理由は「外世」の持つ性質それ自体にある。 外世という単語が、外世「でない側」からの定義であること、これが原因なのだ。 外世とは、飽く迄それを論じる側の今いる世界を現世界を中心に定義した単語だから、逆を言えば、外世にとって、この世界は外世なのだ。

2014-03-02 00:09:54
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

一方で、現世界というものを、「人間存在(ハイデガー的な現存在)の現に生きている世界」として定義した場合は話が違ってくる。その場合、人間存在が投企している世界の範囲だけが現世界となるので、その中になかったものが、全て(空間世界に内在していても)外世になってしまうのだ。

2014-03-02 00:11:26
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり例えば、ハイデガーが大地(Erde)世界を作る(Welten)哲学、を考えてたにもかかわらず、その大地がテレビに映る地球だった…つまり大地という投企が出来ないくらいに大地が浮いていたというこういうショックは、現存在に対しての、外世的感覚として、含まれてしまうわけだ。

2014-03-02 00:12:41
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ほかにも、新しい発明をしたときの閃き(アインシュタインにおける光速の思考実験とか)や、他人に指摘されて自分の過ちに気付いて気持ちが晴れる時(ヒュームを読んで独我論の微睡から覚めるカントとか)、音楽や創作等を鑑賞して、いままでにない感傷を受けた時等々。

2014-03-02 00:13:59
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

これらを全部「外世」と呼ぶことができるようになってしまうのだ。

2014-03-02 00:14:17
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり、現世内部での感覚を一般的とすれば、外世を含んだ一般性は特殊なものに、 外世を一般的な世界としてふくんだ目線で一般的とすれば、現世内部での感覚はその例外物として定義するという、奇妙な関係が成り立ってしまうのである。

2014-03-02 00:15:47
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そしてこれこそは、「外世」がどうして他の人に説明しづらい感覚あるいは経験、その内容であるかを如実に物語る事柄である。それが一般的で客観的というためには、その世界を認めている者でなければならず、そうでない者たちにとっては、どうしてもこれが特殊な対象に捉えざるを得ないからなのだ。

2014-03-02 00:17:15
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

まあ、ド簡単に言えば、そういう感覚は、言語のせいでもある。あるいは、社会のせい。 言語や構築してきた社会が、通念として根底に植え付けた物事として、「世界は此の世しかない」と言うある種の現実主義(Realism)を流布したと言うこと、これにあるのである。

2014-03-02 00:18:11
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そういや、今思ったんだけども、音楽的なもの、アート的なものとトムさんが言ってたもの(分脈への関連を除いて、音楽的強度を持つもの)とは、はっきりと区別が出来るんだろうか。 アートと外世を区別して語っていたが、実はそっちも外世でしたと言う事はないだろうか。

2014-03-02 00:21:22
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

外世の経験者が、外世と違うものと言っている以上、そう捉えたほうが合理的かもしれないけども。ただ、割と重要な問題で、それこそ、この問題において、僕(悉若無)がオノ・ヨーコの特殊な音楽性に驚くのは、それが僕にとって(現存在に対する)外世だったという言い方が可能だと言う事。

2014-03-02 00:22:34
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

神の問題と同じで、外世もまた、感じ取れる対象に対して、目前ではその実在Or実存は伏せられてるわけだ。そして、伏せられてるからこそ、たとえ外世が実質的に存在しないコンセプチュアルなものでも、「作家誰々の”世界観”」と言う風に経験を説明できるという背景が、このテの話には存在するのだ。

2014-03-02 00:23:51
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

たとえコンセプトと記号の組み合わせだけからでも、世界観を作ることは可能であると言う事。そこでの「世界観」はほとんど「世界感」と言ってもいいほどなのだ。 そう考えれば、例えば東浩紀における「データベース」論は、この段階のレベルで止まった考え方だと言う事が出来る。

2014-03-02 00:24:52
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり前ツイートにおける「コンセプトと記号」がデータベースに該当し、「世界観(世界感)」が「小さな物語たち」に該当する。前者の組み合わせによってできた後者を、プレーヤーは消費する、などと言っていたのだから。

2014-03-02 00:25:56
トムスプリング(I ∃xist) @magicalsammy

@L_O_Nihilum 「世」を旅するたびに、場所ごとに通底するコンセンサスとかコモンセンスが違がうから、そのストレスが極限まで少ない「根源」の世界を仄かにでも持ってると、遅いし浅く見える。でも、現世では体を鍛えるとか知識を鍛えるとかで理想に近づける方向に行かなかったからなあ。

2014-03-02 00:27:14
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ゴーストの条件なんかもまあ、そうだ。外世そのもに入るのは踏みとどまるか、見ないふりしている。ゴーストとは要はさっきのコンセプトと記号(あるいはその集合)がネット上の相互性に乗ることでさまざまに解釈・再生産されることで、キャラが新生する仕組みを描写したものだ。

2014-03-02 00:28:50
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@magicalsammy 現世内部でも極限方向を目指すことは可能なんですよね(そのために勝負のある”世界”、例えばスポーツの”世界”等ではその奥深さが存在する)。→:

2014-03-02 00:31:45
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@magicalsammy :そしてそういうのが可能と分かった時、現世内の人がそうしたものを世界として(あたかも外世だったかのように)分別する。その方法の一つが例えば「文脈」だったり、所謂「言語ゲーム」だったりするわけですよね。「社会」「国家」もその種。

2014-03-02 00:32:31
トムスプリング(I ∃xist) @magicalsammy

@L_O_Nihilum 例えば将棋囲碁なんかもそうなんだと思えるのよね。でも将棋はコンピューターは追い付き始めてるからねえ。

2014-03-02 00:33:31
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

で、これはまあ…なんつーか、多世界解釈VSコペンハーゲン解釈、的な問題のレベルと重なっちゃうんだよね(アレよりも事態は重大になってるけど)。つまり、この世で分かりえることがらの範囲であるなら、今まで通りの説明で別にいいじゃん、って言って、結局外世と言う語を持ちこめずに終わる。

2014-03-02 00:34:07
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@magicalsammy というか結局のところ「ゲーム(試合)」とは「手段Aをした時の結果A'がどうでるか」の経験の集まりなので、極限まで試行が繰り返されたら、それ以上は結果が出なくなる。言い換えれば、如何なるゲームも、「(その状況の)最適な結果」は存在するわけで。→

2014-03-02 00:36:04
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