デリダとハイデガーと多分存在論。
- aoyamaakiko3
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あのね、小4理科の動物についての授業についての講義を先週受けたんだけど、シュタイナー学校でのね、かなり考えさせられる内容だったからさ、英語で先生に授業感想を書きたいと思ってたの。ついさっきまで。
2014-08-23 14:25:40でもね、考えて行くにつれて、「教育」とちょっと離れた所に行き始めてる感じがしたのね、自分の思考が。で、そうなると授業感想としてはふさわしくなくなってきて、じゃあ自分用に書くんだったら日本語でevernoteに書こうかなと思ったんだけどね。それもなんか違うの。
2014-08-23 14:27:41私さ、授業感想を書いて渡したかったのも、「私はこう思ったんだけど、あなたはどう思いますか?」って聞きたかったんだ。多分。
2014-08-23 14:28:31evernoteにメモする時ってさ、「分かった!」っていうエウリカモメントがあって、で、がっと書いたりするんだけど、今回のはそういうのとなんか違うの。なんかね、誰かに聞いて欲しい感じなんだ。だからTwitterに戻って来た。
2014-08-23 14:30:08授業でね、「子どもたちが動物を自分の内に感じることが大切です」って言ってたの。で、動物のキャラを生き生きと思い描かせてさ、それが自分たちの内にも生きているのを感じさせるっていう感じで。馬って私たちの足みたいだよねとかそういう感じで。
2014-08-23 14:34:30で、授業中、私は東浩紀さんが「私とハイデガー」っていう文章で言ってた事を思い出して、それをメモったんだ。ハイデガーが動物について「世界が貧しい」って言った事に対するデリダの指摘について。
2014-08-23 14:36:51「動物の世界が『貧しい』と言うのだとすれば、その立場はもはや、人間と動物と無生物とをひとつのスケールのなかで捉える、生物学的で人間主義的な経験諸学とほとんど変わらない。」(続く)
2014-08-23 14:40:21「しかしハイデガーはまさに、現存在と存在についての自らの学を、それら存在者に関する知識から徹底的に切断することを主張していた。ハイデガーはこの矛盾を放置している。」(続く)
2014-08-23 14:42:51「そしてデリダは、まさにこの点にこそ、きわめて抽象的で構造的だったハイデガー哲学がファシズムと親和性をもってしまった、言い換えれば、狭量な人間中心主義からもっとも遠かったはずの思想がいつのまにか最悪の民族中心主義に転化してしまった、その不徹底性の原因が伺えると主張するのだ。」
2014-08-23 14:44:02おもしろいでしょ。これもう13年も前の文章だけど、こういう文章好きだなあって最初に読んだとき(昨年)思ったの覚えてる。
2014-08-23 14:45:24でね、このデリダの指摘はもうずっと、ああきっとその通りに違いないと思っていたんだけど、でもさっきあれちょっと違うかもって思ったの。
2014-08-23 14:49:10ハイデガーの問題はおそらく、認識の領域にではなく、感情の領域にあったのだと思う。彼は感情的にナチスを支持したんだ。多分。
2014-08-23 14:51:16それは眼差しの冷たさと呼んでいいのだと思う。つまり、こころが動いていないということ。思想うんぬんではなく。
2014-08-23 14:53:24いや、本人の文章読んでないから分からないけど(読んでも訳分からんとしか思えないかもしれないけど)、もしかしたら同じことを言っているのかもしれない。
2014-08-23 14:55:42ハイデガーが動物は「世界が貧しい」と言った、そこにひっかかるというのはおそらく正しい。「貧しい」という言葉を選択する行為には、動物に対するいきいきとした感情はまったく働いていない。
2014-08-23 14:57:29「ライオンすげー、まじかっけー!」でも、「ああ鳥の歌声は愛のメロディーだ」でもなんでもいいんだけど、そういうふうに心が動いているならば、「貧しい」なんて絶対に思わない。
2014-08-23 15:00:47