追悼・柴野拓美
- kokada_jnet
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柴野拓美先生御逝去。あんな話やこんな話を抱えて旅立たれてしまった。お話を拾い集めなければ。
2010-01-17 11:10:43創作ブログ更新。柴野さんの訃報にのぞんで。辰巳出版の「誰だ! 科学忍者隊ガッチャマン」の時に科学忍者隊のメカ解説の仕事して、それを柴野さんに報告出来た事が、最高の思い出だ。 http://is.gd/6pP00
2010-01-17 11:15:3718歳くらいのSF クリスマスで、優しそうなおじさんがアップルII かなんかの宇宙クリケットかかなんかのAVG で「ディスケットって入力してみましょう」って、そんな最初の出 会い。
2010-01-17 11:19:32柴野さんとの思い出を書いている人たちがたくさんいて、それを読みながら、いかに柴野さんがSFファンダムを大事にしていたのかを思う。野田さんが亡くなったときも思ったけど、私は野田さんや柴野さんたち先達が我々にしてくれたように、若い世代にきちんと接してあげているだろうか。いかんなあ。
2010-01-17 11:45:05柴野拓美(小隅黎)氏が亡くなられたのは16日午後8時6分とのこと。私たちが「トナカイ」新年会を高田馬場で開いていた頃。
2010-01-17 11:31:27"野田昌宏先生や矢野徹先生によろしくお伝えください。" - ㈲迅雷計画のブログ 訃報 柴野拓美先生 http://tumblr.com/xa35lgpaf
2010-01-17 12:03:10柴野拓美さんの訃報を知る。SFコンベンションで何度か席が隣になり声をかけていただいたことがあるだけなんだけど、右も左もわからない新米SFファンにとってそれがどれだけ励みになったことか。合掌
2010-01-17 12:04:48ある年、ガタコンに向かう「とき」(たぶん在来線)の指定席がたまたま故 柴野拓美氏と隣り同士。氏が二宮、私が平塚で切符を買ったからかな。親しくお話ししたのは、あれが最初。宇宙塵会員だった私の名前を覚えていてくださったのが嬉しかった。
2010-01-17 12:05:07故 柴野拓美氏は特急ときの車内販売で高崎の「鳥めし弁当」を買われ、「おいしいですよ」と私に勧められた。お勧めに従い、私はその日2回目の昼食を食べたが、たしかにおいしかった。その後、私は高崎を通るたび、(「だるま」ではなく)「鳥めし」を食べるようになった。
2010-01-17 12:20:59故 柴野拓美氏が米国流のSFファン活動を日本に導入することがなかったら、その影響を受けたマンガ・アニメ等のファン活動の性格も大きく変わっていたことだろう。そうしたパラレルワールドでは、日本のヲタク文化はどんな様相を呈しているのだろうか。
2010-01-17 12:29:30故 柴野拓美氏は、翻訳家 小隅黎としてポール・アンダースン「The Avatar」の訳題を「アーバタール」とした理由を、第1音節にアクセントを置きたかったからだとガタコンでの雑談で語られた。当時、アバター(化身)なんて言葉は、ほとんどの日本人が知らなかった。
2010-01-17 12:47:39オレが最初に商業誌に原稿を書いたのは、柴野さんが紹介してくれた週刊誌の書評だった。フ科会か宇宙塵の集まりで、こんど書評やることになったんだけど、誰か手伝ってくれないかって柴野さんがおっしゃった。で、じゃあやらせてくださいって言ったのね。当時大学2年生。
2010-01-17 12:11:04そのときのこと、実はよく覚えていないんだけど、オレはたぶん人に読ませるような原稿は、科学魔界に載せた最後のユニコーンの書評一本しか書いたことなかったんでないかな。それでやらせてくれっつーのはどういう凝っちゃって感じだよね。今にして思うと、オレも自分で自分がよくわからん。
2010-01-17 12:14:47ただ、一人でやるのは不安なので、牧君と一緒にやりたいといったらしい。牧君は実は自分がやりたいと思っていたんだけど、自分では言い出せず、オレが先にやらせてって言ったので、えーって思い、さらに牧君と一緒にやらせてとオレが勝手に言ったのでさらにええーって思ったそうな。
2010-01-17 12:16:44あのころは牧君とは超仲良かった。で、二人で交互にSFの書評を書いて、それを柴野さんが直して、柴野さんの名前で雑誌に載った。これがオレと牧君の商業誌デビューね。しかし、柴野さんも、こんなわけのわからん子どもの原稿をよく使ってくれたものだ。
2010-01-17 12:20:15昔、SFファン科学勉強会、略してSFフ科会ってのがあったんだ。月に一回、メンバーが色々な話題を持ち寄って発表し、それについて意見を言いあうの。あそこはオレにとってのエデンの園だった。
2010-01-17 12:39:01そこに柴野さんも毎月参加されていた。初期には石原藤夫さんがいたはずだけど、オレが入った時にはもういなかった。主催は大宮信光さんで、草場純さんとか、亡くなった大田原さんや志水一夫さんもメンバーだった。
2010-01-17 12:43:14理系、文系、パズルやゲームからオカルトまでありとあらゆる話題をおもしろがれる偉大な教養人たちの集まりで、こども時代にあそこに参加させてもらえたことが、オレの原点となっている。柴野さんには、ガッチャマンの科学忍法火の鳥は四重極放射とかアニメの設定の話も伺ったなあ。
2010-01-17 12:48:50柴野さんと言えば、たいていの人はいつもニコニコニコって笑っている顔を思い浮かべると思うんだけど、実は音はけっこう攻撃的なところがあって、フ科会で議論が白熱するときりっとして鋭いツッコミしてたんだよ。
2010-01-17 12:51:17先々月のSFマガジンで、オレの文体の話を書いたけど、そこに出てきた鹿野さんの本は面白いけど、文体がなあ……って言った先輩ってのが、実は柴野さんのこと。今度の本も差し上げるつもりだったんだ。
2010-01-17 12:53:50柴野さんに最後にお目にかかったのは、2008年3月16日のこと。柴野さんの具合があまり良くないって聴いていて、それで大宮さん草場さんなどかつてのフ科会のメンバーでお宅にお邪魔したのね。
2010-01-17 12:56:10