#カーネーション 周防さんをめぐる @gontaaya さんのツイート

2011年度下半期放送、NHK朝ドラの名作「カーネーション」。2014年の再放送で私たちは再び周防さんに出会いました。「今度こそ周防さんを好きにならないように」耐えながらの@gontaayaさんの渾身のツイート群は美しく凛として、それだけでひとつの作品です。前半は放送にそったツイート、続いて【周防さん考察】では、ドラマでは語られなかった部分へ想像を広げ、もうひとつのドラマ「周防さんの物語」が紡がれていきます。随時更新いたします。(「考察」が始まって以降は、放送日に即したツイートを藤色にしています。)
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ごんたあや @gontaaya

そこで糸子はなぜ周防さんに「止めてください」と頼んだのか。糸子の行動を抑え込める存在は善作しかいなかった。喪失した父性を、周防さんに仮託している。と同時に、糸子は周防さんの男性性も意識している。止めて、と言うのは、私を見ていて、ということ。コードが錯綜している。 #カーネーション

2014-07-12 03:33:44
ごんたあや @gontaaya

2階に上ったのに、安岡のおばちゃんの部屋は地の底、海の底のよう。おばちゃんの肌と目の白さが光り、夏の頃のはずなのに冷気さえ感じる。奈津の住まいも、安岡家の2階も、建具1枚はさんで、あの世。冥界巡りをしている糸子。それは糸子自身の「喪」へと降り行く道行きでもある。 #カーネーション

2014-07-12 08:07:55
ごんたあや @gontaaya

亡くなったひとたちのことをひとりずつ読み上げる。糸子も安岡のおばちゃんも奈津も。ひとりずつ名前を挙げると、そのひとたちの姿が中空に浮かびあがる。亡くなったひとたちを介在させることでしか繋がれず生も確認できない生者たち。泰蔵の名を聞いて耳をふさぐ奈津。それが蘇り。 #カーネーション

2014-07-12 08:15:50
ごんたあや @gontaaya

糸子は、心の中の周防さんを喪の道行きに連れ出していたのだろうと思う。その後ろめたさが生身の彼への言葉を封じる。二度と会いませんように、この世では繋がってはいけないという畏れ。なのに、そんな赤いゼリーとまなざしを。境界を踏み越えてくるのはむしろ周防さんの方だった。 #カーネーション

2014-07-12 08:44:20
ごんたあや @gontaaya

Twitterの幅広さと奥深さと多様性が好きですが、離れるとたちまちハードルが高くなり、絶句してたたずむこと数ヶ月。ここに投げかけることばが完全に涸れていた気がします。ここで、ひとりで、タイムラインの流れの中にことばを投げかけるという行為はかなり特別な言語活動だという気がします。

2014-07-13 17:22:33
ごんたあや @gontaaya

誰に請われたのでもない言葉を綴るという行為。たとえば蜻蛉日記はやむにやまれぬ思いを吐き出す場として(そのため心境の落ち着いた後半部分は筆の勢いが落ちます)、源氏物語は自らが書いた物語が抱える問題について、それを作者みずから深く追求するために綿々と書き続けられた、と解釈できます。

2014-07-13 17:32:53
ごんたあや @gontaaya

私にとって分からないのは西行で、なぜあれほどの歌数を以て、花と月の美をめぐり讃える和歌を生涯にわたり詠み続けたのかということです。これぞ勅撰集入集の我が代表作、という一首があればそれで満ち足りる、というひとではなかったのです。ことばを紡ぎ続ける、というのは特殊な感覚だと思います。

2014-07-13 17:39:34
ごんたあや @gontaaya

Twitterのつぶやきと、西行の和歌は、似ている気がします。

2014-07-13 17:43:32
ごんたあや @gontaaya

もうここに戻る資格と能力は失ったと思っていたのに、とめどなく言葉があふれ出して、ここに書きつけなければ身が持たないという衝動を、「カーネーション」再放送が与えています。そもそも、この場所で真剣にことばを紡ぎ始めたきっかけとなったのが、「カーネーション」本放送と「平清盛」でした。

2014-07-13 17:55:34
ごんたあや @gontaaya

「カーネーション」前半、善作が亡くなるまでの過程は、言葉にすることができません。それ自体が生々しい経験で、客観の言葉にするには時間と日常における言語経験の積み重ねが必要である上に、この作品で糸子が家族を失っていく過程の描写は淡々としていて、あまりにも心をえぐるのです。

2014-07-13 23:44:13
ごんたあや @gontaaya

平家滅亡。年表にすればただ一行の事実。でもそこで滅んでいったひとびとの願いと愛と野望の全てを、最終回に至るまでの過程ですべて織り込んで壇ノ浦に鎮めたあの「 #平清盛」は、もはや単なるドラマではない。グラウンド・ゼロの祈りのようなものです。

2014-07-13 23:45:10
ごんたあや @gontaaya

#カーネーション」も「#平清盛」も、語られないことのなかにあまりに多くのことが語られている作品です。語られていることだけが全てではない、この世界には分からないことがある、むしろ分からないことの方が多い、というのは、今生きているこの日常の断面のように思えます。

2014-07-13 23:48:01
ごんたあや @gontaaya

#カーネーション」は本当にわからない作品です。話が複雑怪奇なのではなく、この作品に映し出される映像や音声の肌理を細かく解析し、そこに流れている人物の心や思いをひとつひとつほどいてみても、なぜこのように美しい、せつなく、力強く訴えてくる作品が出来上がったのかが、分からないのです。

2014-07-13 23:48:58
ごんたあや @gontaaya

分からないということがとても大切で、その分からないということをめざして言葉をひとつひとつ積み重ねて近づいていくという行為を、自分ひとりではなく、この作品を見るひとたちと一緒に行うことができるのがTwitterの面白さだと思っています。その作業を、いまここでしたいと思っています。

2014-07-13 23:50:40
ごんたあや @gontaaya

初期衝動に駆られて書くことはできます。でもそれを維持してアスリートのように走り続けることができるのは、西行の如きごく限られた能力の持ち主です。だからいつまでここにいられるか分かりませんが、いまはここにいます。

2014-07-13 23:51:17
ごんたあや @gontaaya

#平清盛」のことをいまは書けなくてごめんなさい。でもあのドラマが私にとってかけがえのない、心をえぐられる作品であることは変わらない。一蓮托生です。

2014-07-13 23:52:39
ごんたあや @gontaaya

ではまた明日からも、「#カーネーション」でお目にかかります。

2014-07-13 23:54:54
ごんたあや @gontaaya

「何のお構いもしませんで。」客が帰るときに自分のもたなしが至らなかったとへりくだる表現。あまりにも定番な挨拶がもたらす場違いなおかしみ。でもそれは奈津が吉田屋の若女将だったことを証立てるには十分で、さらに玉枝さんに商売人としての立居振舞いを瞬時に思い出させる。 #カーネーション

2014-07-14 08:07:01
ごんたあや @gontaaya

ことばと心の関わりに密着した脚本。新しい概念は名前を付けることから始まる。そしてことばは人をそこに永遠に縛りつける。だから「言いない。金輪際、言いない」「うちはあんたに一言も礼を言うてない。あんたも言わんでええ」。何もかも打ち明ければ解放されるわけではないのだ。 #カーネーション

2014-07-14 08:48:21
ごんたあや @gontaaya

奈津の身体をつつむ色が、喪の黒へ。自宅で葬式を出すことも出来ず、喪服を身にまとった弔問客を迎えることもできなかった玉枝さんにとって、泰蔵と勘助2人に縁のある奈津の喪の色は、何よりの心遣いと供養として沁みたと思う。きちんと息子達の死を弔えたとやっと思えた気がする。 #カーネーション

2014-07-14 09:20:03
ごんたあや @gontaaya

「もう忘れ。忘れてな、先行こ。うちもそないするよってな、あんたもそないし」。先に行く=置いていく。残していく。つまり玉枝さんと奈津は、今、亡き人と共に在る。死と隣接する空間感覚を共有する所にいて、繋ぎあえる「手」を見つけた。これが糸子が奈津のために願った「手」。 #カーネーション

2014-07-14 16:21:01
ごんたあや @gontaaya

母親が亡くなり、世を逃れて葬式を出すことも出来なかった奈津はそのとき自分も死んだと感じたのだろう。玉枝さんもあの2階の自室を彼岸に見立てていたのだろう。2人にとってそれは亡き人と生活を共にする「殯」だったのかもしれないし、あるいは「心中」だったのかもしれない。 #カーネーション

2014-07-14 16:21:55
ごんたあや @gontaaya

返す返す「何のお構いもしませんで」と奈津に言わせたのが凄い。いいようもなく発した言葉が若女将としての丁重な挨拶だったことに、母に厳しく躾けられた奈津の、落ちようもないエレガンスが洗われ出ている。「女としての値打ちがちゃう」と豪語した幼い誇りは本物だったと分かる。 #カーネーション

2014-07-14 18:39:25
ごんたあや @gontaaya

2階の自室で寝ている時にはそんなことになるとは全く考えもしなかっただろうと思う。奈津の訪問が玉枝さんを1階に下ろし、奈津の喪服が心をほどき、奈津の挨拶が、玉枝さんに長年しみこんだ商売人としての言葉のリズム、日常の感覚に水を与えた。あとはおばちゃんの閃きと展開力。 #カーネーション

2014-07-14 18:41:37
ごんたあや @gontaaya

だんじりが岸和田のまちを駆け抜けるたび、ドラマの中の時計の針が大きく進む。そして祭りの後は、諸行無常がやってくる。だんじりを軸にして生きている岸和田のひとたちの体内リズムが、そのままドラマのリズムになっていて、見る者も自然とそのリズムで息づくようになっている。 #カーネーション

2014-07-16 01:54:10
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