松谷創一郎氏の映画に関する話への佐野亨氏の批判的テキスト

映画に関する話。
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佐野亨 Toru Sano @torusano1124

この時点ですでに松谷氏の意見の奇妙さがうかがえると思うが、結論を急ぐ前に氏の別の映画関連記事を見てみたい。このコラム(astand.asahi.com/magazine/wrcul…)では、2010年のヒット作『告白』(中島哲也監督)の映像表現に寄せられた一部評論家の批判に対する疑義が示されている。

2014-08-20 01:04:21

【2011年・日本映画産業を考える】(3)日本映画市場と“映画ムラ” - WEBRONZA+文化・エンタメ - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)
●マーケットと“映画ムラ”の乖離
 今回と次回は、日本映画産業に焦点を絞って見ていく。ただ、本題に入る前にひとつ触れておきたい事例がある。
 2010年に公開されて大ヒットした『告白』は、キネマ旬報ベストテンでも日本映画2位になるなど、興行と評価の両面を兼ね備えた作品だった。しかし、一部の評論家や映画マニアから強い批判を受けたのも確かだ。そのときの批判の質は、大きく分けてふたつあった。ひとつが、原作のときも指摘された物語の倫理面について。もうひとつは、映像表現についてだ。
 ここで注目するのは後者だ。そのときしばしば見られたのは、「マンガみたいでリアリティがない」「映画の文法を逸脱している」「こんなのは映画ではない」といった類の意見だ。これらの言説の裏には、発言者の信じる「正しい映画」や「あるべき映画」の姿が見え隠れする。『告白』は、そうした固定的な観念を強く刺激してしまった。(後略)

佐野亨 Toru Sano @torusano1124

そして、ここでもまた議論の前提となる問題設定に対して、僕は疑問を抱かざるをえない。松谷氏によれば、『告白』は一部の映画評論家から「マンガみたいでリアリティがない」「映画の文法を逸脱している」「こんなのは映画ではない」などと批判されたというが、それは本当だろうか。

2014-08-20 01:05:51
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

僕は『告白』公開時に各媒体に発表された映画評を相当数読んでいるはずだが(僕自身、ウェブ上で否定的な評を書いた)、その印象は松谷氏の「要約」とは微妙に、しかし決定的に異なる。僕の印象では、『告白』は決して「マンガみたい」だから、「映画の文法を逸脱している」から批判されたのではない。

2014-08-20 01:07:54
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

いや、僕だってすべての評に目を通したわけではないから、実際に松谷氏が挙げたような映画評が存在するのかもしれないが、少なくともそのような前時代的で陳腐な見方に立った映画評は、松谷氏の言う映画マニアからもいまどき歓迎されることはないと断言できる。

2014-08-20 01:10:16
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

僕自身の評価を思い起こしてみても、『告白』の問題点は、むしろ既成の表現領域を揺るがしもしない程度の「スタイリッシュ」に終始していることが第一である。つまり、非常に正攻法な映画評論の方法によって判定可能な映画であり、松谷氏の言う「新しい表現」などでは決してない。

2014-08-20 01:12:37
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

しかし松谷氏は、『告白』を批判する評論家を一様に「正しい映画」や「あるべき映画」を既定しようとする「保守反動」的な論者とみなし(つまり、ありもしない問題をつくりだし)、そんなものが「果たして批評と呼べるものなのか?」とまたしてもひとり相撲に興じてみせる。

2014-08-20 01:13:54
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

これらの記事を読んで浮かび上がってくるのは、「小説やゲーム」「マンガ」およびそれらの享受者(読者)や「新しい表現」に理解ある者に擦り寄る(あるいは自らその立場を標榜する)ことで、進歩的な論客を気取ろうとする松谷氏の大衆迎合的姿勢、すなわち「俗情との結託」にほかならない。

2014-08-20 01:16:11
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

ここで自分のことも書いておくが、僕が以前ウェブ上に「踊る大捜査線」についての対談記事(intro.ne.jp/contents/2013/…)を載せたとき、「無理矢理理由をつけて誉めている」などという批判を受けた。もしかしたら「俗情との結託」に見えたのかもしれない。しかし僕は本気だった。

2014-08-20 01:22:03
佐野亨 Toru Sano @torusano1124

感銘を受けた作品や人物がメディアのなかで不当に貶められているとき、ひとはその情動にしたがって、正しい知識と適度な抑制のもとに自身の考えをアウトプットすべきではないか。その行為は「俗情との結託」とは程遠いものであると僕は信じている。

2014-08-20 01:29:31