《神秘の印度》・浪漫主義・宗教史
ラカンがドゥルーズの『意味の論理学』を褒めたのは、「経験論的因果律」の不完全性が論理的に要請せざるをえない「超越論的因果律」のダイナミズムが記述されており、「小文字の他者」と「出来事に内在する準ー原因」が、構造とふるまいの点においてアナロジカルだと看て取ったからでしょ
2010-11-02 04:28:32「規定不可能性」は、おそらくあらゆる文化圏において、何らかの表象をうけてきた(ヤハウェだけがとりたてて先鋭的だとは、僕には思えない) ここで問われるべき問いは、おそらく三つだ
2010-11-02 10:26:451)神話的な表象と神学的な表象とに差異はあるのか? 《知的エリート》の表象と《民俗/民衆》の表象とは、区別されるべきか否か?
2010-11-02 10:27:522)「一神教」(仮)の「神」、すなわちヤハウェ=デウス=アッラーの特徴とは? よくよく考えてみると、そんなものはそれほど強くはないのではないか?
2010-11-02 10:28:443)西洋における人間主義・個人主義・理性主義⇒資本制の誕生と、キリスト教文明には、内的な連関があるのかないのか? 「一神教」(仮)のなかでヤハウェとデウスとアッラーの異同をどのように評価するか?
2010-11-02 10:31:09@mittsko すぐれて宗教学的な問いですね。「社会学者が宗教論を、宗教学者に言及せず語る」のは無理ですよ。上滑りに終わると思います。
2010-11-02 10:39:54でも、こんな重要な問いを、まともに語れる宗教学者に、僕はあまり多く会ったことがない、というのも事実(哀
2010-11-02 10:44:42こういう問いを、信仰者の方がたと歩調を共にしながら(← 大澤先生の強調点でもある)、ちゃんと考えつづけている限り、宗教学の存在意義とか、宗教学のディシプリンとか、そういうのは、こう言っちゃなんだが、ドーデモイイことであるにすぎない
2010-11-02 10:46:08@pettazzoniano 対談の前半は、僕もそう思っていたのですが、なんのなんの!後半には「上滑り」とは言い切れないところにまで喰いこんでいました(時間切れ+宮台先生マジ体不調のため、深めきれなかったですが)
2010-11-02 10:49:06@pettazzoniano ん?僕が立てた三つの問いは、「すぐれて宗教学的」と認めていただけるわけですよね?(不安
2010-11-02 11:00:05@pettazzoniano 疑いないです! 4000円、台風の折、120名を集められるかどうかは別にして、内容は圧倒的なことになるでしょうね
2010-11-02 11:19:36@mittsko ええww、三回シリーズを組んだとします。初回の入りは散々だと思います(笑)。ですが、数少ない参加者がtwitterで騒ぎ、三回目にはほぼ満員になるはずです。(先ほどの囀り、×ヴェーバ→○ヴェーバーでした。すみません)
2010-11-02 11:24:45@pettazzoniano @mittsko 鶴岡先生と深澤先生の対談、大いに期待します。「数少ない参加者がtwitterで騒ぎ、3回目には満員」ありえます。
2010-11-02 12:19:47@mmktn ありえますかッ?! たしかに、私の小さな「現代宗教論」連続講義ですら参加者は8名ですからねww @pettazzoniano
2010-11-02 12:42:51@iwri うちの大学を使うのが一番手っ取り早いんですよねぇ 目白ですけど、とりあえずお二人に伺ってみますよ
2010-11-02 21:46:04