【愚考録】「弱者力」の研究考察
きっかけは艦これやオタク文化への批判に対するやり取りだったのですが、いつしかエターナル艦隊氏対わたしの「どっちが社会的底辺なのか」というとんでもなく不毛な争いになり。
後日エターナル艦隊氏が指摘してますけどわたしも「臭い」ですよねw 幼稚園児の争いです
@ss11223 あはは。わらかせてくれる。わたしの本能があなたには肉体労働者の臭いを全く感じさせないっす。人に小突かれ荷物を担いで働いていたわたしにはね。
2014-03-25 00:49:01@ss11223 わたしの思う底辺、ってのはどんなに一生懸命働いても、給料は人並みをはるかに下回るのに、さらにはその仕事を悪だとされ、いない方が良いとまで言われるものだと思っているのですが、なぜかそう言う仕事にばかり就いてしまいましてね。
2014-03-25 01:37:37@ss11223 で、バブルが崩壊したあとに、わたしがいた底辺はみんな中国とかに取られてしまったので、そこで働いていた人はいまは生活保護とかそんな感じです。
2014-03-25 01:38:57@tam99z ああ、分かった。底辺って俺の考えだとそうじゃないんだよ。セックスをした事があればブルジョアで友達がいればリア充。底辺では無い。明日食う物が無い人間でもこの二つに当てはまれば底辺では無く強者
2014-03-25 20:20:05明日食べる物が無くてもセックスできる人がいて、友達がいれば強者。
うーん、そういう価値観もあるのかなあ。(実際に餓死に近い経験を持ってる人には論外なのでしょうが)
にしても、「わたしは弱者」アピールを恥ずかしげもなくできる(わたし自身にもその恥ずかしい内面があるのもよくわかりました)理由を考えてみると、「虐げられている弱者は強者を糾弾しても構わない」という法則でもなければ全く意味が無い話になります。
でも、世間でそれなりに揉まれている人なら弱者アピールする事に対して嫌悪は持てども同情なんてしないはず、なのになぜその戦略をとるのか。
誰も逆らう事が出来ない「絶対弱者」という存在を提議したのは差別論スペシャルを書いていた頃の小林よしのり氏ですが……。
でも正当な反論でさえ「絶対弱者の立場を利用して」と無理筋でも印象操作がある事が。
※下記引用まとめ中にて持病を理由に職業規制する事に対する正当な異議に対して「病人であることを盾にして、好き放題言えると勘違いしてる「病人様」ではないでしょうかね?」「あ、『子供の黒人障害従軍慰安婦』ですねww」などの揶揄が平気で出てきます。
ゴー宣自体が慰安婦論争では高校生からの異議に対して読者投稿(しかもアイヌ人でないのならなぜ北海道にいるんだ? と後のゴー宣を知ってれば目が点になる意見)や果ては西部邁氏の意見を使ってまで叩き潰す有様ですから時浦氏の言動はまあ、平常運転ではありますが。
正当な抗議でも「弱者アピール」と見なされるとそれだけで(全然論拠が成り立ってなくても)反論したみたいな構図も演出されますので迂闊な事は言えません。
しかしそれでも存在する「弱者に寄り添う心」。
普段の言動を考えると大震災の時には「こんな時こそ元気な者は経済を回せ!」と言いそうな石原元都知事でさえ。
普段のマッチョ思考、「経済を遮るような感情論は無益どころか有害」みたいなな発言はどこへやら。
花見に対して「要するに、同胞の痛みを分かち合うということでね、初めて連帯感が出来てくる」みたいな感情論最優先な「おかわいそう」が出て来る。
状況次第ではどんなマッチョな人でも屈服させる「相手に同乗する」。
つまり「同胞の痛みを分かち合えない者は異端扱い可能で屈服または排除できる」力。
対人、対団体、対国家ではある意味最強のカードになるかもしれないこの力を「弱者力」と定義してもいいのではないだろうか、と。
で。
弱者力カードは切られた瞬間、弱者に逆らう相手は強者となり、屈服・排除しても構わない、世間が、国がそれを許す、と。
なるほど、このようなカードの切り方をテレビなどで見せられ続けたら。
エターナル艦隊氏が弱者の立場にしがみつき「俺の方が真の弱者!」と言い張るのも納得でもあり。
しかし。
「弱者力」カードを切られると、強者でもなんでもない人が「不謹慎」だの「過去の反省が足りない」だの「軍靴の足音が」だの「やっぱりおたくは右傾化する」などなど。
言われる側には晴天の霹靂みたいな批判を受ける訳で。
でも、ほんとうに被害を受けるのは一方的に強者の側とされた人だったりもする訳で。
と、ここで別件の話題についての話題で冷静な意見をお見かけしましたのでこちらに引用させて頂きます(拝礼)
カルト宗教「自分が決めたルールの中でルールに反してる人にはそのルールを押し付けても良く、いくら罵倒しても問題ない教」「こいつは叩かれる理由が十分にあるしみんな叩いてるし叩いても反撃できないだろうから叩いても問題ない教」が流行りすぎじゃないですかね。
2014-03-25 05:26:19わたしは後者の方かな。>叩いているから問題ない
弱者アピールで期待される効果は同情されることで仲間を増やす事(大多数側になる)と弱者に危害、あるいはただの異論を出す側は集団の敵として認定し、殴ってもいい相手と設定ができる状況こそであり。
でもそんな「弱者力」とは使った瞬間に敵を増やしヘイト値を無駄に、異常に増やすカードでもあるはず。
今回の件ではまずはわたしが第一に反省反省です。
とは言え、やった相手には嫌われ覚悟なら。
戦法さえ間違わなければ。
非常に効果が高いのが「弱者力」。
何しろ非が無い人の非をあげつらい謝罪を求める圧力まで掛けて来るのは、我が国の隣国がいやって程見せてくれてますので。
弱者力の効果と行使の観点で考えると、対隣国には歴史的な検証よりも「我が国はもっと酷い目に遭ってます」(実際、戦中の徴集や徴用に限らず戦勝国や第三国に賠償するのに国内ではどれだけの債権放棄を強制されたか)アピールの方が高いのかもなどと考えてみるけど。
とは言え戦後焼け野原に変えられる屈辱を味わい、たくさんの物を失った苦痛を拭い去るには何が何でも強者になる、強者であらんとした国が。国民が。
弱者の地位を利用して被害者アピールとかわたしが考える日本本来の美意識ではありえないんですよねえ……、という愚考などしてみました。
しょうもない愚考にお付き合い頂き恐縮と共に感謝です。
末筆ながら考察のきっかけを作ってくださったエターナル艦隊(東方)氏やきのこ氏には感謝を。
まとめ中で引用させてもらった小林よしのり氏の分析通り、これからも弱者であるから権力と結託し、弱者アピールで強者のおたくの権利を国家権力に売り渡すご活動に励まれるでしょうが、いついつまでもご壮健で。