- brotherasazuke
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孫文が「革命未だ成らず」という有名な遺言を遺し死んだのが1925年。そのあと、蒋介石は孫文の意志を継いで北伐を開始するのですが
2010-11-21 22:26:31北伐軍が南京に入城する際、一部の軍人・民衆が暴徒化し、事もあろうに他国の領事館を襲撃、外交官を殺しちゃったわけです。そりゃもう国際問題さ
2010-11-21 22:29:43そりゃあ蒋介石怒るさ!怒って共産党との協力関係を解消(国共分裂)、あまつさえ、国民党内の共産党勢力を全員粛正するという強攻策に出ます(上海クーデター)
2010-11-21 22:32:39@brotherasazuke なるほど~。質問ですがこの糸引いてたってのは今の中国では情報統制されてるのですか?それとも南京事件自体抹消されてたり?
2010-11-21 22:36:17さて、そんなこんなで、共産党と手を切った蒋介石。しかし、このことで、汪兆銘ら共産党好きチームの離反をも招いてしまう事になります
2010-11-21 22:40:10中国国民党が主導する政府は、孫文が広州にたてた「広州国民政府」が最初。それが武漢に移ったのですが、このときに汪兆銘と決別した蒋介石は、新たな「国民政府」を南京に建てます
2010-11-21 22:47:50彼らの戦いは、汪兆銘までもが共産党と仲違いした事などが影響し、汪兆銘が蒋介石の指揮下に入り、南京国民政府が武漢国民政府を吸収合併する事で解決
2010-11-21 22:50:04ついに1928年6月9日、かの袁世凱の後継者たちの率いた北京政府を打倒、悲願の中国統一を成し遂げたわけであります
2010-11-21 22:52:51そんな危機を孕んだまま、1928年6月、中国東北部、当時の満州にて重大事件が起こるのでありますが…続きは休憩のあとで!
2010-11-21 23:00:12当時、日本国民も、新聞に「満州某重大事件」としか発表されず、戦後まで真相を知る事が出来なかったその事件とは
2010-11-21 23:16:10張作霖は、中国東北部を支配するヒャッハーの親玉であったと同時に、例の袁世凱の後継者たちの北京政府の最後の大総統を勤め上げた漢
2010-11-21 23:19:25元々、張作霖は、日露戦争の頃に日本軍のために骨を折ってくれたりしたので、日本の覚えめでたい有力者だったのですが
2010-11-21 23:21:18じきに彼は日本と距離を置き、欧米資本をバックに、日本の経営していた満鉄(南満州鉄道)のライバルとなるような鉄道建設に動いたりしました
2010-11-21 23:22:27