義太夫はクラッシックと同じ、三味線の手や語りの節は細かく決まっていて、ただ、間[ま]は口伝えに伝えられるとのこと。 演者の息遣いによって間合いが変わるのに納得!
2014-07-03 21:29:58能は謡も囃子も、感情は一切使わない(「情動」は使ってるかも、と安田登師。能の場合は、あくまで物体として、相手の身体も自分の身体も見てるのかも)。そこで義太夫の竹本越孝師が「うちは感情のかたまりみたいなもの」とw
2014-07-03 21:35:05能楽が、毎公演演目が違うのが主で、海外で一週間同じ演目をされる場合、節回しを変える、というのがなんとも新鮮! 演者が飽きないように、というのがこれまた不思議なんです。
2014-07-03 21:39:21浅草木馬亭「のう、じょぎ、ろう」。楽しかった~!『寛永三馬術 大井川乗切』曲師・沢村豊子師匠。今日は屏風なし。素敵です!隣席の義太夫お目当で生浪曲は初めてという御夫婦も「三味線の人上手ねぇ、素敵ねぇ」。デスヨネ~。座談会も可愛らしかった。「口の動き見て、全部アドリブ」って天才!
2014-07-03 21:43:44浪曲の三味線は毎回違うアドリブである、という話もとても新鮮だった。アドリブだから、同じ曲は2度と弾けない。記録の問題もある。義太夫三味線や能の笛には、譜面や手の種類を書いた記録がある。浪曲には書面での記録は残ってこなかった。
2014-07-03 21:51:31しかし、浪曲は音源としては残っているそうだ。義太夫や能からしたら、音源が残っていることは羨ましいことなのかもしれない。中世の能と現代の能の上演時間を調べた研究があり、中世の能は現代の三分の一の長さだったそうだ(謡を三倍速でやるとラップに聞こえるw)。それほど音楽は変わっている。
2014-07-03 21:56:36また、能楽は一回性の新鮮さを求める芸能なのかな、とお話を聞いていて思った。能は公演ごとに演目を変える。一回しかやらないから新鮮。海外公演などで、一週間同じ演目をやるときなど、飽きてしょうがないから、囃子が演奏の長さを変えたりする。
2014-07-03 22:04:07そうすると、演者のほうも「今日はこう来たか」と思って新鮮になる。「2回同じのやると飽きますね」と安田登師(笑)。そこで義太夫勢が「掘り下げていく芸能もよいものですよ」とw 義太夫はアドリブも、手の長さを変えるということもほとんど無いようだ。
2014-07-03 22:09:21浅草木馬亭「のう、じょぎ、ろう!」。謡:安田登×笛:槻宅聡『隅田川』『夢十夜(第三夜)』。これはいい~。漱石の夢十夜、全夜やって~。フットライトに照らされて、背後に映る影が4つにも5つにもなったり、動くとボウッと巨大化したり。意図したものではなかったかもしれないが、効果的だった。
2014-07-03 22:21:53のう、じょぎ、ろう!@浅草・木馬亭 能、義太夫、浪曲それぞれの語りの在り方とそこに伴う・対峙する音(=楽器)の在り方が、伝統芸能であってもこれほどまでに違うことに目から鱗の思いだった。浪曲はアドリブ、義太夫は譜面通り、能はかなりラディカル(否パンクか?)というトークに更に驚愕。
2014-07-03 22:29:38「隅田川」の謡の時に安田登師が、歩行しながら舞台に出て中央で正面を向いてから、ググッ、と大きくなった。足元はよく見えなかったが、踵をあげて、つま先立ちになられていたのだろう。大きな動作ではないのに、かなり体が大きくなったように見えた。動き自体が大きさを示しているような感じなのだ。
2014-07-03 22:30:35浪曲は譜面がないため、記録という面で困難がある。義太夫はきっちり決まっているが間(ま)は本では分からない。間といえば、能は昔は今の三分の一くらいの上演時間だった。
2014-07-03 22:48:53三味線についての知識がないので、テクニカルタームが理解できなかったのが残念…『手』とか『節』とか。あと、浪曲は即興だから奏者は語り手を見なければならないので、お客さん(上面)を向けない、と。
2014-07-03 22:52:42日本の芸能って本当に面白いよ。プロの人たちが演じるものだけではなく、地方に残っている民俗芸能の豊かさ。最近は高齢化や過疎化などで細りつつあるとはいえ、それでもまだまだ受け継ごうという機運がある。自分の目で見て、耳で聞いて、演じることで「肉体の伝承」が行われていく。
2014-07-03 22:52:54浪曲、能、義太夫など、譜面がないことや口伝により継承されるために記録の難しさがあるとのこと(今は録音録画があるけど)。西洋音楽と比較して…だと思うけれど、これらを演劇として考えれば日本でなくてもどこでも同じのような。アーカイブ問題。
2014-07-03 23:10:07今日の木馬亭で安田登さんと槻宅聡さんが口々におっしゃっていたのは、能の「囃子方」はまさに「囃す人」であって、シテやワキにエネルギーを送るということ。その関係は、クラシック音楽の世界にも通じる。ピアノのついた弦楽器のソナタなどを聴いていると、ただの「伴奏」じゃないものね。
2014-07-03 23:11:50「のう、じょぎ、ろう」 @木馬亭 『寛永三馬術/大井川乗り切り』 玉川奈々福+沢村豊子 『伽羅先代萩/政岡忠義の段』 竹本越孝+鶴澤寛也 『隅田川』『夢十夜(第3夜)』 安田登+槻宅聡
2014-07-03 23:12:39よい作曲家、よい演奏者であればあるほど、室内楽などでもお互いのエネルギーをぶつけ合って、さらなる高みへと上っていく。ときどき格闘技みたいだなあと思う。あまり相手に譲りすぎても面白くない。
2014-07-03 23:13:15