結城浩「愛は究極のエコヒイキである」

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結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

家内はいつも息子に「ねえ、いい?あなたのお父さんは世界で一番数学を教えるのが上手な先生なんだからね!」という。息子は「はいはい」といなす。結城は(奥さん…めちゃめちゃハードル上げてるやん)と思いつつも感謝している。

2014-06-30 18:31:38
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

奥さんに、そして子供に、何かの点で尊敬されて嬉しくない父親がいるだろうか、いやいない(反語)。

2014-06-30 18:32:17
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

どこで学んだのか知らないけれど、家内は子供の前で決して私の(つまり子供の父親の)悪口を言わない。もちろんからかうことはよくある。でもマジな悪口は決して言わない。愚痴も言わない。いつもいいことを言う。いかに尊敬すべき父親かを語る。結城はとても感謝している。

2014-06-30 18:33:45
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

夫婦は。夫婦というものはお互いに愛し合う存在だけれど、最も近い存在であるがゆえに、互いの欠点やまずいところもたくさん知り合うことになる。もしもそこを突き合えば、いくらでも相手に致命傷を与えることができるほどに。

2014-06-30 18:34:59
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

でも、だからこそ、夫婦が相手の「良いところ」「ほめるべきところ」をきちんと把握し、子供にそれを伝えることが大事だと思っている。それは健全なバランスであり、そして健全な人間関係である。

2014-06-30 18:36:04
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

家族はいろんな意味で「ぐるっとつながっている」のだ。だから、誰かが誰かのことを悪くいう、というのはぐるり巡って、自分へのダメージになる。あるいは自分の存在基盤を揺るがすことになる。

2014-06-30 18:36:56
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

簡単な例を出すなら「まったくあのひと(自分の配偶者)はダメだよね」と主張するとしたら、その剣はすぐに自分を刺す。「じゃあ、なぜそんな人と結婚したのか」と。

2014-06-30 18:37:53
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

だから、非常にプラクティカルな意味でも、自分の家族を褒めるのがいい。励ますのがいい。配偶者を言葉を尽くして褒めるのがいい。家族が違いにめちゃめちゃエコヒイキして褒めるのがいい。と結城は思っている。

2014-06-30 18:39:02
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

思うに、愛は究極のエコヒイキである。世界中の誰が何といおうとも、自分の奥さんは世界で最高の美女であり、最高の妻であり、最高の母(子供にとって)であると言うこと。宣言すること。それがとても大事だ。と結城は思っている。誰からどんなふうに言われてもかまわない。私の家族は世界最高。

2014-06-30 18:40:27
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

愛は理論を越える。理性を越える。愛は究極のエコヒイキである。私はそれを心から信じている。三浦綾子さんだったかな。夫が泥棒するなら、妻は見張りをする。みたいなこと書いてたの。それは極端だけれど。私は夫婦としてアリだと思う。

2014-06-30 18:41:52
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

だから夫婦間ではアリバイ証明できないんだけど、まあそれはさておき。愛は究極のエコヒイキである。自分の妻のためなら、いまこの瞬間に私は命を取られてもかまわないと思うこと。それが愛である。

2014-06-30 18:42:56
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

「何を極端なこといってるの結城さん」と思う人もいるかもしれないけれど、真実です。だって、夫婦になるという時点で、大量の時間を配偶者のために、家族のために捧げることになる。それはある意味で自分のいのちを捧げているということ。

2014-06-30 18:44:12
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

自分が(少なくともこの世で)使える時間には限りがあるのです。貴重な貴重な「時間」です。その一部を他人のために使う。これは大いなる愛だと結城は思う。あるときにはその「時間」は「お金」に換算される。別のときには「時間」は「細やかな配慮」に換算される。いずれにせよ「命」の形である。

2014-06-30 18:45:37
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

このツイートを読んでいる若い未婚の方々も多いと思うけれど、結城は「プロポーズ」というのは「命を相手に捧げること」だと思っている。少なくとも、それはキリスト教的には真である。愛は命を相手に与えること。そして深い真実の恋愛をしている人は実感としてそれを感じるはず。

2014-06-30 18:47:05
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

愛は、性愛の話(だけ)ではなく、命の問題なのだ。人はみな、一人にひとつずつ命が与えられている。この世では限りあるものだけれど、本人には大切な命である。結婚なりプロポーズなりというのは、その命を「あなたの好きにしてもかまわないと宣言すること」だと思っている。

2014-06-30 18:48:42
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

そこには信頼があるだろう。見識も必要かもしれない。失敗や危険性もたくさんある。そこには「賭け」の要素もある。未来は誰も知らない。自分がプロポーズしている相手が将来どんな人になるかは世界の誰もしらない。保証できない。でも、私は「この相手に賭ける」と思う。それがプロポーズである。

2014-06-30 18:50:22
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

話を戻す。愛は究極のエコヒイキである。理論も吹っ飛ばす。理屈も吹っ飛ばす。私は、とにかく、この人を愛する。愛したい。そしてこの人に賭ける。自分の命が掛け金になってもかまわない。それが本当の愛の姿である、と結城は思う。少なくとも私はそう思って、彼女にプロポーズした。

2014-06-30 18:53:07
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

ここから先はキリスト教の話。 そして、イエス・キリストが示した愛も、命がけのものだった。「愛」=「自分の命を与える」だった。キリスト教のシンボルが十字架であることは誰でも知っている。でも、なぜ十字架がシンボルになっているかを知る人は少ない。

2014-06-30 18:54:42
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

ナザレのイエスは、自分が無罪なのに「身代わり」になって十字架に掛かった。それはジコチューなわたしのためだった。自分のことばかり考えて、勝手なことばかりしている人間のために身代わりになって十字架にかかった。

2014-06-30 18:56:33
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

それは、人間の罪をイエスがひっかぶって、身代わりになって十字架で死ぬことで、その代わりに人間が生きるためだ。身代わりというのはそういうこと。本来なら神様から「おまえは死刑だ」と言われるようなことばっかりしている人間。わたしやあなたのことです。でも、

2014-06-30 18:57:41
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

でも、神様と人間のあいだにイエスという男が入ってくれて、「この人が死刑になるかわりに私が十字架で死にます」と言った。そしてイエスが私の身代わりになった。これがキリスト教の核心にある構造です。

2014-06-30 18:58:57
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

イエスなどという男は私に関係がない、私は自分で神様の前であれ何であれ清廉潔白を証明できるという人には、キリスト教は無力です。

2014-06-30 18:59:44
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

でも、いやいやいやいや、私はやばいやばい、このままもしも全知全能の神の前に立たなければならないとしたら、絶対に死刑まちがいなし!という人には、イエスの十字架は福音です。なぜなら、その人の罪はすでに、イエスが身代わりになってくれたから。これがキリスト教の核心です。

2014-06-30 19:01:16
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

だから、もしも、自分のことを「まずい」「やばい」「絶対に私は救われない」「おれぐらい悪いやつはいない」と思っている人がいたら、きっと、キリスト教は(イエスの十字架は)あなたにとって救いとなるはず。

2014-06-30 19:02:26
結城浩 / Hiroshi Yuki @hyuki

今日の結城の連ツイはめずらしく直接的にイエスの十字架と福音を語っていますが、それは「愛」の話を始めてしまったから。

2014-06-30 19:03:18