『緑子の部屋』6つに分かれた場面のなかで「緑子」に対しての位置や背景や関係がびよーんと伸びたり縮んだり捻れたりしながらも、基本的に「井尾」「大熊」「佐竹」と名を持つこと。の重力をどう表現したらいいのか。ズレてズレて最終的に「井尾」が「緑子」である瞬間が来る、奇妙などん詰まりの一周
2014-04-02 23:54:44『緑子の部屋』3人の登場人物と不在の1人を描く形態は『三月の5日間』での「あっじゃあ話しまーす」と観客に向かい若者言葉の句読点のなさを駆使し、話の主体として語られていたと思っていたものがいつの間にか伝聞として語られている、ようなずるりとした主客の一体や移行の延長線上のものと感じた
2014-04-02 23:48:303331 ARTS CHIYODAで鳥公園『緑子の部屋』。どうしたらいいか分からない慢性的な哀しさ、あっぷあっぷを圧し殺してしか過ぎていかないけど切迫してるわけではない、この情緒は形容するとクリアすぎる、心臓がしんどい
2014-04-02 23:48:06『緑子の部屋』この発言https://t.co/aVhCNRoamlを受けて行ったわけだが、マーム以降が飛び飛びな自分にはいまいち「切断の予感」の真意が実感できなかった。先端の動向を追う人の詳しい見解の待ちたいところ
2014-04-02 23:40:22あっ市田邸じゃない田中邸だ…http://t.co/xqwCOghzqA 鳥公園の市田邸での『おばあちゃんのニワオハカ』は強烈な空間体験で、死と草と米の音の感触が残っていたのだが、それ以来ぶりの『緑子の部屋』、目撃しといてよかったなと思った。でも言語化には時間と量がかかる
2014-04-02 23:24:14半年以上ぶりに観た演劇、鳥公園『緑子の部屋』http://t.co/9lvJJPvGyhに演劇欲を猛烈に刺激され砂の上の企画『水分-みくまり』http://t.co/fy1r4tEYL2をギリ予約…上野の市田邸は鳥公園の『おばあちゃんのニワオハカ』以来だし鳥公園見たのはそれ以来…
2014-04-02 23:17:25〈『緑子の部屋』もう少し続き〉はえぎわ、サンプルなどの技法の影響を強く感じた。(おそらく詳しい方なら、他にもまだ見つけられただろう。)当然わざとだろうからよいのだが、「コラージュでござい」が許される時間は短いような気もする。長く書きすぎたので、「視点」のことは割愛。次回も楽しみ。
2014-04-02 15:46:16〈『緑子の部屋』まだ続き〉しかし、ナチスは、どちらのユダヤ人も弾圧する。差別というのは、そういった人間のコラージュ性を否定する暴力的な行為だ。といったことなどを考えさせられるお芝居だった。最後に、技法もコラージュされていて、僕が感じただけでも、チェルフィッチュ、〈もう少し続く〉
2014-04-02 15:38:36〈『緑子の部屋』さらに続き〉だから、「中国人」もいろいろで、在日中国人のなかには、中国に住む人々のふるまいが苦手な人もいるだろう。フロイトはユダヤ人だったが、ユダヤ教と、ユダヤ教を信じるユダヤ人が嫌いだった。当時、ウィーンにはフロイトのようなユダヤ人は多かった。〈まだ続く〉
2014-04-02 15:32:34〈『緑子の部屋』続き〉眠くなるからこそ面白い。次に意味の次元では、人がつなぎ合わせのコラージュであること、人の記憶は時に2人以上の記憶のコラージュかもしれないことが語られる。確かに、ある人の身に起きたことと記憶していたのに、全然別の人の事件だったということは、ある。〈さらに続く〉
2014-04-02 15:27:52鳥公園『緑子の部屋』観劇(3/30昼)。前回の『カンロ』より腑に落ちた。一層現代アート的になった印象。全体的には、コラージュと視点についてのお芝居だと思う。コラージュは多層的で、まず物語自体がコラージュ。6つほどの物語の断片が演じられる。物語性が弱いから少し眠くなるが、〈続く〉
2014-04-02 15:19:0030日夜、鳥公園『緑子の部屋』2回目。1回目は食卓の正面の席に座った。良い選択だったと思うが、映像と役者が重なるとどうなるんだろうと気になってしかたがなく、2回目は食卓のサイド、映像が映る壁を正面から見る席で。やはり臨場感は薄れる。映像の効果も思ってたよりは劇的ではなかった。
2014-04-02 00:00:20で、西尾さん違いだが昨日は鳥公園『緑子の部屋』を観た。鳥公園の演劇宣言、という言葉が頭を去来した。これもまた幽霊というキーワードで語ることもできるだろう。あと、桜の季節に観ていなければもっと違った感想になるかもしれないと、今思った。
2014-04-01 20:08:56昨日観た「鳥公園」の緑子の部屋が時間がたってじわじわと面白さが染みてきた。すごく不思議なテンポと視点だった。公演の色と空気が心地よかった。 会場のArtsChiyoda3331もよかったなぁ。 楽日に間に合って、観に行けてよかった公演。
2014-04-01 14:21:57そういった役のずらしを、ある(不在の)女の話、昔つきあっていた女の話、昔つきあっていた女の話をされる女の話に適用するのは、とても合っている手法じゃないかと思いました。緑子の部屋
2014-04-01 08:31:03鳥公園は台本読んだほうがよくわかる的な感想がつぶやかれていて、緑子の部屋の台本読み返して、確かにこれがどういう話なのかは台本読んだほうがわかりやすいかも。ある人(緑子)のセリフがほかの身体・役(兄)を通して言われることで、それを緑子のセリフとして受け取る割合が低下する。
2014-04-01 08:21:41鳥公園(作・演出 西尾佳織)『緑子の部屋』。人を代替することなんて「視線」を移すくらいにわけのないこと。言葉をコラージュして、コラージュの街に、コラージュの恋人を立たせる。血肉さえもがれて誰かの一部になるのなら、こうして生きていても私は「誰でもない」んだと思う。上演台本を購入。
2014-04-01 01:53:24(続き)観客は、壁に映し出された奥に重なる複数のぼやけた部屋のように、透過率の異なる複数の、しかし同一である人物を目撃し、“目殺”する。人によって見えているものが全然違ったのではないだろうか。演劇そのもの。
2014-03-31 23:34:35鳥公園『緑子の部屋』。不在の緑子をめぐる3人劇で、役者それぞれが複数の役をシームレスに切り替えながら進行。不在のはずの緑子の存在感が徐々に増し、逆に存在している目の前の人物が不在に思えてくる心地よい違和感の舞台。(続く)
2014-03-31 23:34:01緑子の部屋の最後のほうのシーンは、女の人に訪れる不条理なのだと思ったが、そこに男の人の身体があると、2人は対話しているように見える。つまりこれは、対話でありながら、対話でないということなのだろう。女の独白だけでも、不条理は語れたのではないかとも思ったので。
2014-03-31 16:24:50最初と最後の、画集の絵を投影しながら、そこに描かれている人物たちについて、劇のなかの人物が説明をするというシーンがとてもよかった。自分なりの説明であり、語りであるというところが。語りを聞きながら、彼ら自体の見え方が変わっていったり、絵の意味あいも変わっていったりする。緑子の部屋
2014-03-31 16:22:22鳥公園『緑子の部屋』面白かった!語る主体、語られる主体、つぎはぎとして構成される人間が現実へとスライドし、存在・身体がバラバラになる。性と名。ずれ。人間同士は究極的に通じない言葉のゲームに乗った存在であるということ。 http://t.co/5HvYgfC8dW
2014-03-31 16:19:07