- HANCHU_JAPAN
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オッ!『うまれてないからまだしねない』が全編公開されるらしいぞ!最近プロジェクションマッピング流行ってるけど範宙の映像は単なる情景や場面の効果ではなくて物語に絡むキャラクター性を持っていて、そんな部分が他の追随を許さない部分だと思うので見てください!
2015-12-04 15:43:53範宙遊泳さんの公演「うまれてないからまだしねない」。期間限定で全編公開なので、みなさん是非見て! 異世界へ連れて行ってくれる、不思議な感覚の公演でした。 twitter.com/HANCHU_JAPAN/s…
2015-12-03 22:54:07範宙遊泳さん動画時間空いたら観よう… というのもあるけど、12/4からの再生回数がどう伸びるか、告知ツイートのRT数とかいいね数の動向も気になる。廃墟と比べてどうか、とか…
2015-12-03 20:58:02出演したやつです。全編公開!範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』 twitter.com/hanchu_japan/s…
2015-12-03 16:46:29▲範宙遊泳|YouTube▼ 『うまれてないからまだしねない』を全編公開いたしました。 いよいよ開幕の新作『われらの血がしょうたい』開催期間中、12/14までの限定公開です。 お見逃しなく! youtu.be/1CMlK0Yydxo
2015-12-03 15:17:23質問いくつかいただいたので またお答えしますね! 「今まで感動した舞台はなんですか?」という質問ですが、非常に難しい質問!これはもう悩みます!笑 東京の範宙遊泳という劇団の 「生まれてないからまだ死ねない」という作品はとても好きでした。 劇団新感線「髑髏城の七人」も好きです✨
2015-11-18 21:28:45範宙遊泳の劇評、ワンダーランド用に書いているのだけど、4000字越えても終わんない! 論じる為にあらすじを書かないといけないのだけど、全然要約できない。 だって、ほとんど重要なんだもの。 10000字に達してしまったら、ごめんなさい。
2014-05-06 02:37:32そう、こないだ範宙を観に行ったときに、『演劇最強論』の「「演劇しかない」という切実さではなく、「演劇もある」という豊かさから演劇を選んだ」という言葉がしっくりきて。他の表現形式がフラットに選べる土壌は、他の形式からのフィードバックのあり方も豊かにするのかなとか。
2014-05-06 01:39:03『うまれてないからまだしねない』もそうだけど、時間が過ぎるということに対してどうにもできない、ということが横たわり過ぎている。可能性は瞬間瞬間で無数にあるのに、最適解を選びとる能力と時間が見合ってなさすぎるし、あげく取りうる選択の標準偏差がバカみたいに小さいことが気になって詰む
2014-05-06 01:28:28それが薄いレイヤー同士になってしまった為に、ラストの、死と生を喚起させるところがストーリー部分のレイヤーを回収するに留まってしまうことになってしまったことを残念に思った。それぞれの領域がレイヤーに留まらず存在することができたとき、この物語は大きく動き出すと思った。
2014-05-06 01:16:04そのためには、やはりスクリーンの二次元的領域がどういうものであるかがもっと定められている必要があったと思う。スクリーンを舞台上で存在させるためにはそうしなくてはならない。
2014-05-06 01:08:49そうなると、「そうだったかもしれない」世界が幾重にも連なっているにも関わらず、舞台上の“世界”はまたも薄いレイヤーのように重なり合っているようにしか思えなくなってしまうのである。言葉(ストーリー)、スクリーン、身体、このどれもが薄いレイヤーとして存在してしまう。
2014-05-06 01:06:19殆ど言葉のみで世界が展開されていったので、スクリーンは補助的な“効果”に留まってしまったように感じられた。そのため、時折スクリーンと身体とが重なり合う部分でも、スクリーンの映像は身体の“効果”に思えてならなかったというのが本音である。
2014-05-06 01:03:31「そうだったかもしれない」世界の進行が殆ど言葉(台詞)で展開されていたのが一番気になったところである。舞台上の身体の領域で行われる強固な言葉の練り上げに、二次元的な世界が侵犯してくることがあったら、二次元的な領域から世界を揺るがすことができたのではないかと思ってしまう。
2014-05-06 00:55:13この『うまれてないからまだしねない』の画面(スクリーンと言った方がいいかもしれないが)は、舞台上においてやはりスクリーンであったことがひっかかっている。舞台に薄いレイヤーがはめ込まれているような感覚。
2014-05-06 00:51:29舞台上で二次元的な物を扱うことの難しさは想像以上である。スクリーンを置くだけではそれはただの画面になる。ビデオカメラを置くだけではただのカメラである。つまり、そのものが単なるそのものとして存在してしまうか、もしくは装飾物か表象になってしまうのである。ただそれ自体に留まってしまう。
2014-05-06 00:47:32しかし、どうしてもこの『うまれてないからまだしねない』は、何かやりようがあったのではないかと思ってしまってやりきれない思いがしている。特に、画面という二次元的な領域のあり方についてだ。
2014-05-06 00:43:24その舞台の上で、いくつもの「そうだったかもしれない」世界が展開されていく。画面という二次元的な領域が舞台上という身体の領域に食い込んでいく。もう一人の「ミサ」の答えは画面から与えられるように、画面はときに絶対的な何かとして存在し、観客の思考を誘導しようとする。
2014-05-06 00:41:13範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』は、二次元的な画面と俳優の身体という二重の構造がある。画面は時に舞台上の身体を動かす力を持って存在していた(背景として書かれた文字が並ばせるなどの動きを身体に従わせる)。影を用いるところも身体大きさを越境させるような感じがした。
2014-05-06 00:36:49