アルバム 『FACELESS MAN』~ディック・リーと『ナガランド』~
〈93年に発表された『FACELESS MAN』のテーマは“アジアとダンスミュージック”。バンド休止の時期に宮沢がディック・リーのミュージカル「ナガランド」に出演したことが契機となり、THE BOOMの音楽性はダイナミックに拡がっていく。 久保田麻琴をプロデューサーに迎えた →〉
2014-08-21 20:27:31〈→ オープニング・ナンバー「いいあんべえ」が前述のコンセプトを明確に打ち出し、歌のバンドから、サウンドのバンドへと変貌を遂げていくことを高らかに宣言するような、バンド史上でもエポック・メイキングな作品だ。〉(佐々木俊広「ラティーナ」2014年5月号)
2014-08-21 20:56:06キーパーソン「ディック・リー」
ディック・リーとの出会い(92年3月)と、オペレッタ『ナガランド』への出演(92年7月〜9月)がなければ、『FACELESS MAN』(1993年8月)は生まれなかっただろうな。 twitter.com/THEBOOM25th/st…
2014-08-21 20:23:56THE BOOMは、みや、たかし、やま、とちぎの4人で冒険の旅に出た。でも、ダンジョンに潜るとか、高い塔に登るとか、海を渡るとか、新しいことにトライするごとに、仲間が増えた。そのひとりがシンガポールのディック・リー。 pic.twitter.com/YwclOtB4o0
2014-07-07 22:53:19〈「ナガランド」でMIYAが見た風景、日本人として感じたジレンマ、手にした表現力、人脈などのあらゆる要素が、THE BOOMの次のアルバム『FACELESS MAN』や“ツアー・フェイスレス・マン”のために投入されたといっていい。それほどまでに、THE BOOMとって、 →〉
2014-08-21 20:37:59〈→ ディック・リーおよび「ナガランド」との出会いは大きなものだった。〉(「BOOM BOOK 4」1994年) 宮沢和史とディック・リーの交流史 twitter.com/THEBOOM25th/st…
2014-08-21 20:41:04宮沢和史とディック・リー ・1992年3月、雑誌「宝島」の対談で出会う。 twitter.com/miyakazu_bot/s… ・1992年7月、宮沢がディック・リーのオペレッタ「ナガランド」に単身参加。 twitter.com/THEBOOM25th/st…
2014-07-07 22:30:01宮沢和史とディック・リーの交流史
宮沢和史とディック・リー ・1992年3月、雑誌「宝島」の対談で出会う。 twitter.com/miyakazu_bot/s… ・1992年7月、宮沢がディック・リーのオペレッタ「ナガランド」に単身参加。 twitter.com/THEBOOM25th/st…
2014-07-07 22:30:01ミュージカル『NAGARLAND』パンフレットより(1992年) 中央がプロデューサーでもあり、主演のディック・リー。宮沢和史は唯一、日本からの参加。シンガポールで約1ヶ月間、リハーサルがあり、その後、日本、シンガポール、香港で公演。 pic.twitter.com/cQ8uVYz4XX
2014-05-03 18:47:23・1993年、THE BOOM「真夏の奇蹟」にディック・リーがコーラスで参加。 ・1994年、95年、音楽イベント「CLUB ASIA」で共演。 pic.twitter.com/MBK5wNHHwO ・1996年、ディック・リーがTHE BOOM『トロピカリズム』に参加。
2014-07-07 22:34:33・2003年、宮沢和史作曲、ディック・リー作詞「TREASURE THE WORLD」がASEAN各国のシンガーによって歌われる。 twitter.com/THEBOOM25th/st… ・2010年、サンディーのイベントで共演。 webdice.jp/dice/detail/27…
2014-07-07 22:37:16TREASURE THE WORLD 2003年、横浜パシフィコホール youtu.be/x6HrQaiGMqM 宮沢和史作曲、ディック・リー作詞。ASEAN各国の代表歌手がその国の言葉で歌っていく。音楽監督は高野寛。
2014-07-06 21:42:15有里知花/あなたに会いに行こう youtube.com/watch?v=FMLd9m… 宮沢和史作曲、大貫妙子作詞、高野寛編曲。 日本ASEAN 交流年2003 J-ASEAN POPsイメージソング。英詞はディック・リーが手がけた。
2014-07-04 23:07:40「TREASURE THE WORLD」(宮沢和史作曲、ディック・リー英詞)って、アジア版「WE ARE THE WORLD」ですよね。 youtu.be/x6HrQaiGMqM
2014-07-08 22:59:57雑誌「宝島」でのディック・リーとの対談
(1992年3月7日)
音楽に関していえば、日本の場合はどこかどうしても……アジアよりも西洋のものがカッコイイという、そういうコンプレックスみたいなものが体の芯にあるようです。 (海を渡る唄〈宝島社〉 1993年12月 p123 〈1992年3月7日/ディック・リーとの対談〉 )#1992年
2014-05-14 21:20:23ボクの場合、メッセージがどうしても音楽を越えてしまうことがあって。ディックのアルバム『オリエンタリズム』は、すごく強烈なことを言ってる。すごいことやってるなと思う。けれどもそれが楽しげ(笑)なんですね。(同誌)#1992年
2014-05-14 21:21:53ポジティプというか、暗くない。ボクなんかは言いたいことを強烈に書くぞ、と思うとどうもね、こう……悲観的になるというか(笑)。(同誌)#1992年
2014-05-14 21:24:08白人、黒人、東洋人とか全部ひっくるめた上で、それでもいいメロディっていうものも絶対に存在すると思うんだ。……たとえば坂本九が歌った「上を向いて歩こう」みたいな、どんな人が聴いても心揺れるメロディ。 (同誌)#1992年
2014-05-14 21:40:05ボクはいつかそういう曲を作りたいと思ってるんだけれども、ディックは作曲家としてそういう曲のヒントみたいなものを、もう、つかんでるのかな? (同誌)#1992年
2014-05-14 21:40:22今、改めて聴いてみるとYMOの音色、旋律、いろいろなものがとてもアジア的ですね。そういう意味では世界で、アジアの音楽を感じさせたのは日本が初めてだったかもしれない。 (同誌)#1992年
2014-05-14 21:47:58『ナガランド』で世界と出会う
●BOOM BOOK 4
〈シンガポール、フィリピン、マレーシアなどアジア各国からの参加メンバーの中でMIYAだけがイングリッシュ・スピーカーではなく、シンガポールのディスコで「一曲歌えよ」と言われて尻込みしてしまった、というエピソードにも明らかなように、「ナガランド」でMIYAが肌で感じたのは →〉
2014-08-21 22:53:06〈→ 西洋化されているといわれながら、実は西洋から最も遠く、おまけに最も近いはずの東洋からも離れているという、日本の特殊な環境だった。これ以降、THE BOOMは、それまでのタイ旅行やジャマイカ旅行の時にすでに持っていた異国への純粋な憧れはそのまま持ちつつ、さらに深く世界の →〉
2014-08-21 22:55:28〈→ ポップスにのめり込んでいくことになる。メッセージに頼らず、声やリズムやメロディそのものが力を持つような、まさしく“世界で通用するポップス”へ。〉 (「BOOM BOOK 4」1994年) twitter.com/THEBOOM25th/st…
2014-08-21 22:57:32→ 〈とはいえ、そうしたことを頭では理解していても、おいそれといい歌を書けるものではない。その夜(注:1992年、オペレッタ『ナガランド』に参加中、アジア各国のダンサーたちの前で「上を向いて歩こう」を歌った夜〉、僕は心から思った、「自分もあんな歌を作ってみたい」と。〉→
2014-08-12 20:21:05