その夜に（掌編SS）

◯(仮名) @kamerimaru

あいつについて、だいたいの同級生は、いつも寝ていた印象しかないだろう。俺があいつのことをよく覚えているのは、なにをかくそう、俺も成績が悪かったからだ。授業中えんえん居眠りしているあいつと同じ程度の成績だったというあたりで、当時の俺がどれくらいばかだったのか察してもらえるだろうか。

◯(仮名) @kamerimaru

補習授業はだいたい夕方からで、俺ははやいところ帰りたくて仕方がなかった。他に残されていたやつも同じだったろう。あいつだけが違った。あいつは日が暮れるほど、なんだかやけに元気になっていた。補修が終わるととんでもない勢いで校舎を飛び出していくので、夜遊び好きだという噂が流れていた。

◯(仮名) @kamerimaru

それが違うのを、俺は知っていた。というのも、倫理の試験を落としたのが俺とあいつだけだったからだ。だいたい人数が少ないほど、補習授業は後ろの時間に回される。その補講が終わったあとは、冬空はすっかり暗くなっていた。その日、あいつはやけに焦っていた。そわそわっていう方が、近いだろうか。

◯(仮名) @kamerimaru

珍しいものを見たなと、俺は飛び出そうとしていくあいつを捕まえた。なんとなくだ。どこへいくのかときいたら、一緒に来るかと聞き返された。ありえないだろう、そんなこと。だけれど俺は帰宅部で、当たり前だがそんな無茶な時間まで待ってくれている友人もいなかった。だから、なんとなくうなずいた。

◯(仮名) @kamerimaru

山の上の公園は灯りも少なくて、正直、こいつは色々と大丈夫かと訝ったものだ。俺とあいつとふたりきりだ。別に付き合ってるわけじゃない。それどころか、友達でもなかったのに。おそろしく寒いなかで、白いマフラーで口元を覆って、白い息を吐いて、あいつはずんずんと展望台への坂道を登っていった。

◯(仮名) @kamerimaru

空には見事な満月がかかっていた。星が見えないほど輝いていた。あいつは一度だけ時計を見て、それからしばらく、月を見てじっとしていた。走るあいつを追いかけて、いや、今思えばなんであんなことをしたのかわからないが、全力で走った後の息を整えて、俺は何でここへ来たのか聞いた。その時だった。

◯(仮名) @kamerimaru

月が、欠けた。それで俺も、ようやく思い出した。その日は月食だったんだ。ニュースで言っていた。俺は興味がなかったから、まるきりおぼえていなかったわけだ。あいつは白い息を吐いて笑った。なんだか少し猫に似ていた。月の消えた空には、満天の星が輝いていた。落ちてきそうな、満天の星が。

◯(仮名) @kamerimaru

それから一年ばかりして、あいつの姿が学校から消えた。消えてから四日も経って、それは要するに全校集会が週明けにあったからなのだが、あいつの行方を、俺は知った。軍隊へ行ったのだ。海にいるばけものと戦いにいったのだ。俺は驚いた。そりゃ驚く。あの居眠り魔が軍隊、冗談だと思うだろう。普通。

◯(仮名) @kamerimaru

あいつの姿を次に見たのは、半年あとの、新聞の一面を飾った、大きな写真でだ。なんとかという戦争で、化け物相手に、俺達は大勝ちしたらしい。勲功者として並ぶ中に、まじめくさりきれていない、笑ったあいつの姿があった。上司なのだろうか、立派な軍服の男と一緒に写っていた。学校で祝いがあった。

◯(仮名) @kamerimaru

それきり、あいつのことは忘れていた。おれは学校を卒業し、志望校にゆくために一年、予備校に通うことになった。その程度の余裕はある家だった。だが卒業した程度で、人間、そうそう変わるわけもない。街を出て一人暮らしをはじめた俺は、だいたい週の半分くらいも、遊び呆けていたのがほんとうだ。

◯(仮名) @kamerimaru

ある日のことだ。雀荘の抜け番で茶を飲んでいるとき、行き合って馬鹿話をしたやつが、たまたま海軍マニアだった。あいつらのような娘は花型で、どこで何をやってるのか公になっているものだ。おれは興味がなかったので、もちろん調べていなかったが、そらで言えるやつがいるなら話は別だ。聞くだろう？

◯(仮名) @kamerimaru

俺は苦労して、あいつの所属していた艦隊の名前を思い出した。行き会ったマニアのやつは少し考えて、過剰なくらいつらそうな顔で答えた。

◯(仮名) @kamerimaru

秋の作戦で、それは、全滅した艦隊ですよ。

◯(仮名) @kamerimaru

それきりだ。線香の一本を備えに行っていいものか、俺は未だに決めかねている。